こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

古きをたずねたら・・・

2017-07-26 05:30:00 | 我が家
やはり今週も暑い。が、未明に雨が降りだしそれも就寝中「なんか 蒸せるなぁ」と目が覚めたときに降りだした。

頭の中で「やっぱ、昨日の夕方に庭に放り出した一応 今は捨てない・・部類のものを中に入れておいてよかったな」と

思いつつ、きょうは生ゴミの日だわ~ いくつあったかな・・結構重いものになっていたし・・と考えていた。

目覚まし時計を止めて、う~だるッ!と起きようか起きまいか・・きょうは雨やし 洗濯物を急いで干すこともないけど

ゴミを出しに行かねば・・六袋あるんだ・・あのごみ置き場は 二軒が出すだけなので早い者勝ちで先に満杯にしても

苦情も来ないし、設置場所は私んちだし 周りの草を刈っているのも私だし…。雨が降っていると一輪車に乗せていくのも

下手したら雨合羽を着てということにもなるので、そうしたら片道三分ほどの距離でも二回運んだら汗だくで、着替える羽目に

、で、雨だと洗濯物が乾かない・・だぁ~な気分・・・。納屋の片付けが背中に乗って それでなくても気分が重いのに・・

等々 はっきりしない朝の頭はマイナスなことの連続をぶっちぎっているのだ。雨の切れ目に ゴミ出しを終えたら

まだ少し動けそうなので 自転車に乗って近くの集会所のペットボトルステーションと乾電池回収箱に行ってきた。

それでじゅうぶん 着替えることになってしまったのだが、まぁ仕方ない。


先週末から本腰を入れて納屋とおばあちゃんが≪醤油小屋≫と呼ぶ まぁ 漬物類を貯蔵しておく部屋の片付けに右往左往している。

あら、今まで生きてきて≪右往左往≫という言葉を使った記憶が無いくらい、珍しい。

納屋の中は 百姓道具と精米用品、その奥の小部屋には 古い木のおけ、何を入れたのか?十分人が入れるくらいの 土葬時代の

棺桶みたいな大きさ。恐る恐る蓋を取ると なかには精米したお米や玄米を入れておく米袋がきれいに畳まれて入っていた。

私が中学生時代ごろから 米袋もナイロン製?ビニール製?なものに変わってきたので 以前の紙製の袋をとっておいたようだ。

この≪とっておいた≫という言葉が、我が家のゴミ屋敷化に拍車をかけていることを おばあちゃんは知らない(気がついていない)

