あなたの「今」が涅槃の状態です。
しかしもし、あなたが涅槃にあると知ったなら、直ちにその外にあります。
人は「今」を認められないのです。
唯、未来と過去しか認められないのです。
「法理」として「事実」というものは、考えの先にあって考えを起こした時は、「事実」は既に亡くなっているということです。
ですから、私たち衆生は考えによって考えをより以上に洗練したり、考えの中で「事実」に達しようとしても出来ないのです。
「認識は事実の後に生じる」という事を知らない為に「先に目的を持たない」という考えが成立してしまうのです。
いわゆるそれが「無所悟無所得(むしょご むしょとく)」というものです。
「考えがあってから、事実がある」と思ってしまうのです。