禅の修行はその場その場の真価を知ることです。
真箇(しんこ)その価値を知るのが「見性」です。
金銭は失っても取り返しがつかないということはありません。
しかし、一度失った一日は如何なる善巧方便(ぜんぎょう ほうべん)
があっても、過ぎてしまった一日は取り返しがつきません。
一日はかけがえのない至宝です。
西洋の哲学者も、「時は金なり」 とも 「時は生命なり」 とも言っています。
ですから、人の一生は縦には一日々々(即今々々)の積もりもの
であり、しかもその即今々々を
「前後截断(ぜんご さいだん)」 していることを知らなければなりません。
横には、「四大恩」(父母、天地、仏、衆生〈社会〉)のよせ集まりです。
この至宝なるところの一日は 「四大恩」 によって生きているのです。
「四大恩」 によって今日があるのです。
恩を知り、恩に報いるのが人の道です。
恩を知ると知らざるとは、「人間(にんげん)」 と 「禽獣」 の分かれる処です。
「烏に半哺(はんぽ)の孝あり、鳩に三枝の礼あり」 と。