二つの方法1 2017年11月21日 | 法理 「惑い」をなくすには、具体的にどうしたらいいのかというと、 ある時は「祇(只)管打坐(しかんたざ)」をし、又ある時は 「公案功夫(こうあんくふう)」をすることです。 この二つの方法による以外は、「坐禅が坐禅になる、本当に満足する 坐禅」というのはありえないのです。 ですから、歴代の覚者は、この二つの方法を「親切に、丁寧に、 真心を込めてしなさい」といっているのです。 私たち衆生は行じていかなくてはならないのです。 « 惑い2 | トップ | 二つの方法2 »
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