活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

道(法) を求める 1

2015年05月02日 | 仏教
多くの「私は悟りを開きました」という人の現状は【悟りを認める「人(にん)」が残る】のです。

そういう体験、経験をした人は【まだ認める自分が残っている】という事です。


「私は悟りを開きました」というのであれば、【私一人だけ】がそういう状態になったというのではいけないのです。

【すべての衆生と共に】そういう目醒めがあったという事でなければなりません。


別の言葉で言えば、【「此の物」が縁そのものに成った】ということです。

それでなければ「悟りの外(そと)にいる」という事なのです。


悟りを開いた後に、迷いとか苦しみとか、諸々の雑念というものが無くなったという【無我意識】が働いたとしたら、

悟りを開いたということに因って「悟り以前と以後」という隔てが出来てしまったという訳です。

それではまだ本当ではないという事です。




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