納屋といい 家の中といい またも出ました「何かに使えるかも」という何にも使わず もう二十年以上残しておいたままのゴミが

生き生きとした表情で それならまだいいけど、待ちくたびれて 段ボールの底は白アリに食いつくされ、持ち上げようものなら

一気に底抜けで その中にうごめく白アリの幼虫に 卒倒しそうになりながら「ここは 見なかったことにしよう」と殺虫剤を

まき散らして重い引き戸をガシャンを閉める。解体準備のために 電気を切ったので 小さい窓からの光で ゴミを仕分けていくと

いう毎日。週末におとうさんが参加したので その日は≪醤油納屋≫の 見るもおどろしい漬物類の瓶との闘いでした。

こういうこと(解体する)がないと それらは私の代に代送りされ 田舎に住むかどうかもわからない子供たちに つないでいく

まさにこれも≪負の遺産≫となってしまう。いまはやりの 終活 の一つとして捨て去るものは捨て去ろう・・

漬物類の中でも さすが和歌山県人 梅干しがダントツ!!昨今のものあれば 瓶には昭和60年代のもの、もう記入したラベルが

剥げ落ちてしまって、いつの製作やらわからないモノが多い。梅酒だけのもの、梅シソだけのもの、梅干しだけが 真っ黒になったもの、

たぶん梅だろうというようなものまで出てきた。今回はガラス瓶やカメに入ったものを廃棄したのだけど 実はおばあちゃんが言うのに

嫁ってきたときに お姑さんがいて そのお姑さんが亡くなって何年かたってからここを片付けたときに梅干しが出てきて捨てようとしたら

お舅さんが「おばあさんが漬けた梅だ!」と目の色を変えて怒ったので 以来そのまま放置している木の樽があるそうだ。お舅さんには

後妻になるし 乳飲み子のおじいちゃんを育てた恩があったのか かなり気ままなお姑さんだったそうだ。おばあちゃんも いびられたらしい。

そのうえ 私たち姉妹にも格差をつけて育てたらしく 私などは目にも入れてもらえなかったみたいで 私の祖母の記憶は 祖母のお通夜の

シーンしかないのだ(笑)。何事も この家を継いでいくのは長女であると ・・・そんなもん 見事のぱぁに吹き飛んでいることもあの世で

歯ぎしりしているのだと思うし 祖父がそれをなだめているのだろうと想像できる。なので 私は 可愛がってももらってないので

そんな古くさい梅干しなどは捨ててしまえ!と笑いとばしたのだ。

おとうさんが瓶を出し、私がふたを開け おばあちゃんが捨ててビンを洗って  廃棄する瓶や容器を袋に分けて仕分けしていく。

なかにはふたが劣化し どうにもこうにも開けられないモノがあったり、梅干しはそのまま捨てたら重いので 日に干して幾分軽量化した

つもりでも 相当重かった。納屋には 赤玉ワインの大びんが十数本出てきて 空の瓶もあれば 中身がもち米というのがあった。

もち米も植えていて お正月のお餅を作った後に 一升か二升残ったら保存瓶としてこれに入れていたそうだ。ここでも 次にお餅をつくときに

使おう・・だったのが、一年たつと古米だから新米と混ぜたら 若干口の肥えた(お米の味がわかる)おばあちゃんには 我慢ができなかった

んだろう。とはいえ 日本人だからせっかく育てたお米をポイポイと廃棄することはできずに 納屋の薄暗い隅っこに幽霊みたいに

赤玉ワイン大びんを並べて記憶のずっと向こうに置いたままにしておいたのだと 思う。それを 私が日の当たる外に出して 蓋を開けて

逆さに振ってもすんなりと出てこない。ここは、昭和の戦時中ドラマのように 一升瓶に玄米を入れて棒で突いているあのシーンさながらに

ズクズク(そう聞こえる)突いたら スッと出てきた。申し訳ないけど このもち米も廃棄処分。いつ捨てるか?今でしょ!!だ。

重たいカメが出てきたときは 中身を想像したら気絶しそうになった。なにやら もうアメーバ状とかカピカピに乾燥しまくった何か?だったり

発酵した液体とか・・・うんしょと持ち上げたら意外と軽いので 外に出してふたをとると どうやらお味噌を入れたカメで お味噌はもうなかった

けど、洗わずに忘れていた?・・・梅干しもお味噌も 漬けた本人は忘れていたですんでも これを残された私はやり場のない怒りが湧いてきそう。

いまは こうして目的をもって廃棄処分にまい進しているから笑えるけど 遺産としてもらっても嬉しくもない。なかには ≪負の遺産≫ではなく

立派な遺産も出てきました。しかし それがいつのものなのか おばあちゃんも知らないというから 味見をするのもためらわれたのだが・・・

それは一升瓶に詰められた一升の純正ハチミツ・・・売られているのではなく蜜桶から採集したハチミツ。高級品だわ!!最近日本ミツバチが

激減して先日も 知り合いからハチミツをいただいたのだが、そんな貴重なものを 一年で食べきれないくらいだ・・・、封を切っていない

赤玉ハニーワインもあったが どうもハニーの部分が瓶の底に溜まっているように見えたのでどうするかはおばあちゃんに任せた。

のし紙に「寿」とあり 名前がお茶の先生になっている小さな箱が出てきた。中身は お茶の茶碗。「お茶の先生に 次姉が結婚祝いに

貰ったものじゃない?」と言ったんだけど 絵柄がツクシとワラビ・・季節は春だわなぁ・・・次姉はたしか秋に結婚したはず、じゃ

これは私がもらったものか??お茶の先生も亡くなっているし 何かに使えるかな・・・(あぁこれは禁句なはず)と私が引き取った。

引き出物だかお返しだったのか コーヒーセットが出たので 母屋の古いコーヒーカップと湯呑茶碗を入れ替えた。可愛らしい小皿や

なんかもこれを機会に日の目を見させてあげることに。

 しかし・・だ、町のゴミ袋に一升瓶が入ったものが10個近くできてしまい、次の回収はお盆前なはず・・・とりあえず 解体前の納屋の中に

ずらっと並べた。そこには 金属類やプラスチック類に仕分けた袋があり、曜日ごとに出していくのだ。それは まだ当分続きそうですぅ
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暑いです

