「法理」とは、法の原理、法の道理という事です。
しかし、本来「法理」は蛇足です。
一応「法理」は聞いてもらって、「法理」は必要でなかったという事を知ってもらう為に指導者は話をするのです。
病人には薬が必要ですが、病人でない人には薬は不必要です。
むしろ無い方が良いのです。
むしろ無い方が良いのです。
しかし病気でないのに病気と考える人には、薬を見せる必要があります。
それが「衆生本来仏なり」というお言葉です。
「今」それを信じたならば、おシャカ様の教えは不必要です。
しかし、自我の為になかなか信じられないのです。
それで指導者は「法理」の薬を与えるのです。