Jan.29 2006 まぐろ土佐船その3

2006年01月29日 | 風の旅人日乗
1月29日 日曜日

相模湾は朝から晴れ渡り、とてもいい天気。海は穏やかでたくさんの艇がセーリングしているのが見える。
練習日にしようかどうか、朝まで迷っていたが、1日中風が弱そうなのと、今週末に予定している海外出張のための資料作りが遅れているのとで、今日は海に出るのをサボり、デスクワークと、水泳に当てるすることにする。

金曜日の夜、プールでヨットの大先輩のHさんと一緒になった。Hさんは「幻の」と形容されるモスクワ・オリンピックの代表だったセーラーだ。

当時のソビエトがアフガニスタンに侵攻したのに抗議して、いくつかの国が1980年のモスクワ・オリンピックへの選手団派遣をボイコットした。
政治とスポーツは別、とするオリンピックの精神が問われる問題ではあったが、日本も、選手団派遣を取りやめた国のひとつだった。

すでに代表に選ばれていた多くのスポーツ選手が国や日本オリンピック委員会に嘆願したが、結局受け入れられることはなかった。
Hさんも、苦労して手に入れたオリンピックへの切符を理不尽に取り上げられてしまったスポーツ選手のひとりだ。

しかしその後も、Hさんは確固とした姿勢でセーリングを続け、ここ数年は、視覚障害者の人たちのセーリング活動を支援し続けている。いまや日本ブラインド・セーリングの世界では、なくてはならない人物の一人である。

Hさんは、そのブラインド・セーリングの支援活動を共に進めてきた奥様を、昨年11月に癌で失った。セーリング界では有名な、素晴らしく仲のいい御夫婦で、いつもほとんど一緒に居るような二人だった。
大変悲痛な思いで、この年末年始を過ごされていたことと思う。

プールでは、奥様のお通夜以来、初めて会った。
プールサイドで少し話をした。
これから再び立ち上がって、生きていく準備を始めた、とのことで、この1月からこのスポーツクラブに入会して、身体作りから始めていくことにしたのだそうだ。
Hさんなら、やれる。
Hさんには、まだまだ日本のセーリング界や日本の海文化発展のために頑張ってもらわなければいけないことがたくさんあるのだ。

寒いし、プールさぼっちゃおうかな、と思っていたけど、自分に鞭打って行ってよかった。Hさんに会うことができた。

さて、では今日は、昨日まで2回連載した、日本のマグロ漁文化の語り部、斉藤健治さんインタビューの最終回を掲載します。

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斉藤健次

ニッポンのマグロ漁文化の語部(かたりべ) (後篇)

文=西村一広  

海と陸を繋ぐライフワーク

斉藤健次は、丸6年間遠洋マグロ船に乗ったあと、陸に上がった。そして、マグロ船のコック長としてプロの漁師たちを満足させてきた料理を出す店を開いた。
苦労もしたが、遠洋マグロ船での経験に比べると大した苦労だとは思わなかった。

自分は海と遠洋マグロ漁船から人生を学んだ、と斉藤健次は考えている。
辛いことにも逃げずに耐えることを覚えた。人間は、自分が決めてしまう自分の限界を超えられることも知った。

絡みに絡んだ縄を、嵐で大揺れに揺れている甲板で解かなければならない。「こんな絡み、絶対に解ける訳がない」、と思う。でも諦めずに必死で続けていると、いつの間にか絡みが解けている。
疲労困憊した目を海に向けると、大時化だった海がいつの間にか凪ぎている。水平線から信じられないほど美しい朝日が上がってくる。そういったことを思い出すたび、自分は海で素晴らしい時間を経験せさせてもらった、と思う。

船を降りた後、無我夢中で頑張って新しい生活が軌道に乗ると、船に乗っていた頃のことを振り返る余裕も出てきた。
仕事の合間を縫って、遠洋マグロ漁船に乗って自分が海にいた日々のことを書きまとめ、手作りの本に仕上げた。小学館主催のノンフィクション大賞にその原稿を応募してみた。その原稿は240もの応募作の中を勝ち上がって大賞を受賞した。
それが『まぐろ土佐船』として出版された。

