1月16日 月曜日
風邪ひいた。
先週金曜日、ヨーロッパから帰る飛行機の機内がえらく寒く、毛布を2枚借りて、一所懸命包まって寝たのだが、ダメだったみたい。
先週末、どしゃ降りの雨だった土曜日と寒風が吹きすさんだ日曜日の両日とも海には出ず、家にこもった。『晴耕雨読』ではなく、『晴海雨読』が、自分にとって望ましい生活スタイルだ。
先週1週間の間に溜まっていた事務仕事と、外国とのメールのやりとり、そして新しくリニューアルする我がコンパスコース社のホームページの準備に費やした。
このホームページは、我がコンパスコース社徳島支社の支社長のMが、デザイン、制作、メンテナンスを担当している。ぼくは内容を勝手に指示したり、せいぜい原稿を書くくらいだ。Mにおんぶにだっこなのだ。
我が有限会社コンパスコース徳島支社は、一般企業をクライアントとするホームページの制作も業務としている。
なので、試公開用の現在の『とりあえず版』から、本格的なリニューアル版に変更するに当たって、Mはかなり力を入れて頑張っている。
さて、先週のヨーロッパ出張の余韻も残る今日は、少し、ヨーロッパと日本の海洋文化、マリンレジャー文化の違いについて考えてみようかと思います。
過去に雑誌に書いたエッセイに、ヨーロッパについて書いたものがいくつかあります。
その中から今日は、フランスのコートダジュール周辺を歩きながらぼんやり考えたことを書いた一文を、読んでいただこう、と思います。
少し長いので、今日は前編で、明日の日記に後半部を掲載することにします。
――――――――――――――
コートダジュール、その光と陰(前編)
西村一広
仕事で南フランスに行った。書くのも少しこそばゆいが、コートダジュールである。紺碧海岸である。
以前サルディニアカップのロングレースで、2日目の夜明けにマルセイユ沖に打ってあるブイを回って再びサルディニア島に戻るというレースがあったが、そのときにチラリと南フランスの地中海岸を見た。
それ以来である。
仕事が終わったあと、何日間か長居をして、この地方の海とその背後にある山間部を少し歩いてみた。
【メルシー!】
正直に言うと、これは偏見でも何もないのでフランスびいきの人は怒らないで欲しいのだが、ぼくはフランスという国を苦手としている。なぜだか分からない。
自転車ではなく、セーリングでフランスを回るツールドフランスという自転車レースと同名のヨットレースで、フランスの大西洋岸を何日もかけてセーリングしたとき。
世界一周無寄港世界記録を目論んだ艇のクルーとしての契約の打ち合わせで何度かパリに滞在したとき。
これといって特にいやな目にあったわけでもないのに、なんだかこの国になじめない自分に気が付いた。
もしかしたら、たまたま知っている何人かのフランス人が、揃いも揃って非常に激昂しやすい人たちである、というのも原因になっているかもしれない。怒りやすいことでは人に負けてない(らしい)ぼくから見ても、こめかみをピクピクと引きつらせて彼らが突然怒り出すさまは、予測しづらいこともあって、とても恐ろしい。
以前、アドミラルズ・カップで、マークの内側にオーバーラップしたベルナルド・パセ(フランス人マッチレーサー)が、向かい潮が非常に強かったこともあって中々ジャイブしてくれなかったとき、我々のタクティシャンだったジョン・コーリアス(テキサス生まれのアメリカ人)が業を煮やして「早くジャイブしやがれ、このカエル食い野郎(フロッグ・イーター)!」と声をかけた。
それを聞いたティラーを持つパセの顔が、見る見る紅潮して、一瞬のうちにシュウシュウと沸騰するヤカンのような表情になった。
パセはフランス語で何か叫び、後続艇にどんどん抜かれるのも構わず、マークのずーっと向こうまで我々の艇を連れて行き、ぼくは心底困った。
あのとき、パセの頭頂部から噴き上がる、「ドッカーン」という怒りの爆発音が聞こえたような気がしたほどだ。それ以来パセは禿げてしまった。
