活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

法の世界1

2016年12月27日 | 

「禅」 という一つの窓口が出来てから

「坐禅の功夫(くふう)」 と いうような言葉が

生まれました。

 

しかし、仏教全体では

「実相は無相なり」

と、言っています。

 

「本当の相(すがた)は相がないものである」

ということをよく承知しておいて頂かないと

大きな間違いが生じます。

 

従って今、「坐禅功夫」 をしている方は

「坐禅も無相に至る迄の方便」 ですから

坐禅功夫を消滅させて行くように、

坐が失くなるように坐っていただかなければ

なりません。

 

くれぐれも 「坐忘(ざぼう)」 というお言葉があることに

注意をはらって頂きたいと思います。