8月16日の夕方から 地区の浜辺に切子灯篭を持ってそこで和尚さんにお経を貰い 一斉に焼きます。それまでにこの一年で
亡くなった方々の切子灯篭が海に向かって吊り下げられ それぞれのもとに砂が盛られそこにお線香とろうそく、おりんの代わりの
平たい鐘を家族が用意し浜に集まった地区の人たちに焼香してもらいます。昔は 浜で送るのは地区の海側に住む人で、うちは
山のほうだったので川で送ったのですが いつからか私の住む地区も浜で送るようになりました。何度か知人の精霊送りを
させてもらいに来たことはあったけど、だいたいがこの時期台風とか嵐のような雨のことが多く、お参りする方も遺族のほうも
その吊り下げた灯篭やろうそくの火がすぐに消えたり 線香に火がつかない(束で燃やすので)というドタバタがあり、
おばあちゃんは線香の火をつけることばかりをおじいちゃんが元気な時から 「強力ライターを用意しとかな」とばかり心配
していました。だから 私ははやばやと七月から 風除けカバー付きのライターを用意しもうひとつ電子ライターも用意し
二段構えにしました。風対策はそれでいいけど 雨だと切子灯篭が車から浜までの間に濡れてしまう上 灯篭自体そのままだと
1メートル以上の長さになるので濡らさずに、ひらひらを踏まずに持ち運ばなければなりません。それぞれ大きな袋に入れて
もってくるのですが 町指定のゴミ袋大がなんとか入るサイズのようですが 我が家では漬物をつけるときに使う桶に使う
透明ビニール袋を用意したらピッタシでした。ひらひらは灯篭の上部の屋根にクリップで仮止めして姉夫婦が持って浜へ。
お寺の総代さんたちが吊り下げるところや 後の焼却でつかう穴を掘っていてくれたりするので助かります。
ただ、今回のお盆前に檀家寺の和尚さんが体調不良で倒れられ13日の棚経(初盆の家に和尚さんが来てくれる)は
おとうさんの実家がある地区の和尚さんの弟和尚さん、15日のお寺での施餓鬼供養(初盆の家の家族が一同に集まって供養する)
は和尚さんのお父さんの和尚さんとピンチヒッターになってなんとか、お盆を済ませようと・・。弟和尚さんもお父さん和尚さんも
それぞれお寺があるのでそっちの初盆供養行事もあるので 大変だったと思います。お盆行事は例年行われることなので 和尚さんも
そう慌てないでしょうが 自身が急病とかお葬式が入るとか想定はしていてもどちらも突如お盆行事に参入してくるのですから
その一連に関わったお寺の総代さんたちも大変だったでしょうね。私たち遺族は プリントされた手順に従うだけですから・・
とはいえ、何を書こうかと・・・一週間も時が開くと私の頭も停止です(笑)
そう、まずは 静岡から弾丸の一泊帰省のはずだった次男君が12日のお昼から15日の朝九時まで帰ってきてくれたこと。
お正月の帰省とそのあとおじいちゃんの急変で松阪まで行ったところをUターンしてお葬式に参列してくれてから、7カ月以上
経っていて その間の連絡も皆無でしたので私の毎日のため息はそうとうでした。その翌日には長男君が帰省して、ひっさびさの
親子4人がそろった。おとうさんが奮発してウナギを夕食にしようと提案したので ちょうど亡くなった姉の娘夫婦としんちゃんが
おばあちゃんのいる母屋に泊まってくれることになったのでそれぞれ母屋と離れでにぎやかな夕食となりました。
おとうさんと次男君はおとうさんの実家の初盆参りに行ったり、おとうさんは次男君の車を運転するのが嬉しくて仕方ないようです
ただ男の子は 自分から先に立って手伝いをしてくれないので 私が○○してくれんかな・・と言って手伝ってもらうので時間が
食って仕方ない。それでもお墓に行ってくれたり黙々と文句も言わずにやってくれるのは社会人として 世間を知ったからなんだろう
ただ・・・うちの子供たちは帰省時に自分の休暇中に着る服を一着も持ってこないのはなぜ?車で帰ってくるなら着替えを積んでも
重くはないやろ・・・長男君よりおしゃれな次男君でもそうだから長男君にいたっては、バッグにスマホの充電器と髭剃りだけ。
今どきの若者はわからん・・・、したがって家にいるときは家にあるTシャツに短パン。もう二人とも四捨五入をしたら三十歳!!
