goo blog サービス終了のお知らせ 

こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

思うこと

2025-04-29 05:30:00 | いろいろ

世の中はゴールデンウイークの真っただ中、飛び石連休にもかかわらず国内・海外に

飛び跳ねて出かけている。今年も 静かな我が家であります。

今朝、この二日朝の三時過ぎに目が覚め仕方がないから起きてご飯が炊けるまでに

家計簿をつけ、炊けたらお弁当を作り 一人で早めの朝食を食べながらテレビをみる

という代り映えのない作業をしていたとき、初めて聞くメロディーラインで小さく

「ゼスプリ・・・ゼスプリ・・」とあれ?ゼスプリって、ほら あの可愛いキウイの

二人?が毎回歌って踊るCMかな?とテレビに目をやり、釘付けになりました。

画面ではフェルトで作られた白い猫のお母さんとおぼしき女性が 私と同じように

早起きをしてお弁当を作っている。その姿も顔もどこか疲れているようだ。彼女の

両サイドにゴールデンキウイと緑のキウイが栄養があるんだ、キウイを入れよう、

みたいな歌を小声で歌っている。お弁当のおかずに困っている彼女は ハッと

気がついたようにスーパーにすっ飛んで行って 二つのキウイを手にし お弁当に

キウイを二つに切って入れた。二人のキウイのうしろには ブロッコリーやニンジン

リンゴなどの野菜軍団も現れ・・めでたしめでたしというゼスプリキウイのCMだった

見ていて 「あ~よかった」となぜか一安心する自分と、このCMはニッシンボーと

同じくらいに私の大好きなCM。企画変更など絶対してほしくない、と願うのだ。

 