2017-07-19 05:30:00 | 我が家
今年は 異常に暑い。暑いということに体がついていかない。それでも 天気予報では 潮岬は関西でも

気温が三度ほど低い・・・というんで 関西ナンバーの車が週末にはたくさんやってくる。

しかし、日差しは大阪あたりと同じだと思うのだが 体感的には 同じ海辺の神戸のほうがずっと涼しかった。

潮岬はたぶん 昔あった潮岬測候所での気温観測なんだろうと思う。潮岬は 串本町では高台にあるので

当然海風もよく吹き 平地の串本町内よりは絶対涼しい。その気温を 鵜呑みにやってきてはいけないよ。

暑いのだ。おまけに雨らしい雨は降っていない。三日前になるのか 異常に気温が上がって 部屋でエアコンを

つけた。徐々に室温が下がりはじめ ヤレヤレとしたときに エアコンの表示温度をみたらばさっきより上がっている。

まぁ 設定温度に近づくまでそんなふうに 上がったり下がったりするもの?だったかな・・このエアコンも

もう十年は経っているし・・と ひたすら 我慢をしていたけど また一度あがっている。心なしか噴きだす風も

冷たくはないような・・・これって、なに?車のようにガスを入れなきゃ冷えないのか?取扱説明書を引っ張り出すのも

もう部屋の中が生ぬるく感じたので やめてオフにして窓を開けて 母屋に行った。外気温が34度なら、28度に設定すれば

涼しいはずなのに・・・いくら待っても 室温が31度なら、部屋を出たほうが絶対いい。

母屋は 30度でも風が入り 日陰なのか 涼しい・・けど おばあちゃんは 「暑い」と横になっていた。

母屋にもエアコンのある部屋があるのに 使わない。熱中症で亡くなる80代は エアコンを使わず室内で倒れる・・という

結果を知っているはずなのに、使わないのはなぜ?と昨年まで不思議に思っていたけど 今年はなんとなくわかってきた。

というのも 今年から私は 冬場指先が冷たくて冷たくて痛かった。季節が春になってやっとそれが解消してきて

6月の診察でも 「このまま治まってくればお薬は飲まずに」と言われてやった~!と思っていた。夏になって

もっと気温が上がれば指先も肩も痛くはないんだ!って。でも それが大きな間違いだったのだ。

運転中にダッシュボードからの反射熱で カーエアコンをつけて 快適に運転していたら、指先がだんだんジンジンしてきて

冬場のあの辛い痛みがよみがえってきたのです。これは・・・いくら暑くても エアコンの効いたところに長くいると

指がまた痛くなる。痛いのは他人にはわからない、 でも じんじんじんじんとじわじわと痛くなる。指先以外は

暑くて暑くてしかたないのに、だ。「あ~これが老人のエアコンをつけない理由か」と、私も老人の域に見事

突入ってことだわさ。おじいちゃんも ベッドの中で足先が、指先が痛いって言っていた。見たところどこも、どうにも

なっていないのに、指の中が痛いって・・・そういうことだったのか・・・。痛いって言うから 鎮痛クリームやなんかを

塗ったら 一時は温まるようで「治ってきた」と言っていたけど、そうではなかったんだ・・・

きっと私も一生、この痛みと連れ合って生きてくのか・・・



暑いと、世の中変です。テレビで 今話題の 元女優さん・・・そういうインターネットの使い方もあるんだろうけど

同じ女性として 見ていて気分が悪い。何をどうしたいのか、見ている人が もろ手を挙げて彼女に賛同していると

彼女自身賢い人(だと思うから)思ってないはず。まぁ、どうでもいいけど ワタシ彼女自体が嫌いなので

あれじゃサスペンスの帝王に 不貞があろうがなかろうが 「蛇だよな、あのひと」と同情する。

はやく テレビ局が話題にしなくなるといいんだけど。
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負の遺産

2017-07-10 05:30:00 | 我が家
私は今、おばあちゃんと二人でぼつぼつながら家の要らないものを片付けている。

一番の片付けものが 築百年は経っているという傾きかけた納屋。もともとが お米を作っていた農家と

山林業であった先々代、いやもっと先のご先祖さんからのものであり、その納屋も母屋と納屋の建物で

母屋は親戚に移築されて納屋を ここに建てたという、建物の引っ越しを普通にやっていた頃のもので

中二階な造りで、その中にはもうかれこれ何十年も使われない農機具や昭和時代のものが、積み上げられている。

百姓をやめてからでも十年くらいになるから それからでも片づけをしていたら今私たちがこ~んなに苦労は

しなかったはずだと愚痴をばらまきながら汗を流している。おじいちゃんと一番親交の強い親戚に言わすと

「負の遺産やの!」っと一言で言われてしまったけど そぅまさに負の遺産だわ!!

