どんなに自分で知識を巡らし、あるいは坐禅をして「空」に成ったとしても、「今、今の事実、今の様子」を分ることは出来ません。
そのくらい「今、今の事実、今の自己の様子」というのは「何もない」という事です。
もともと有(在)った物が欠落して無くなったものではありません。
「もともと無かった」のです。
生まれながらにして有(在)る物の中で育っている私たち衆生は「無い」と言うと如何しても「有(在)るという事の対照」にしか考えられないのです。
そこでおシャカ様が「因縁果」というような物をお立てになって「物の無いという様子」を説明されたという事です。