まあ、これは、フランス料理のカエルの美味しさを知らないコーリアスがパセを怒らせすぎたせいで、悪いのはこちらだが、パリのレストランでも、ちょっとウエイターの対応が遅いとバーン!と両手でテーブルを叩き、「メルシー!」と捨て台詞を残して立ち去るお客を何人も見た。
そんなこんなでぼくはフランスの人と国が恐いのである。
しかしいつまでも恐がっているのも大人げないし、きれいな女性も多いと認めてないわけでもないので、今回は意を決して、数日をかけてコートダジュールとやらを歩いてみることにした。
海岸に沿って走るフランス国鉄の各駅停車に乗って、気に入った駅で降りては、街と海岸線を見て歩いた。
【ピカソに敗北】
ニースを中心にした南フランスの海岸線一帯、すなわちコートダジュール地方は、19世紀くらいから貴族やお金持たちがヴァカンスを過ごすリゾート地として人気になった。
フランス国土の海岸線にいきなりのように存在する小国、モナコ公国もこの地域にある。
華やかなヨーロッパ社交界を間近に見て、泊まるホテルによっては自分たちもその一部になったような錯覚を味わうことも出来るとあって、遠くトウキョウからもツアー客が数多く訪れるらしい。
ニースを真ん中にして、西の方向にはアンティーブ、カンヌ、東の方向にはヴィレフランシェ、カップダイル、そしてモナコと、良質のハーバーが各駅停車の電車の時間にして、それぞれ10分から15分の距離に点在している。
それらの港の近くには、『鷲の巣村』と呼ばれる、急峻な岩の崖の上に城壁で守られた村々があって、独特の風景が展開する。
この、要塞のような村々を見ていると、この時代になんでそんなに守りを固めて生きているのだろう、と思う。
この地方や隣のプロヴァンスはギリシャ時代の古くから侵略が繰り返されてきた。プロヴァンスという地方名は『植民都市』という意味の古語に由来しているらしい。
他民族からの侵略に対抗する手段として、否応なく要塞のような村の構造ができていったのだろうか。
ニースに代表されるような都市には、驚異的な辛抱強さで石を並べていったに違いない石畳の道路と、何世紀経っても朽ち果てることのない堅牢で重厚な建築物が目立つ。
それらを見て、ヨーロッパ文化に敬意を感じながらも日本を懐かしむか、日本とは異なる趣のヨーロッパ文化に憧れを抱いて日本の紙と木の家を恥じるか、「都会は石の墓場だ。人の住む所ではない」というロダンの言葉を思い浮かべるか。その人の感受性次第だろう。
コートダジュールにはまた、ピカソ、マティス、コクトーらのアトリエが今も残されていて、アンティーブの町には12世紀に建てられた城を改造したピカソ博物館もある。
ちょっと芸術的な気分に浸ってみようと思い立ち、中をのぞいてみたが、なんということだ、すべての作品の説明がフランス語だ。
ピカソについての基礎知識もないから、サッパリ分からない。ピカソを知りたいのなら、まずはフランス語を勉強してから来なさい、ということなのだろうか。
展示品の中に大胆なデザインのネクタイがあって、「ピカソはネクタイもデザインしたのか!」、と感心して、訳知り顔でじっくりと鑑賞していたら、それは来場記念の安物の土産物だった。
この地方は、地中海の中でも多くのマリーナが集まっていることでも特徴がある地域だ。もともとの天然の良港をヨットハーバーとして使っているところもあるが、ここにヴァカンスに来るお金持ち層の大型艇をターゲットに開発されたマリーナも多い。
カンヌやアンティーブなどにある古くからの港の多くは、漁船や小型のヨット用に使われているが、比較的新しく作られたハーバーには、日本ではほとんどお目にかからない大型艇が居並ぶプライベートやパブリックのマリーナがある。
天才指揮者と言われた故カラヤンが、<ヘリサラ>という美しいレーシング・マキシを置いてレース活動の拠点にしていたのもこの近くのマリーナである。
(以下、後半は明日の日記で)
