こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

無人島で・・・2

2012-04-11 05:30:30 | 読書
   

前作の『漂流』吉村昭著に 感動した私は次に右側の『無人島に生きる十六人』須川邦

彦著を手にした。手にしながらも、「でもねぇ、この表紙。なんとかならん?まるで

パラダイスみたいな感じやん。」『漂流』で知った過酷すぎる無人島暮らしがまだまだ

脳裏に焼きついている私にはとてもこの表紙の絵が、嘘くさいものに思えてしかたあり

ません。これから小説を読みにかかろうとするのに 不信感というか先入観が内容を

疎んじてはならないはずなのに・・・。

 表紙をめくるといきなり【本部島絵図】という表紙の島の絵が、もう少し細かく書か

れています。とても青い海がきれいだし人の姿もマンガのようなかたちで目鼻立ちなど

省略です。これではうちの子供たちのフザケタ絵となんらかわりありません。本島に

つながったような小島には「あざらし半島」と名前も書かれこちらの小説にはあまり

悲壮感がないのがイラストでも解かります。その裏ページには【龍睡丸漂流関連図】

という地図が載っています。日本列島が左上に書かれ対岸にはアメリカ合衆国・ロサン

ゼルスを出航した帆船がちょうどハワイ諸島にむかっているようです。そして小さな

地図の中にもう一つ、今度はハワイ諸島の島々の名前と位置が書かれた地図です。

南にあるハワイ島・マウイ島・オアフ島・カウアイ島などはよく耳にするけど行ったこ

ともないし、そこから西北?北西?にあるのがミッドウェー島だそうだ。今回はその

近くのパール・エンド・ハーミーズ島が舞台のようだ。星印がついてる。と、見ながら

大きい地図にある新鳥島(南鳥島)と書かれた文字に目がいき「あぁ長平達はこの鳥島

あたりに流れ着いたのかも・・」とまたもや『漂流』に戻ってしまいます。

 この小説も『漂流』と同じ、実際に起こった海難事故からの漂流生活をこちらは

当事者であったのちに東京高等商船学校の教官となった中川倉吉先生から聞いた話を

教え子の須川邦彦氏が、昭和十六年から少年クラブに掲載した・・・ものだそうだ。

まえがきに中川倉吉氏が文を寄せているのだけど、小説の始まりに「これは、今から

四十六年前、私が 東京高等商船学校の実習生として・・・」とあるので「掲載された

のが昭和16年で、それより46年も前に聞いた話って明治かよ~!」と私は布団の中

でひっくり返ったのだ。長平が江戸時代に苦難の無人島生活を送ったそのあと何十年か

あとにも漂流生活する日本人がいたんかよ~!という、気持ち。そりゃぁ 海難事故は

全世界で起こるし、日本の船も大事故は起きるだろうけど 江戸時代から造船技術は

格段に進歩したはずだ、でも今のように気象や海図のレーダーやコンピューター操舵

のない時代だから夜中の目視や嵐のなかの躁船は命懸けだったと思う。

 それにしても話の滑りだしも なんかおっとり・のっぺりしたような感じだったけど

出航した『龍睡丸』は76トン、二本マストのスクーナー型帆船で北の果て千島列島先

端の占守(しゅむしゅ)島と内地との連絡船だった。冬の間は島と内地は雪と氷で往来

ができず、秋から翌春まで東京の大川口に『龍睡丸』はつながれていた。船の番人を

残し、乗組員をみな船から下ろしてしまっていた。乗組員たちは春になって呼び集め

られるが、各船が一斉に活動するので腕のいい乗組員はなかなか集められない。そこで

船が冬ごもりをしている間に、南方の暖かい海、新鳥島から小笠原諸島方面に出かけて

漁業調査をし、春に戻る計画を立てた。調査結果が良ければ 冬じゅう繋がれた船が

