最初から目的を持ってはいけないということと、「求心(ぐしん)をやめる」
ということを「混同」して考える人が多いようです。
「求心をやめなさい」というのは、「成る程確かに実相は無相なりということを
自分が実證しなければならない」と、よほど「理(理論)」において「信決定(けつじょう)」
をしてきた人においてはじめて分かってもらわなければならないということです。
ですから、最初から目的を持って坐禅をしてはいけないということとは
「次元の違う世界」であることを、よく承知しておいて頂かないと「目標」
をあやまることになります。