おシャカ様の教えでいうところの信仰とは「本当に信じる」ということです。
「自分自身を信じなさい」といわれてもなかなか自分自身が信じられないものです。
そこで神仏の力を借りて「自分の信仰が堅固な物になりますように」という祈りの意味をこめて「礼拝(仏教ではらいはいと読みます)供養」が行なわれる訳です。
阿弥陀仏を礼拝(らいはい)する時は「南無阿弥陀仏」とお称えします。
この意味は「南無阿弥陀仏」とお称えしている人が、「阿弥陀仏その物である事」を自らが自覚するために「南無阿弥陀仏」とお称えしているのです。
信仰の純粋な状態というのは、「疑いというものと同時に信も無くならなければいけない」のです。
何故ならば「信、疑」というのはあくまで「人の考えの中のもの」だからです。
そういう「信、疑」の無くなった状態を「法、道」といっているのです。