私たち衆生一人一人は世界の人口分の一の「存在者」です。
掛替えの無い自分ですから、本当に「自分自身」に成らないと、いけないという事です。
他人の為の私で有ってはいけないという事です。
この事は、各人が徹底した個という者に成らない限りは、私たち宗教に携わる者は、助けてあげたいと思っても助けてあげられないのです。
徹底した個というのは、所謂「自分の主人公」です。
私たち衆生は、自分の主人公は何時も自分に内に居るか、絶えずその事を、自分自身で点検していく必要が有(在)ると思います。