◆『縄文語の発見 新装版』(小泉保)
本ブログでは、「縄文文化の記憶が、現代日本人の心や文化の基層として生き続けている」ということを主張の根幹に据えている。である以上、当然、縄文時代から弥生時代へも文化の継承がなされたのであり、そこに大きな断絶はないという立場をとる。またそういう主張をしばしばしてきた。以下を参照していただきたい。
★縄文と弥生の融合
★日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?
★日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ
また、縄文語から弥生語への移り変わりも、断続ではなく連続性があったという見解に何度か触れたことがある(→★日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き))。言語学者である小泉氏による上の本は、そのような立場から縄文語を探求しようとする、私が知るかぎり唯一の研究書である。これまでの研究者は、縄文語と弥生語との間には断絶があったと決めてかかっていた。弥生語が縄文語を駆逐して、それに入れ替わったと主張できる証拠は何もないのに、研究者のほとんどはそういう億説に縛り付けられているという。
人類学や考古学の近年の研究成果には驚くべきものがあるが、日本語の起源を探る研究もそうした成果に裏付けられたものでなければならない。人類学や考古学が縄文時代と弥生時代は連続していると主張しているのに、言語学者が、両者が断絶していると何の根拠もなく決めてかかるのだとすれば、それは知的誠実さに欠ける。
人類学でほぼ定説になっているのは、日本列島には縄文時代の一万年にわたってアイヌ人を含む南方モンゴロイド系の縄文人が生活しており、紀元前二・三百年ごろ北方モンゴロイド系の渡来人が移入してきたことである。
しかし、大量の渡来人が一挙に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。縄文人が抹殺されたり、奴隷にされたりして、日本列島から縄文文化が消滅したわけでもなかった。大陸からある程度の集団的な渡来があったとしても、この時代の渡航技術からして先住民を一気に駆逐したり虐殺したりできるほどの大規模な移動はできなかった。
渡来人の移入以前、縄文人は、前期からすでに日本列島にはひろく住んでおり、土器の生産に従事し、相互に交流していた(ヒスイが糸魚川で産出し加工され、日本列島に広く流通していた例など)。縄文人はかなり均質化した文化をもっており、とすれば、地域差はあったにしろ、異言語の乱立するような状況は考えにくい。縄文前期からすでに縄文語という原日本語が形成され始めたのではないかと著者はいう。
ある程度の年月をかけて小集団ごとに渡来した人々は、最初は多少の摩擦はあったとしても、やがて相互に影響しあい、やがては縄文人と溶け合っていくほかなかったはずだ。近年、そうした融合を裏付ける考古学上の研究成果が多くなっている。土器の形や文様も、縄文土器から弥生土器へと連続的に変化しているという研究が見られるようになった。縄文土器が徐々に変化して弥生土器が生まれた可能性が高いというのだ。
とすれば、言語もまた制圧と断絶という形で入れ替わったとは考えにくい。しかも日本語は、様々な学説はあるものの、現在までのところ琉球語以外にその同族関係が証明されていないという。「周辺言語との同型性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来一万年の間に、この島国の中で形成されたと考えなければならない」と、著者は主張する。155 確かに、二千数百年前に渡来した弥生人が縄文語を消滅させてしまったなら、大陸のどこかに弥生語ときわめて親近性の高い言語が残っているはずなのに、それが見つからないのだ。日本語は、縄文文化とともに始まり、断続なく現代に連なる長い歴史ももっているというべきだろう。
それゆえ著者は、縄文語の有力な方言のひとつから弥生語が形成されたという仮説にたって、現代日本語の諸方言をもとに、比較言語学と地域言語学(著者の専門領域)という手法を使って縄文語を再現しようとする。それは、この本の中核をなす研究だが、きわめて専門的で精緻なものなのでここでの紹介は控える。ただ、現代日本語のルーツが縄文語にあるという主張は、学問的にも無視できないものであるのは事実だ。
最近「世の中を平和にする日本語と縄文時代」という記事で、日本語の話者は、自分を強く打ち出すよりも、周りと協調し、「全体の中に自分を合わせていくこと」を目指すことが多いことに触れた。それは日本語の構造によるところが大きいという。私は、そういう日本語が、縄文人の自然と一体となった生活のなかで形成されたのではないかと主張した。今回紹介した研究からも、言語を通じて縄文人の心が現代日本人に受け継がれていると確認できるのではないか。
《関連記事》
★日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
★日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
★日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
★日本文化のユニークさ18:縄文語の心
★日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
★日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?
★日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ
★日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み
★日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤
★日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)
★日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)
★日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)
本ブログでは、「縄文文化の記憶が、現代日本人の心や文化の基層として生き続けている」ということを主張の根幹に据えている。である以上、当然、縄文時代から弥生時代へも文化の継承がなされたのであり、そこに大きな断絶はないという立場をとる。またそういう主張をしばしばしてきた。以下を参照していただきたい。
★縄文と弥生の融合
★日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?
