「不殺生戒」の「殺す」ということは、相手を認めることに因り
起こる言葉です。
「殺す」といっても、取捨の念を起こして殺すことを止めることも
「相手を認めた二元論」ですから「殺、不殺(さつ、ふさつ)」ともに
罪悪なのです。
「おシャカ様の教え(仏教)の不殺生戒(ふせっしょうかい)」とは、
本来全てが一つのもの(始めより宇宙と一体なもの)ですから殺しようが
ないのです。
相手がいないから、手を汚すことは出来ないのです。
ですから「不殺生戒」を「殺す人もいなければ、殺される相手もない」
というふうに受け取って頂きたいのです。
仏法でいうところの「殺生」と、普段言っている「殺生」とはまったく違うものです。