風邪ひいた。
先週金曜日、ヨーロッパから帰る飛行機の機内がえらく寒く、毛布を2枚借りて、一所懸命包まって寝たのだが、ダメだったみたい。
先週末、どしゃ降りの雨だった土曜日と寒風が吹きすさんだ日曜日の両日とも海には出ず、家にこもった。『晴耕雨読』ではなく、『晴海雨読』が、自分にとって望ましい生活スタイルだ。
先週1週間の間に溜まっていた事務仕事と、外国とのメールのやりとり、そして新しくリニューアルする我がコンパスコース社のホームページの準備に費やした。
このホームページは、我がコンパスコース社徳島支社の支社長のMが、デザイン、制作、メンテナンスを担当している。ぼくは内容を勝手に指示したり、せいぜい原稿を書くくらいだ。Mにおんぶにだっこなのだ。
我が有限会社コンパスコース徳島支社は、一般企業をクライアントとするホームページの制作も業務としている。
なので、試公開用の現在の『とりあえず版』から、本格的なリニューアル版に変更するに当たって、Mはかなり力を入れて頑張っている。
さて、先週のヨーロッパ出張の余韻も残る今日は、少し、ヨーロッパと日本の海洋文化、マリンレジャー文化の違いについて考えてみようかと思います。
過去に雑誌に書いたエッセイに、ヨーロッパについて書いたものがいくつかあります。
その中から今日は、フランスのコートダジュール周辺を歩きながらぼんやり考えたことを書いた一文を、読んでいただこう、と思います。
少し長いので、今日は前編で、明日の日記に後半部を掲載することにします。
――――――――――――――
コートダジュール、その光と陰(前編)
西村一広
仕事で南フランスに行った。書くのも少しこそばゆいが、コートダジュールである。紺碧海岸である。
以前サルディニアカップのロングレースで、2日目の夜明けにマルセイユ沖に打ってあるブイを回って再びサルディニア島に戻るというレースがあったが、そのときにチラリと南フランスの地中海岸を見た。
それ以来である。
仕事が終わったあと、何日間か長居をして、この地方の海とその背後にある山間部を少し歩いてみた。
【メルシー!】
正直に言うと、これは偏見でも何もないのでフランスびいきの人は怒らないで欲しいのだが、ぼくはフランスという国を苦手としている。なぜだか分からない。
自転車ではなく、セーリングでフランスを回るツールドフランスという自転車レースと同名のヨットレースで、フランスの大西洋岸を何日もかけてセーリングしたとき。
世界一周無寄港世界記録を目論んだ艇のクルーとしての契約の打ち合わせで何度かパリに滞在したとき。
これといって特にいやな目にあったわけでもないのに、なんだかこの国になじめない自分に気が付いた。
もしかしたら、たまたま知っている何人かのフランス人が、揃いも揃って非常に激昂しやすい人たちである、というのも原因になっているかもしれない。怒りやすいことでは人に負けてない(らしい)ぼくから見ても、こめかみをピクピクと引きつらせて彼らが突然怒り出すさまは、予測しづらいこともあって、とても恐ろしい。
以前、アドミラルズ・カップで、マークの内側にオーバーラップしたベルナルド・パセ(フランス人マッチレーサー)が、向かい潮が非常に強かったこともあって中々ジャイブしてくれなかったとき、我々のタクティシャンだったジョン・コーリアス(テキサス生まれのアメリカ人)が業を煮やして「早くジャイブしやがれ、このカエル食い野郎(フロッグ・イーター)!」と声をかけた。
それを聞いたティラーを持つパセの顔が、見る見る紅潮して、一瞬のうちにシュウシュウと沸騰するヤカンのような表情になった。
パセはフランス語で何か叫び、後続艇にどんどん抜かれるのも構わず、マークのずーっと向こうまで我々の艇を連れて行き、ぼくは心底困った。
あのとき、パセの頭頂部から噴き上がる、「ドッカーン」という怒りの爆発音が聞こえたような気がしたほどだ。それ以来パセは禿げてしまった。
