二つの方法2 2017年11月22日 | 法理 「ただ坐っているだけ」では、いつも「坐ってものを考える」 という結果に終わってしまいます。 しかし、自分自身の問題を持って坐っている人には、本当は 余分なことなのです。 指導者は、坐禅(功夫)が純一にならないという様子に見受け られる方には「こうしなさい、ああしなさい」と手取り足取り して指導しているのです。 「こうすべきだ、ああすべきだ」というのは、本当は余分な ことなのです。 « 二つの方法1 | トップ | 心外無仏法1 »
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