親が物を捨てられないというのは 断捨離が叫ばれる、世間のゴミ屋敷が疎まれるこのご時世には

子孫はどれほど苦労するか・・・わかってんのか?と天に向かって叫びたい。いやぁ 世の中の高齢者が

皆皆、モノを捨てられないことではなく キチンと要るもの、要らないモノと気持ちもゴミも分別できるのが

普通なのに・・・。私が「まったく こんなもの残しておいて何に使うつもりだったん?」とおばあちゃんに

言うと「それでも 戦時中を生きてきた者には 物がなかった時代だったから 簡単には捨てられないんやら」と

言い訳めいた言いかたをするのがまた 腹立たしくなってくる。いやぁ たとえば、壊れた扇風機のコード部分を

切って残して束ねておいてどうするの?その扇風機の羽カバーの前後ろは庭の草を引いた後の雑草入れにはなるけど、

え?コードは中に鉄線?銅線?が入っているから切れにくいから 何かを縛るときに強いからって、その何かって

なに? 紐なら黒でも、白でも、黄黒でも業務用みたいにあるじゃん、わざわざコードを何本も残さなくっても

いいやん。おまけに 差し込み部分を自分でつないでぐるぐると絶縁テープで巻いたもの・・・そんなの怖くって

コンセントにさせない・・。なにかを刺すつもりだったのか、針のように尖らせた自作千枚通しがこれまた道具小屋

から何十本もでてきたり、いつか使うであろう、いつか何かに使うかもしれない・・・仮定に基づいた物ものが

溢れかえって、たぶん おじいちゃんは感覚的に 何か工作物を残しておいたら私たちが活用するだろうと、

あんなに細かい人だったから それを貯め込んでおいても何にもならないということはわからなかったのかと残念だわ。

思えば 子供の時から 片付けろ、片付けろと毎日のように言われて育った私、そんなことは身につかないというのが

50年も生きてきたらわかってきた。しかし、父親と同じように「これって何かに使えるかも?」なんて残していたら

息子たちに同じように迷惑がられ、嘲笑され 私自身が捨てられるかもしれない(笑)ので できる限り 要らないものを

この残された時間に捨て続けていかねば!と思うのです。納屋だってそう、おじいちゃんが生きている頃から

「地震で倒壊するやろ、百年物やし。取り壊したらいいんやけど・・・だいぶいるからなぁ。おまえらの代で

壊したらええんやら」と究極の丸投げ?それならそうで地震で倒壊をまつか・・と思っていたけど いよいよ

屋根瓦がずりはじめた。べつに日常生活に必要なものは入ってないので(私が使うものは高枝切狭くらいか)

