仏、仏を知らず 2022年10月27日 | 法理 「何をしていても修行ならば、ことさらに修行する必要は無いではないか」という人がいます。 「何時何処で何をしていても、仏その物だというならば、そういう余分な事は必要はない」という人がいます。 何時何処で何をしていても三昧にあるならば、殊更に三昧に成る必要はないという人もいます。 然し「何時何処で何をしていても、修行だ」と言っても、修行している自分を自分が知る訳が有りません。 「仏自ら仏を知る事」は、出来ません « 新帰元4 | トップ | 仏の真言(しんごん)1 »
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