ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

思い出す2ヶ月前

2012-06-22 17:23:26 | 日記・エッセイ・コラム

 まだ寒さの残る4月22日、ぼく自身に襲ってきた忌まわしい大怪我。あれからちょうど2ヶ月が経ちました。このブログもこの日を境にストップしてしまいました。

 いまだに寒いという実感の中で、初夏を迎えようとしているのです。今日も雨模様で陰鬱になってしまいがちです。お天気まで恨んでしまいがちのぼくの心なのですが、それよりも自分が描いていた回復への道がこんなに遠いものとは思いませんでした。

 毎日杖を頼りにリハビリを行っていますが、遅々として改善されないことに腹立たしくなるのです。親しい人は「なあに、1年はかかりますよ」といわれるし、ドクターは痛みはお盆くらいまで残りますから、といわれて暗澹としています。

 その一方で、大きなアクシデントから乗り切った親友の話に励まされ、多分ぼくもそうなるだろうと信じているのです。

 この2か月は随分早く去ったように思います。まだこれから多少は暑くなるのでしょうから、助かっていますが、これが冬だとしたら、とてもじゃないが、外を感じることなどしたくないと思い引きこもってしまうかもしれません。

 つかの間の夏の間に努力を続けようと自分に言い聞かせている思い出したくもない今日の日です。

やさしいタイガー


若者の就活変化

2012-06-22 12:04:37 | 日記・エッセイ・コラム

 今、就職活動をする大学生の間で少し考え方の変化があるらしい、とのニュースを知りました。というのは、就職活動というのは、いわば買い手市場の立場で行われ、自分の考えや価値観を隠して受身の立場にいたのが若者の姿でした。

 ところが最近、若者は就職希望先の仕事関連の事情を知る中に、その企業がどんな社会貢献をしているか、逆に聞き出そうとしているらしいのです。とてもすばらしいことだと思います。目線の高い企業が利益第一主義に走っているのなら、将来を考えてネグレクトするようになって来たのです。

 ぼくはかつて現役のころ、ある大企業のトップに寄付の要請をするために訪問したことがあります。半ば独占しているような企業ですが、そのトップの方は、「政党に資金をだすのも社会貢献の一つだ」といわれ、こういう体質が社会を清浄しない要因になっていると、愕然としたことを思い出しました。

 政党には予算的にも矛盾もなく寄付を出すが、一般団体には出せない、という回答でもあるのです。こうした風潮を当たり前のように受け止める企業や政党への怒りを覚えたものです。

 若者は、どのような活動を社会貢献と考えているのか、定かではありませんが、多分地域への素朴な活動の中身を知り、そんな企業への信頼を高めようとしているような気もします。働いていてもどこかに人間としての生きがいを見出そうとしているのかもしれません。

 ちょっとホッとするような思いを持ちましたが、それでも原発を持つ会社への忠誠心は、自分自身の身の安全を考えてのことで、本当は内に怒りをもっていてもやむなく沈黙をしているという良心的な人も多くいるでしょう。

 企業をとりまくさまざまな問題はあるにしても、本音を語ることを許さない日本の風土に若者はどのように迫っていくのか、楽しみでもあります。

やさしいタイガー


面白いラジオ放送

2012-06-21 14:18:24 | 日記・エッセイ・コラム

 地元の民間放送も含めて昨今のラジオ放送は結構面白い番組が多いのに気がつきました。入院中、お借りしたラジオが大きな時間を占めていて、退院後の今もお借りしたまま、放送を聴いているのです。

 その中で「世の中おもしろ研究所」というNHKの番組があります。お聞きになったことがありますか。いろんな仕事がある、ということを大づかみには知っていても、思わず「へえっ」と言いたくなるような職種を探してくる番組です。

 タレントの小堺一樹が研究所所長で、お笑いタレントがそれらの仕事の当事者を取材し、面白おかしく、そして厚かましく取材しているので、タレントの力ってすごいなあと思ってしまいます。たとえば先日聴いた放送ではこんな職業を紹介していました。

 ミスした当事者に替わって、相手方や取引先にお詫びにいく仕事です。徹底的に状況を聞き、どういう立場なのかを把握し、土下座の仕方も、言葉使いももちろん、態度や身分まで心得てひたすら「おわび」をするのだそうです。