★日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ
また、縄文語から弥生語への移り変わりも、断続ではなく連続性があったという見解に何度か触れたことがある(→★日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き))。言語学者である小泉氏による上の本は、そのような立場から縄文語を探求しようとする、私が知るかぎり唯一の研究書である。これまでの研究者は、縄文語と弥生語との間には断絶があったと決めてかかっていた。弥生語が縄文語を駆逐して、それに入れ替わったと主張できる証拠は何もないのに、研究者のほとんどはそういう億説に縛り付けられているという。
人類学や考古学の近年の研究成果には驚くべきものがあるが、日本語の起源を探る研究もそうした成果に裏付けられたものでなければならない。人類学や考古学が縄文時代と弥生時代は連続していると主張しているのに、言語学者が、両者が断絶していると何の根拠もなく決めてかかるのだとすれば、それは知的誠実さに欠ける。
人類学でほぼ定説になっているのは、日本列島には縄文時代の一万年にわたってアイヌ人を含む南方モンゴロイド系の縄文人が生活しており、紀元前二・三百年ごろ北方モンゴロイド系の渡来人が移入してきたことである。
しかし、大量の渡来人が一挙に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。縄文人が抹殺されたり、奴隷にされたりして、日本列島から縄文文化が消滅したわけでもなかった。大陸からある程度の集団的な渡来があったとしても、この時代の渡航技術からして先住民を一気に駆逐したり虐殺したりできるほどの大規模な移動はできなかった。
渡来人の移入以前、縄文人は、前期からすでに日本列島にはひろく住んでおり、土器の生産に従事し、相互に交流していた(ヒスイが糸魚川で産出し加工され、日本列島に広く流通していた例など)。縄文人はかなり均質化した文化をもっており、とすれば、地域差はあったにしろ、異言語の乱立するような状況は考えにくい。縄文前期からすでに縄文語という原日本語が形成され始めたのではないかと著者はいう。
ある程度の年月をかけて小集団ごとに渡来した人々は、最初は多少の摩擦はあったとしても、やがて相互に影響しあい、やがては縄文人と溶け合っていくほかなかったはずだ。近年、そうした融合を裏付ける考古学上の研究成果が多くなっている。土器の形や文様も、縄文土器から弥生土器へと連続的に変化しているという研究が見られるようになった。縄文土器が徐々に変化して弥生土器が生まれた可能性が高いというのだ。
とすれば、言語もまた制圧と断絶という形で入れ替わったとは考えにくい。しかも日本語は、様々な学説はあるものの、現在までのところ琉球語以外にその同族関係が証明されていないという。「周辺言語との同型性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来一万年の間に、この島国の中で形成されたと考えなければならない」と、著者は主張する。155 確かに、二千数百年前に渡来した弥生人が縄文語を消滅させてしまったなら、大陸のどこかに弥生語ときわめて親近性の高い言語が残っているはずなのに、それが見つからないのだ。日本語は、縄文文化とともに始まり、断続なく現代に連なる長い歴史ももっているというべきだろう。
それゆえ著者は、縄文語の有力な方言のひとつから弥生語が形成されたという仮説にたって、現代日本語の諸方言をもとに、比較言語学と地域言語学(著者の専門領域)という手法を使って縄文語を再現しようとする。それは、この本の中核をなす研究だが、きわめて専門的で精緻なものなのでここでの紹介は控える。ただ、現代日本語のルーツが縄文語にあるという主張は、学問的にも無視できないものであるのは事実だ。
最近「世の中を平和にする日本語と縄文時代」という記事で、日本語の話者は、自分を強く打ち出すよりも、周りと協調し、「全体の中に自分を合わせていくこと」を目指すことが多いことに触れた。それは日本語の構造によるところが大きいという。私は、そういう日本語が、縄文人の自然と一体となった生活のなかで形成されたのではないかと主張した。今回紹介した研究からも、言語を通じて縄文人の心が現代日本人に受け継がれていると確認できるのではないか。
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★日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)
★日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)
★日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)
本気と書いてマジとか中二病の漢字にルビを振るのもこういった漢字に読み言葉を当てはめる文化だからなんだよね、こんな例は世界じゃ殆ど見られないからね
すまないんだね。
侵略されたわけでも人間が途絶えたわけじゃないのに、言語が
途絶えるというのは無理がある。そもそもそういう説を知りま
せんでした。
日本で9000年前の漆器が見つかっている。日本人が大昔から漆を
利用してきたことの証拠だ。日本人の文化は大昔から間違いなく
受け継がれている。言語も同様だと思う。
漆器も言語も同じ偏見に囚われている。