疑煩悩4 2017年11月03日 | 仏教 信じれば信じる度合いが強いほど、「疑煩悩(疑いの煩悩)」 というものは同じように、信じることと同じ量だけ疑いという ものも残るわけです。 ですから、それを坐禅の功夫によってきれいに消滅して しまわないといけないのです。 これは容易なことではありませんが、出来ない事ではありません。 歴代の覚者といわれる方々はみんなやってきた訳です。 « 疑煩悩3 | トップ | 求心1 »
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