ほとんどがおばあちゃんのわけのわからない ここ何年も使ってない段ボールやお米を作っていた頃の大きな桶とか

使い切ってない古い農薬の瓶とか、ござにむしろに と思うだけで涙が出てくる(捨てるのに分別するのが)。

おじいちゃんにつられておばあちゃんも 捨てられない病なんだ。と親を侮蔑しても その遺伝子は私にも

子供たちにも脈々と受け継がれてしまって、親ほどでもないものの私も 何かに使えるかも?ってものが残されて

いっている。今回の片付けに子供たちの部屋も長男君が結婚したのもあり もう田舎に残しているものは要らないだろうと

片付け始めたら、私が号泣したくなるような事態に。子供たちは 平成ポケモン世代で 学習机の小引き出しの

二段三段びっしりとポケモンカードが、あぁこれが札束ならば・・って一応 子供たちに捨てる了解をとると

「ゲームもカードも売ったら?」って そんな時間はないんだよ!帰ってきて 手伝ってくれる気もなく

こんだけ購入するには どれだけお小遣いとお年玉を貯めたか・・・私が買ってあげたものは無いんだもん。

ポケカだけでもゴミ袋に4袋。恥ずかしくってしかたない。教科書類も大学を卒業して十年近くたつと

結局は要らないものになるから もっと早い段階で捨てておきゃよかったと猛省。それでも 片付けていたら

小学校時代の文集やなんか出てきたら 「これは私が捨てたらこの世に存在しなくなる」と思ってしまい、とか

写真とかも躊躇してしまう。次男君は これまたコミック本の全巻揃ったものは残しておいてと。何にするのか

ときくと 将来 自分のマンガ部屋を持ってそこでまったりと・・・なんて お気楽な奴だ。

とりあえず 残すものを使わなくなった車庫に移し 二階部分は60%捨てた・・が、その下の道具小屋が・・

おじいちゃんの工具や要らないモノとおばあちゃんの園芸の土やら肥料やらで引き戸を開けて その先に進めない

状況。まぁ 納屋を先にとりこわして二階のある建物は お風呂もトイレも使うからしばらくはこのままに

しておいて、母屋にお風呂とトイレを作り直すことになってしまった。

私は生まれてこのかた 新築に住んだことはない。生まれたときからこの家があったし、二階を建てたのも

姉たちの部屋であって私には作ってもらえず、結婚して親に「建て替えよう」と言ったら「この家があるのに。」

「えらけりゃ 家を建ててみ!」とサラリーマンであるおとうさんと仕方なく 築年数だけを積み上げてきた

古い不便な家に住んでいる。そりゃ 家を建つって現金でポンと支払えないから 何十年も支払い続けていくけど

それでも人は家を建つのだ。家を建たずにお金が貯まる人っていないで。古い家は 今風なメンテは利かない。

瓦屋根に 木材の梁や赤土入りの壁、お笑いだわ・・・おじいちゃんが残してくれたお金をやりくりしてたら

こりゃまぁ二階を取り壊すのは息子たちの時になりそうだ。田舎ゆえ 敷地が広く・・・私は毎日ため息で

夜も眠れない。恨みつらみを仏壇で吐き続け なんでもかんでも私に押し付けてくる両親に、それでも

やらなきゃって・・。姉も甥っ子も姪っ子も家を建てて便利な暮らしをして、それを羨ましく言うと

きまってお金と日々の暮らしを言うけど、わかってて建てたんだからなんの不平があるんだよ!と私は思ってしまう。

ここ数日の 九州での大雨洪水土砂災害を見ていたら、他人事には思えないし 一度あんなに地区全体が壊滅的な

状態になったら 再びその場所で生活しようとは思えない。でも紀伊半島大水害の時も もっと便利な場所に

住むんだろうなと思っていたら あまり離れたところには移転していないように思うのは、でもここが住みやすいんだ

って気持ちなんだろうか・・・。私は 残りの人生位 便利なところに住みたい。、家は大きくなくていい。庭なんかプランター

で十分だ。なまぐさな私には 大きな家なんていらないのだ。母屋は部屋数が多く 典型的な和風建築で田の字型の間取り

だもので 押入れが無い。押入れの無い家って 使わない部屋にとりあえず物を仮置きしている状態だから お客さんが

仏間に行こうとしたら 全く恥ずかしい状態な時があったりするし。納屋を壊してお風呂なんか作り替えたら

懐はからっけつで 自分たちがどう生活していくか 先行き真っ暗。他人さまは「こんな大きな家貰って あんたら

大変やの~」という。はははと頭をかくしかない私・・・「それって 私らの知らないところでみんな陰で言ってるのだろうな」

おじいちゃんの時までは 材木の景気も運もよかったから おじいちゃん自分がしたいことにお金を使って、逆に意味も無いものに

固執してゴミばっかり溜めて・・・モッタイナイ精神を通り越して捨てられない病だもん・・自分たちで捨てられるものは

極力町のゴミの日に出して、解体業者さんの運び出す量に加えないよう微々たる努力も 大変・・。

串本の町なかでも 古くなった家の取り壊しを見かけるようになった。誰も住まない家は処分しなくちゃ・・。

まぁ私たち夫婦があと三十年くらい何とか住めたら この家もお役御免してもいいんじゃないかと・・・

仏壇の前で交渉中で、あの世でご先祖さんに呼び出されたら 私を責めることはできないでしょう!と言い放ってやるつもりだ。




何年か前に ブログ友だったぼんくらさんに貰った キーホルダーが壊れた。たしか 釣り具のフェアだったかイベントでもらったというのを