斉藤健次が『まぐろ土佐船』で伝えたかったことは、遠洋マグロ漁師たちの壮絶な海上生活だけではない。もうひとつ伝えたかったこと、それは、我が国のマグロ漁文化とマグロ資源の危機である。

消費者に上質のマグロを提供しようと努力してきた日本のマグロ船の船主たちの多くが、外国から大量に輸入される安いマグロに圧迫されて相次いで倒産している。
今や日本の遠洋マグロ船に乗っている船員のほとんどは、人件費が安い外国人だ。エサも、漁具も、燃料も、安い外国で仕入れた外国産だ。

マグロはデリケートな魚である。どんなに極上とされるマグロでも、獲れた直後に適切な処理をし、適切な温度で素早く冷凍しないと、刺身の味が悪くなる。マグロを刺身で食べるのは日本人固有の文化だ。
その食文化を持たない国の船員は、どうしても魚の扱いが雑になる。刺身の味の違いが分かる日本人船員でなければ、魚を丁寧に扱うことが出来ないのだ。

マグロの寿命は10数年で、7,8歳になってやっと卵を産むことができる。
黒潮に乗って日本近海にやってくるホンマグロの産卵場所は台湾の近くだが、まだ小さく、産卵したこともない幼魚を、台湾の2000トン級大型巻き網船団が獲り尽くす。
当然日本近海まで生き延びてやってくる大型のホンマグロは激減する。
自国近海に限らず、国際条約で定められた一国当たりの隻数をごまかすために船籍を第三国に移した台湾船(便宜置籍船)が、世界中の海でマグロを乱獲し続けている。

ミナミマグロの産卵場所はジャワ島沖の海域だ。そこで生まれた幼魚をオーストラリアの漁船が自国沿岸で待ち構え、巻き網で一網打尽にして日本に輸出する。
その一部をイワシのエサで不自然に太らせて畜養し、高級魚として築地市場に空輸する。

マグロを食べない国のマグロ業者たちにとって、マグロは食文化ではなく、ビジネスの対象に過ぎない。彼らにとって大切なことは、マグロの品質や将来のマグロ資源ではなく、今儲けることである。
だが、彼らばかりを責めることはできない。

どんな素性のマグロであっても買い取る日本の商社が存在するから、彼らはマグロを獲るのだ。
そして商社は、それを安いと言って喜ぶ日本の消費者がいるから、質を選ばずマグロを買いあさるのだ。
つまり、我々日本人こそが、自分たちの国の海洋文化、食文化、そしてマグロ資源そのものを、食い潰しつつあるのである。

このような現実を、斉藤健次はとても危惧している。
事の深刻さを理解している人間は非常に少ない。
現場に近い誰かが伝えていかなければならない。
もしかしたらそれが、自分の役割ではないか。
自分のライフワークとして、日本のマグロ漁師に取材し、彼らから話を聞き、それを陸の人間たちに伝えていく役割りを担うことはできないか、斉藤健次はそう考えている。

一般に漁師は寡黙で、自分の海での経験や漁労文化の現状を陸の人間に向かって自分自身の口で語ることがほとんどない。遊離している二者の間に立って、日本を取り巻く海や漁業の実態を正確に陸に伝えていく役割りを斉藤健次は果たそうとしている。

斉藤は、そういった活動を通して、自分自身に人生を教えてくれた海への感謝を込めて、マグロ漁文化に限らず、もっと海に目を向けて欲しいというメッセージを、日本の若者たちに届けたいと思ってもいる。
「今、日本の若者が働き口を探すとき、『陸』にしか目が行かないように思います。人生には、『海』という選択肢もあることを彼らに知って欲しいんです。そしてまた、日本の社会そのものが、働く場所として若い日本人が積極的に『海』に関わることができる社会に変わっていくことを、強く願っています」。
(文中敬称略)


斉藤健次氏経営の「まぐろ料理 炊屋(かしきや)」ホームページ
http://www2.ocn.ne.jp/~kasikiya/