南方で働くことができ、それは日本のためにも本当にいいことだった・・そうだよ。

 この時代から、日本は海洋資源を求め北に南に繰り出していったわけだ。文章にも

よもやその100年後には世界中から クジラを獲ってはいけない!マグロの大量捕獲

もいけません!タコもエビもカニも日本人は消費し過ぎ・・なんて言いたい放題言われ

るなんて誰も思わなかったはず。この時代の日本は 自給自足で未来永劫国家が成り立

つと思っていたのだろうし、海の資源も限りなく豊富にあり、それを海外に売りさばく

算段もしていたんやろね。まぁその方向は昭和40年ごろまではなんとか成り立ってい

たと思う。

 この船の船員たちは遠洋航路の乗組員にしては 「けっして酒を飲みません」という

ことを実行した。狭い船の中、お酒でもないとテレビもないし暇で暇でしょうがない

のに。この時点でぼくらさんのようなお方は乗船できない。でもこれもこの時代の

それなりの考えかもしれません。この頃は 船にお医者が乗っていないのが普通で、

そのせいで不幸な事故が起こっていたそうだ。オットセイ猟船では船員全員が天然痘に

罹り絶滅するという時に、海岸に流れ着いたとか、南洋貿易の船では脚気に罹り動けな

くなってやっと三人が甲板を這いまわって、小笠原島に流れ着いた・・などの話はたく

さんあるという。まぁオットセイを獲りきる罰だったのかもしれへんけど。『龍睡丸』

は脚気予防に麦飯をとることにしていた。白米と麦を半分ずつで乗りきる。

 必要なものを倉庫や備蓄庫に運び入れて出航しても しけにあってそれらのものが

海に投げ出されたら 何もできない。長平たちは火打石も海中に落としてしまい長い間

ナマの鳥肉で飢えをしのいだ、やはり人間には火が必要なのだ。

 『漂流』の乗組員たちを思うと、こちらの話がとてもとても恵まれていておまけに

仲間が十六人もあり、誰ひとり精神を病むことなく楽しく救助されるまで暮らしていた

と想像したら、私は無性に腹が立ってきたのだ。造船技術の進歩があったのも事実だけ

ど、『龍睡丸』より先に不幸にも海難事故にあい、生き残った人達の情報があってこそ

の生存率があがったんじゃないか!江戸時代の人を見てみ!十数年経って戻ってくると

聞いた嫁は、もう死んだと思って婚家を去って再婚し、元夫が捜しに来ると思い逃げ回

ったり、この航路がすんだら祝言をと言って待ち続けたけど遺髪や遺骨になった許嫁、

同じ村から乗りあわせながら 片方だけ生き残ってしまった家族・・・そんな非情さな

どないのだ。長平達と同じようにアホウドリを捕まえ、なんということかカメを捕まえ

「カメ牧場」を浜辺に作った。イラストには片方の後ろ脚に縄でくくり逃げ出さないよ

うカメをひっくり返している。動物虐待だ。そこまでするか?大きなカメの肉を食べ

甲羅や骨を燃料にする、しまいにはアザラシを飼いならしていたが病人がでたため

そのアザラシの胆(きも)を飲ませようとしたくだりには、私も唖然とした。いや、

でもそれは現代人の私の感覚なんだと思う。胆(きも)を飲ませたら治るだろうと

ただ単に「胆汁不足だから苦い胆を飲ませたら効くだろう。アザラシの胆をとって飲ま

るのが一番いい。クマの胆嚢を「熊の胆(い)」といって妙薬とされてるから、アザラ

シでも効き目があるにちがいない」って、そんだけの話し合いで・・だ。小説の中では

なついたアザラシを殺すことへの逡巡が書かれてはいるけど、どっちみち最後は

「人間のためにお役に立て。あのように魚もカメも人間の命を助けているのだ」となる

のだな。いつから人間はそこまで偉くなったんやろね、人間のために生きてるわけない

やん!