わたしにくれたんだけど、形が釣りの浮きだったので 何度か「え?釣りするの?」と聞かれたことがある。聞いて来た人は 今思えば

全員釣りをする人だわ。釣りもしないのにへんかなと思っていたけど、自分的には気にいっていたので なんとか使えないかとしたものの

ムリで、以前なら浮きの部分を「何かに使えるかも」と仕舞っておいたけど、「ええぃ ゴミになる。ぼんくらさんゴメン!!」と

廃棄した。愛車のキーホルダーだったので何か代わりのものを・・と、子供部屋の片付け中にみつけたのがこちら・・・



ピノキオだ。ウソをつくと鼻が伸びるのだっけ・・・嘘つきな私・・戒め?あ?前のガラケーのストラップも次男君のゴミの中から

≪他力本願≫と書かれたチビ人形を見つけてストラップにした。子供たちも 要らないものを溜めこむ遺伝子があるようだ・・・





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7月

2017-07-03 05:30:00 | 我が家
あっという間に 7月になりました。きょう二日は おじいちゃんが亡くなって一年半経った日でもあります。

昨晩、私は眠れなかった。朝からこげのお薬を貰いに ウンチの検査に、と田辺の獣医さんまでおとうさんと雨の中行ってきました。

串本より田辺のほうが雨足が強く着いてからもおとうさんが玄関先まで車を乗り入れるくらい どしゃ降りでした。

動物病院の手前には商業施設と道を隔てて パチンコなどの遊戯店がありどちらも開店する朝10時前はどちらかに行く車で

危険な場所であるのですが、きのうは雨が強い中 路上に横たわった猫。「はねられたんや」とどちらが言うまでもなく

よく国道で見かける様子と同様に「雨にうたれて死んでまでもかわいそうやな」と思ったくらいでした。

私が動物病院に駆け込み受け付けを済ませて 壁にもたれて立っていたら 入口近くに車が入って来て 女性が飛び込んできました。

受付のおねーさんに小さな声で何か話しています。おねーさんの顔が一瞬変わり「・・連れてきていますか?」と聞いています。

女性が「いいえ、この手前の道路にはねられているんです。私たちは通りかかったんですけど・・」と言ったのです。

あの猫のことだとすぐわかったんですが おねーさんが「先生に聞いていますね」と診察室に飛び込み、何やらバタバタと音がして

おねーさんが女性に「じゃ行きます」と受付の人に後を頼み どしゃ降りになった外に飛び出したかと思うと、診察室から

こげの手術の時にも手術室に入っていたおねーさんが猫用のバスケットとタオルを持って傘を持って飛びだしていきました。

たぶん もう生きてはなかったと思うけど たぶん 優しい通りすがりのかたが 動物病院に何らかの助けを求めてやってきたのは

一目瞭然です。通報した女性はいつのまにかいなかったけど、おねーさん二人がバスケットを抱えて戻ってきている光景を見て

何か、私はどんよりと、胸のあたりが 辛かった。猫は嫌いです。が、それが犬ならば・・どうしただろう・・・

串本あたりでは 国道で猫がはねられていてもそう気にはしないようにみんなが避けて通っていきます。

私は こういう時に 必ず思い出す 苦い歌があります。イルカの≪いつか冷たい雨が

さっき確認のために検索して もう鼻水が出てきて涙でウルウル。あまりにも人間の汚い部分が、自分を言い当てられているのが、

辛くなってきます。初めて聞いたころだったか テレビニュースで たしか京都の河原町か四条か 大きな交差点界隈で二匹で

住んでいる野良犬がいて 別に人間に危害を加えるまでもなく通行人からエサを貰って生きていた。その犬の様子を偶然テレビカメラで

写していたのだろうか、ある日片方の犬がはねられて死んだのか、動かなかったが大通りを走る車も 通る人も 誰もその犬を運び出そう

とはせず、せかせかと通り過ぎていました。その様子を視聴者として見ているワタシは 「誰か、誰か運び出して」と泣きそうになりながら

見ていたら、かたわれの犬が横を通る車に 猛然?いや今思うと抗議だと思うワンワンワンワンと吠えかかっていく姿に責めれているのが

テレビのこちらにいる自分でもあるのが、そういう自分を見透かされたようで・・・・40年近く前のことですが ≪いつか冷たい雨が≫の

歌詞と重なり しばらくは自己嫌悪、そういう年頃でもあったのですが 、だから 食べられるために生まれてきている と思うことを

しないでおこうと思うし、野良猫をこれ以上増やさないようにしたいし でも それもこれも 人間勝手な自己満足以外何者でもないんです

よね。


きょうは晴れ。暑い 助けてぇ~


         雨続きで 花数が少ないマリーゴールド の中から「え? 孫悟空の 沙悟浄?」

キノコが生えてきます。菌糸があるのか?私は市販の園芸土にそういうものがあるのではないかと思っています。それに なぜか

我が家では鉢植えに植えたら コケが生えてきます。表面がコケに覆われてしまうと 水が花の根に届きにくくなって枯れてしまう。

コケをむしり取ったら まるまる乾燥した園芸土が出てきて驚いたことがある・・・私はコケにせっせと水を与えていたようです(笑)

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