境内に入ると右に軍人さんのお墓がひときわ目立って見えます。
左は 陸軍曹長 勲七等 潮崎留児之墓
中は 陸軍歩兵上等兵 勲八等功七級 服部藤四郎墓
右は 陸軍伍長 上谷敷進之墓
とあります。この田川の集落で出征して戦死された方なのでしょうね。服部さんは墓石に彫ら
れた文字が多くて、二行になりお墓も少し大きい。私の生きていればおじさんになる父親の兄も
戦死したので、このようなとんがったお墓に入っている(といっても南方の海上で戦死したので
遺骨というものはないそうだ)。兵隊さんも軍人さんと呼ぶのか、呼んであげなきゃ命を差し
だし死んでしまったのだから申し訳ないような気がします。でもなぜ、戦死したらとんがったお
墓なんでしょう?
古座川王国のマップにはここは『地蔵紅葉』で記されています。この歌を詠んだのが讃堂という
人なんでしょう。検索して探せませんでしたが、この紅葉を仰ぎみて胸に去来するものはなんだ
ったか、寂しい秋の一日だったのかそれとも鮮やかな紅葉に笑顔になったのか。。。
この写真の左にあるのが三界万霊の塔だと思います。確認しようとしたら人がいたのでそれも
できず。
紅葉はなんでしょうねぇ、冬を迎えるまえの心の準備みたいなもの?見上げてはため息です。
写真を撮っている間に何人か人がやってきました。三重ナンバーの車から集音機つきのカメラを
担いだ男性と、それについてきたような女性、お寺の下の道から数人のおばさん連中がガヤガヤ
と。でも「おはようございます」といえば「おはようございます」と返事をくれるし、地元のお
ばさんが案内役なのか「まぁまぁ、わざわざ紅葉を見に来てくれたんやの」と言ってくれます。
階段の奥にお地蔵さまが祀られていました。たぶんこのお地蔵様が『地蔵紅葉』のいわれだと
思うけど私は下に来て気が付き、カメラを向けたらさきの男性カメラマンが今度はデジイチで
お地蔵さまを写しにかかったので、待つのもめんどくさいのでその頭も一緒に写しました。