浜での精霊送りには次男くんは出られずお盆前に静岡に戻ることになったけど それは二人のおじいちゃんたちは十分わかってくれて
いるので無事に帰ることを念じました。
それにしても お盆までは初盆のお参りに来てくださる人がいるためそうそう家を空けることもできず かといって来ない時間は
何をするでもなく蒸し暑い部屋でただ待っている・・・大変さ(笑)先に書いたようにエアコンの無い母屋で吹き出る汗に四苦八苦。
おとうさんの実家では義母が自身もそうだし 来てくれるかたも高齢で立ち居が危ないので座布団で正座するより ちょうどいい
高さの椅子にしていた旨を言ったら、おばあちゃんも納得して「それはいいね。私も立つときにふらつくから。その椅子買ってきて」
と言ったのに買ってきたら、ほんの二、三日しか仏壇の前に置いてくれない。私が「せっかく買ってきたのにおかしいやろ、」と言うと
「それなら座布団と椅子と両方置いて好きなほうに座ってもらう」・・・おかしいよね。案の定来てくれた人は「どっちでいいの?」
椅子の手前に座布団置いていたらなんとなくみんな座布団で手を合わせているやん。思うにおばあちゃんと言う人は
亡くなったおじいちゃんに負けず劣らず 絶対自分を曲げない人だ。口では「お前らがしたいようにしてくれたらいい」なんて
言いながら 恐るべき長女的支配をするのだ(笑)、おじいちゃんは自分で決めて相談しなかったと愚痴る前に 自分も同様で
あることになぜ気がつかないのか。義母の家に来てくれる人は「これに座ったらいいんやね」と気さくに言うのに、おばあちゃんは
格式ばったことをしたがるのに体がついていかないことは関係ないのだ。で、来客の来なくなった今椅子は仏壇のまえにちゃんと
置いて日々のお勤めの際は使っているのであろう・・・長女で生まれたおばあちゃんと三女で生まれた私とでは 時代の格差のせいで
あっても融合はしないのだと思う。友人には長女生まれが多いのだけど 平和な時代に生まれたせいか「長女的やから合わへんわ」
という友人はいない。私にはあれこれ指図的口調なのに姉夫婦、義兄には絶対そういうふうに言わないのがよけいに私の反感を買うの
だということも本人は全くもって気がついておりません。
精霊送りの浜辺
うちのは真ん中に吊り下げられたものです。まだ他家の切子灯篭はやってきていないので閑散としていますが、夕方の浜は風が吹くため
灯篭の中にろうそくは入れないことにしました。おじいちゃんは早くあの世に行きたいのかなびいております(笑)
和尚さんのお経を貰いながら 灯篭を掘られた穴に入れて総代さんたちが焼いてくれます。このとき 卒塔婆や施餓鬼供養のときに
渡してもらった白木の位牌と色紙の旗、初盆で使った提灯なども紙袋に入れ焼却します。その間 遺族は鐘をチンチンと打ち鳴らし続けます。
なぜか我が家にもあったはずの精霊送りの時に使う鐘がみつからず 普段の仏壇のおりんを持参しました。台座と棒はあるのに・・と
思っていたら、お盆後片付けていたら出てきました。私はすき焼き鍋をひっくり返したような形の鐘と呼んでいます。
この海の向こうで 義父も同じように見送られて帰っていくのでしょうね。うまく合流できたかしら・・・
亡くなった方々の切子灯篭が海に向かって吊り下げられ それぞれのもとに砂が盛られそこにお線香とろうそく、おりんの代わりの
平たい鐘を家族が用意し浜に集まった地区の人たちに焼香してもらいます。昔は 浜で送るのは地区の海側に住む人で、うちは
山のほうだったので川で送ったのですが いつからか私の住む地区も浜で送るようになりました。何度か知人の精霊送りを