小説の中に小笠原老人という人がいて、もともとは大西洋沿岸ナンテカット島生まれの

おじいさん、父親も小笠原老人もアメリカ捕鯨船に乗っていた。おじいさんが青年時代

太平洋の日本沿岸、金華山沖に何千頭(おおげさな)ものマッコウクジラの大群を発見

し各国の大小七百隻の捕鯨帆船が金華山沖に集まったそうだ。このときアメリカ中の

捕鯨船もあつまり、めちゃくちゃにクジラを獲った・・・・って書いてある。過去に

獲るだけ獲っておきながら日本に獲るなって、どの口が言うんでしょ!くち、ひねった

る!1823年にそのアメリカ捕鯨船が 小笠原の母島を発見した。港も良く、寒さ知

らずなうえ、飲料水となる水も湧き出、木が茂ってたきぎもとれる。乗組員は上陸し

のちに家をたてた。そこで小笠原老人は生まれ、のちに帰化人となり小笠原姓となった

ようだ。?あの大巨人軍様の「小笠原なんとか」も先祖は小笠原諸島なのか?

 救助されるまでに十六人はきちんと一日を有意義に過ごし、いさかいもなく船長、

中川氏に従い無事に発見してもらう。


 そりゃぁ、明治時代に難破して無人島で生き残るということは、苦しかっただろうと

思うけど、江戸時代のことを思えば、江戸時代でもそれより前の時代のことを思えば

人間いろんなことを学んでいるから対処の仕方もあったやろね。

それにしても どちらの小説の日本人は今の日本人と比べて性根が座っていることか。

道具がなければ工夫して造り、造れないなら代用のものをこしらえていく。読みながら

「案外、日本人の器用さや頭の柔軟さって生きていく根っこみたいなものかな。」と

思ったのだ。こちらの本は、たぶん中学校くらいまでの読み物だったと途中で思ったけ

ど、長平達と違い「先生」といわれる人や授業形式で現状にあった測量をしたり、字を

覚えたりとまさに合宿みたいな「無人島暮らし」をする内容に、私は「これはあかん」

と本を閉じたのでした。


語尾が・・・ (ぼんくら)
2012-04-12 05:17:46
何を言おうとしているのか解らないのですが、ただ単に乗船できないのでしたら、できないのではなくて、こちらからしてあげないです。

でもお酒もテレビも無くても生活は出来ると思ってますよ。現に5年ぐらい前の入院生活ではそうしていました。本はたくさん読みましたけどね。

酒の無い生活、いいですね、憧れます。きっと痩せれると思います。体の健康にはいいのですが、心の健康にはどうでしょうかね?
訂正しました (凹)
2012-04-12 09:20:30
書き間違いでした。ぼんくらさんはお酒が好きだし、お酒を介してお友達もたくさんできるしそこのところはいいのですが(お友達ができるとこね)。

小説の中に「世界中の海員の親友は、酒である。外国人は、みんなそう信じていた。ところが、龍睡丸の連中が、酒と絶好している事実を見せていたことに外国人は驚いた。ちょうどこの時、ホノルルの港にアメリカの耶蘇教布教船が碇泊していて、、船仕事ができ、品行正しい、禁酒の海員をほしがっていた。龍睡丸の乗組員、運転士、水夫、漁夫まで自分の船に引っ張ろうとした。龍睡丸ではまた遭難するだろう。月給は安いだろう、食事は麦飯か?布教船では三度の飯は洋食だし月給はうんと高い。制服、靴、制帽の支給はあるし個室だ。風呂も毎日入れるし、水もふんだんに使える。航海はしけ知らずの碇泊ばっかりで、お説教が毎日きかれる。」と言って勧誘するも 十六人は揺らぎもしなかった・・これがまたひじょうに外国人を感動させた・・・」とありました。当時の日本人の主に仕える姿というか、金銭ではなく使命感みたいな美学のようなもんでしょうね。この姿が「龍睡丸乗組員は、世界の海員のお手本だ」といわれ、日本領事館に義損金を申し込んだり、品物の寄贈があったが修繕は日本人だけですることになっているのでお受けできない。品物は船に送りましょう・・

明治時代、これからのち日本という国が海外に良いも悪いも出ていく前の、真っすぐな日本人たちだったと言いたいような感じを受けたんですが。

テレビのない生活はぼんくらさんならできそうですね。私はあかんなぁ・・こう紫外線が強くなってきたら、ますます外に出たくないわ。






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