 それで仕事は成り立つのか、と素人は思うのですが、それが成り立つらしいのです。今は十分ペイしているという起業者は話していました。またこの放送によると、最近のビジネスホテルでは3人部屋というのが繁盛しているらしく、いろんな場面を想定して、編み出された職業です。満室に近いのだそうです。

 十年一日同じ事を繰り返していては、人間の脳の働きが弱り、いつの間にか妥協して創造性や挑戦する気持ちを捨ててしまうことが多いのですが、つねに世の中がどう動いているのかをキャッチする新鮮な脳を持っていれば、仕事だけではなく、生きていくことも楽しく面白くなるのでしょうね。札幌にそういう仕事があるのかどうかは知りません。東京だから出来るといってしまえば、それまでですが。

やさしいタイガー


聡明に生きる90歳からの人生

2012-06-18 09:46:17 | 日記・エッセイ・コラム

 ぼくの周りには、90歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)と活動をされている先輩がいます。いつもそういう方と会うと、ぼくはとてもこの方のような人生を送れるとは思えない、と年齢の開きと壮健さに腰が引けてしまうのです。

 最近、90歳代のプロの作家が、90歳をどう生きるか、についてのエッセイや小説を発刊し、それらの本がまさに隠れたベストセラーの域にあるそうです。一度店頭を覗いてみてはいかがでしょうか。

 昨年の東日本大震災の後、99歳になる町の詩人が「くじけないで」という詩集を出されました。柴田トヨさんという方です。96歳のときご子息からの勧めもあって近所の人と詩作の会を作っておられたそうですが、まさか、このような本が爆発的に大衆の手元に届くとは予想もしておられなかったのでしょう。

 この「くじけないで」という詩は、実に感動的で示唆にとんだ詩ですが、地震で多くの人々が苦しんでいる姿を見て、何のお手伝いも出来ないもどかしさや自分の非力を思いつつ、ただテレビに手を合わす日々を送っていたとかかれています。柴田さんは、自分はもうこの年で何も出来ないことへの詫びる思いと、自分が彼岸の世界に行けば、そよ風を送りましょう、と優しく力づける詩を発表され、最後に「くじけないで」という励ましの言葉で終わっています。99歳のときに発表されたのですが、今は100歳になられ、詩人として名を知られるようになっています。

 このような人と実際に出会ったり、時には作品を通して心に触れるということは幸せなことではないでしょうか。周りのことも少しずつ見え始めるこの時期、国全体がどこかささくれだっている今の社会への嘆きの声は大きいでしょうが、やはり自分に出来ることを探し求めるのもよい人生の送り方かもしれません。

 何歳になろうともいつも聡明に生きることが大切なのでしょうね。

やさしいタイガー 


友遠方より電話

2012-06-17 18:54:55 | 日記・エッセイ・コラム

 早いというべきか、まだまだというべきか、ぼくには判断しにくいのですが、それでも骨折して手術を受け、退院してから3週間が経過しました。救急車で運んでいただいてからでも2ヶ月がすぎていきました。

 一向に納得できるような状態にならないことに、自分でも気がついているのですが、どうしても苛立ちを感じてしまいます。けれども暗くなりがちなぼくの心を慰めてくれるのは、友人たちの暖かい励ましの電話やメールなのです。

 あせらずゆっくりと励んで、という言葉には心が慰められます。今日の午後、神戸と愛知に住む古い友人から電話をもらいました。たまたま少々悩んでいるときに電話をくれたそうですが、そのときはすでに入院中で、びっくりして手紙をもらったのです。

 その友人がその後の経過を知りたいと電話をくれたのです。彼らは若いとき、ぼくから大いに励ましの言葉をかけてもらったと話し、あのときのファイトを思い出してリハビリに取り組んで、と逆に肩をたたかれているような思いで聞いていました。

 友人というのは、ほんとうにありがたいと思います。もちろん近隣の友人からも力づけてもらっているのは申すまでもありません。言葉の魔力とでも言うのでしょうか、言葉の持つ力は本当に大きいと感じています。

 今度の事故でいろんなことを学びました。きっとこれからの人生にも役立てることがあるような気がしています。少しよくなったら会いましょう、という言葉にもありがたく感じています。早くそうなるようまた自分に言い聞かせて一歩前進に向かいたいと思っています。

やさしいタイガー