させてもらいに来たことはあったけど、だいたいがこの時期台風とか嵐のような雨のことが多く、お参りする方も遺族のほうも
その吊り下げた灯篭やろうそくの火がすぐに消えたり 線香に火がつかない(束で燃やすので)というドタバタがあり、
おばあちゃんは線香の火をつけることばかりをおじいちゃんが元気な時から 「強力ライターを用意しとかな」とばかり心配
していました。だから 私ははやばやと七月から 風除けカバー付きのライターを用意しもうひとつ電子ライターも用意し
二段構えにしました。風対策はそれでいいけど 雨だと切子灯篭が車から浜までの間に濡れてしまう上 灯篭自体そのままだと
1メートル以上の長さになるので濡らさずに、ひらひらを踏まずに持ち運ばなければなりません。それぞれ大きな袋に入れて
もってくるのですが 町指定のゴミ袋大がなんとか入るサイズのようですが 我が家では漬物をつけるときに使う桶に使う
透明ビニール袋を用意したらピッタシでした。ひらひらは灯篭の上部の屋根にクリップで仮止めして姉夫婦が持って浜へ。
お寺の総代さんたちが吊り下げるところや 後の焼却でつかう穴を掘っていてくれたりするので助かります。
ただ、今回のお盆前に檀家寺の和尚さんが体調不良で倒れられ13日の棚経(初盆の家に和尚さんが来てくれる)は
おとうさんの実家がある地区の和尚さんの弟和尚さん、15日のお寺での施餓鬼供養(初盆の家の家族が一同に集まって供養する)
は和尚さんのお父さんの和尚さんとピンチヒッターになってなんとか、お盆を済ませようと・・。弟和尚さんもお父さん和尚さんも
それぞれお寺があるのでそっちの初盆供養行事もあるので 大変だったと思います。お盆行事は例年行われることなので 和尚さんも
そう慌てないでしょうが 自身が急病とかお葬式が入るとか想定はしていてもどちらも突如お盆行事に参入してくるのですから
その一連に関わったお寺の総代さんたちも大変だったでしょうね。私たち遺族は プリントされた手順に従うだけですから・・
とはいえ、何を書こうかと・・・一週間も時が開くと私の頭も停止です(笑)
そう、まずは 静岡から弾丸の一泊帰省のはずだった次男君が12日のお昼から15日の朝九時まで帰ってきてくれたこと。
お正月の帰省とそのあとおじいちゃんの急変で松阪まで行ったところをUターンしてお葬式に参列してくれてから、7カ月以上
経っていて その間の連絡も皆無でしたので私の毎日のため息はそうとうでした。その翌日には長男君が帰省して、ひっさびさの
親子4人がそろった。おとうさんが奮発してウナギを夕食にしようと提案したので ちょうど亡くなった姉の娘夫婦としんちゃんが
おばあちゃんのいる母屋に泊まってくれることになったのでそれぞれ母屋と離れでにぎやかな夕食となりました。
おとうさんと次男君はおとうさんの実家の初盆参りに行ったり、おとうさんは次男君の車を運転するのが嬉しくて仕方ないようです
ただ男の子は 自分から先に立って手伝いをしてくれないので 私が○○してくれんかな・・と言って手伝ってもらうので時間が
食って仕方ない。それでもお墓に行ってくれたり黙々と文句も言わずにやってくれるのは社会人として 世間を知ったからなんだろう
ただ・・・うちの子供たちは帰省時に自分の休暇中に着る服を一着も持ってこないのはなぜ?車で帰ってくるなら着替えを積んでも
重くはないやろ・・・長男君よりおしゃれな次男君でもそうだから長男君にいたっては、バッグにスマホの充電器と髭剃りだけ。
今どきの若者はわからん・・・、したがって家にいるときは家にあるTシャツに短パン。もう二人とも四捨五入をしたら三十歳!!