まあ、これは、フランス料理のカエルの美味しさを知らないコーリアスがパセを怒らせすぎたせいで、悪いのはこちらだが、パリのレストランでも、ちょっとウエイターの対応が遅いとバーン!と両手でテーブルを叩き、「メルシー!」と捨て台詞を残して立ち去るお客を何人も見た。
そんなこんなでぼくはフランスの人と国が恐いのである。
しかしいつまでも恐がっているのも大人げないし、きれいな女性も多いと認めてないわけでもないので、今回は意を決して、数日をかけてコートダジュールとやらを歩いてみることにした。
海岸に沿って走るフランス国鉄の各駅停車に乗って、気に入った駅で降りては、街と海岸線を見て歩いた。
【ピカソに敗北】
ニースを中心にした南フランスの海岸線一帯、すなわちコートダジュール地方は、19世紀くらいから貴族やお金持たちがヴァカンスを過ごすリゾート地として人気になった。
フランス国土の海岸線にいきなりのように存在する小国、モナコ公国もこの地域にある。
華やかなヨーロッパ社交界を間近に見て、泊まるホテルによっては自分たちもその一部になったような錯覚を味わうことも出来るとあって、遠くトウキョウからもツアー客が数多く訪れるらしい。
ニースを真ん中にして、西の方向にはアンティーブ、カンヌ、東の方向にはヴィレフランシェ、カップダイル、そしてモナコと、良質のハーバーが各駅停車の電車の時間にして、それぞれ10分から15分の距離に点在している。
それらの港の近くには、『鷲の巣村』と呼ばれる、急峻な岩の崖の上に城壁で守られた村々があって、独特の風景が展開する。
この、要塞のような村々を見ていると、この時代になんでそんなに守りを固めて生きているのだろう、と思う。
この地方や隣のプロヴァンスはギリシャ時代の古くから侵略が繰り返されてきた。プロヴァンスという地方名は『植民都市』という意味の古語に由来しているらしい。
他民族からの侵略に対抗する手段として、否応なく要塞のような村の構造ができていったのだろうか。
ニースに代表されるような都市には、驚異的な辛抱強さで石を並べていったに違いない石畳の道路と、何世紀経っても朽ち果てることのない堅牢で重厚な建築物が目立つ。
それらを見て、ヨーロッパ文化に敬意を感じながらも日本を懐かしむか、日本とは異なる趣のヨーロッパ文化に憧れを抱いて日本の紙と木の家を恥じるか、「都会は石の墓場だ。人の住む所ではない」というロダンの言葉を思い浮かべるか。その人の感受性次第だろう。
コートダジュールにはまた、ピカソ、マティス、コクトーらのアトリエが今も残されていて、アンティーブの町には12世紀に建てられた城を改造したピカソ博物館もある。
ちょっと芸術的な気分に浸ってみようと思い立ち、中をのぞいてみたが、なんということだ、すべての作品の説明がフランス語だ。
ピカソについての基礎知識もないから、サッパリ分からない。ピカソを知りたいのなら、まずはフランス語を勉強してから来なさい、ということなのだろうか。
展示品の中に大胆なデザインのネクタイがあって、「ピカソはネクタイもデザインしたのか!」、と感心して、訳知り顔でじっくりと鑑賞していたら、それは来場記念の安物の土産物だった。
この地方は、地中海の中でも多くのマリーナが集まっていることでも特徴がある地域だ。もともとの天然の良港をヨットハーバーとして使っているところもあるが、ここにヴァカンスに来るお金持ち層の大型艇をターゲットに開発されたマリーナも多い。
カンヌやアンティーブなどにある古くからの港の多くは、漁船や小型のヨット用に使われているが、比較的新しく作られたハーバーには、日本ではほとんどお目にかからない大型艇が居並ぶプライベートやパブリックのマリーナがある。
天才指揮者と言われた故カラヤンが、<ヘリサラ>という美しいレーシング・マキシを置いてレース活動の拠点にしていたのもこの近くのマリーナである。
(以下、後半は明日の日記で)