浜での精霊送りには次男くんは出られずお盆前に静岡に戻ることになったけど それは二人のおじいちゃんたちは十分わかってくれて
いるので無事に帰ることを念じました。
それにしても お盆までは初盆のお参りに来てくださる人がいるためそうそう家を空けることもできず かといって来ない時間は
何をするでもなく蒸し暑い部屋でただ待っている・・・大変さ(笑)先に書いたようにエアコンの無い母屋で吹き出る汗に四苦八苦。
おとうさんの実家では義母が自身もそうだし 来てくれるかたも高齢で立ち居が危ないので座布団で正座するより ちょうどいい
高さの椅子にしていた旨を言ったら、おばあちゃんも納得して「それはいいね。私も立つときにふらつくから。その椅子買ってきて」
と言ったのに買ってきたら、ほんの二、三日しか仏壇の前に置いてくれない。私が「せっかく買ってきたのにおかしいやろ、」と言うと
「それなら座布団と椅子と両方置いて好きなほうに座ってもらう」・・・おかしいよね。案の定来てくれた人は「どっちでいいの?」
椅子の手前に座布団置いていたらなんとなくみんな座布団で手を合わせているやん。思うにおばあちゃんと言う人は
亡くなったおじいちゃんに負けず劣らず 絶対自分を曲げない人だ。口では「お前らがしたいようにしてくれたらいい」なんて
言いながら 恐るべき長女的支配をするのだ(笑)、おじいちゃんは自分で決めて相談しなかったと愚痴る前に 自分も同様で
あることになぜ気がつかないのか。義母の家に来てくれる人は「これに座ったらいいんやね」と気さくに言うのに、おばあちゃんは
格式ばったことをしたがるのに体がついていかないことは関係ないのだ。で、来客の来なくなった今椅子は仏壇のまえにちゃんと
置いて日々のお勤めの際は使っているのであろう・・・長女で生まれたおばあちゃんと三女で生まれた私とでは 時代の格差のせいで
あっても融合はしないのだと思う。友人には長女生まれが多いのだけど 平和な時代に生まれたせいか「長女的やから合わへんわ」
という友人はいない。私にはあれこれ指図的口調なのに姉夫婦、義兄には絶対そういうふうに言わないのがよけいに私の反感を買うの
だということも本人は全くもって気がついておりません。
精霊送りの浜辺
うちのは真ん中に吊り下げられたものです。まだ他家の切子灯篭はやってきていないので閑散としていますが、夕方の浜は風が吹くため
灯篭の中にろうそくは入れないことにしました。おじいちゃんは早くあの世に行きたいのかなびいております(笑)
和尚さんのお経を貰いながら 灯篭を掘られた穴に入れて総代さんたちが焼いてくれます。このとき 卒塔婆や施餓鬼供養のときに
渡してもらった白木の位牌と色紙の旗、初盆で使った提灯なども紙袋に入れ焼却します。その間 遺族は鐘をチンチンと打ち鳴らし続けます。
なぜか我が家にもあったはずの精霊送りの時に使う鐘がみつからず 普段の仏壇のおりんを持参しました。台座と棒はあるのに・・と
思っていたら、お盆後片付けていたら出てきました。私はすき焼き鍋をひっくり返したような形の鐘と呼んでいます。
この海の向こうで 義父も同じように見送られて帰っていくのでしょうね。うまく合流できたかしら・・・