こげがいる時から、それまで買い物に出かけるときに国道沿いで見かけるワンを飼っ

ているお宅に目が行っていたのだけど、「あぁきょうは外につながれているね」とか

「きょうも店先に出してもらってひなたぼっこしてるんだ」とたぶん、どちらも

こげよりは少し若いわんこを車の窓から見ていたのだけど、最初 コーギーを

飼っているお宅に「最近姿が見えないなぁ」と思うようになり、こげも散歩に

行けなくなってきていたので「高齢化かな」と。でも玄関横には犬小屋があり、なぜ

か、その小屋の屋根に二十枚くらいのタオルが積み上げられているので、なんでかな

動けなくなって介護用のタオルかなと思っていました。宅配のおねーさんが、こげの

姿がないね、という話をしていたときに「あそこの〇建設のわんちゃんがね、年を

とって目も見えなくてそこのばーちゃんが飼っているので、私が配達で行くと出てく

るけど、そんなりコテンとひっくり返ってしまって、そういう状況なんやで」と

教えてくれた。ばーちゃんも自身も高齢やから世話するのも大変やって言ってたわ」

と教えてくれた。その時、だから 小屋にもつながれず部屋の中で寝ているんだとお

もったのです。もう一軒の雑種のチロルは 交差点の近くのお宅で以前はお店を

していたので国道に面した店先の内側にいつも寝ていました。段ボールを敷いてもら

い、でも道行く人に吠えたりするし、信号で止まった車に向かって吠えたりする姿も

チロルという可愛い名前のおかげでか、みんなクスっと笑っていました。ガラス戸に

『猛犬注意』と貼られているのが私としては納得いかなかったけど(笑)そのチロル

も、あまり姿を見なくなって「きょうもいなかった」とおとうさんに言う日が続いて

いて、そうしてこげがいなくなってから、コーギーの犬小屋の積まれていたタオルが

片付けられていました。私は我が家でも 介護用のタオルを積んでいたし それらを

少しずつ一人で片付けていた頃でもあったので コーギーもあちらに走っていったの

かな・・と考えつつ、あぁ、でもあそこには黒まめ柴もいたような、どっちかな、と

可愛がっていたワンをなくしたおばーちゃんは大丈夫かな、と。そのあと、チロルの

お宅も変化がありました。敷かれていた段ボールは片付けられ、酒瓶ケースのうえに

ペット用マナーシーツが途中まで使われているような袋の上部は開いていて、我が家

でもそういう形で使っていたので、まだチロルは室内で寝たきりでいるんだと、考え

ていました。でも、ある日、そのマナーシーツの袋の上部がきれいに折りたたまれ

ガムテープで封印されて酒瓶ケースの上に置かれていました。それを見たとき、

チロルも走って行ったんだ・・と。途中まで使われたマナーシーツ、私もガムテープ

で封をし、どうしようか、これは・・・と思っていた時に、3.11東日本大震災の追悼

番組で 震災に備えるものとしてペット用のマナーシーツはトイレ用として使ったり

水を吸収するので打ち身などの冷やしに使えると言っていた。あぁ、こげのもので

役に立つものがあるんだ・・って思うとまだまだ傍にいてくれるみたいで、嬉しく

なったんです。

 

この間、久しぶりに草刈り機を使ったら 右足の付け根を痛めたようで歩き出しが

痛い。腰も相変わらずひゅんとして、十歩の距離でも小走りができない。先週には

一回り年上の人から「無理したらあかんで。今無理したら十年後弱ってくるで」と

違う場所で 計四人から言われてしまった。だいぶ無理して 私は動いているように

見られているようです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴天の霹靂・・か?

2025-04-20 05:30:00 | いろいろ

久しぶりに投稿を・・・とgoo blogを起動させてびっくり。ブログが今年11月18日で

終了するとお知らせが出ている。え?そうなん・・・なんで?でも 私がブログを

始めたころを思うといまは スマホでラインやXに誰しも投稿しているので、いつかは

ブログの形態も変わっていくか終わる日が来るんだろうとは 思っていたけどね。

ん、まぁどうしようかな、・・・こげのことを書いてきたけどこげもいないし、

この辺が終わり時かなとも思う。で、これまでの記事はどうなるのかな、このまま

閲覧だけでもできるのかなって 調べたら ぜ~んぶ消えちゃうようだ。そうか、

そうなるまえに 別のところに引っ越す、記事丸ごと引っ越すという手もあるようだ

が、どうも それには若い力が必要だ・・というか 説明には あーして こーして

ややこしい作業があるようで、私の頭では理解できない、こういうことは 長男くん

が得意なんだろうけど、彼らとて 忙しい生活で 田舎に帰省はお盆とお正月と

決めているようで、世間の多くのような 連休で、とかの帰省は一切してくれない。

お盆だって早めになるかもしれないという 一泊二日とか、それはいったいなんの

帰省やねん!と突っ込みたいが、いまはそういう時代だということはとわかって

いる。が、しかし、田舎には田舎のしきたりというものもあって、こういうときは

このようにおまつりして(仏事や神事)ということは知っていて恥にはならないのだ

いまは 年末の帰省までにこちらが猛スピードで準備・手配もしくはすべてやり終え

子どもの帰省を待つ・・という感じでいるので、もうブログのお引越しなどお願いす

る立場にもないかもしれません。それに最近 自分自身がブログに意欲を持っていな

いような気もするし、でも ここまで書きなぐってきた記事やコメントをくださった

方や、いまもコメントをくださっている方、通りすがりに読んでくださった方々が

いたから成り立ってきた≪こげの耳に★ねんぶつ★≫なので デジタル・タトゥと

なってでも残ってもいいかって思っていたんだけど、そうもいかないようだ。

あぁ なんかめんどうだな・・・・。こげの写真や 旅した思い出 小さな花々、

それらは写真のデータとしては残っているけど、そのときの話とか 私の感情とか

文字としてあったものが消滅するのはちょっと寂しい。書籍化するということも

あるようだ。それは有料化になるそうだし そこに行きつくには何重にもカタカナ

語のハードルがあるし、それに 最初から今までを書籍化したらどういう量になるの

かという恐怖もあるし(笑)、はてさてどうしようか・・・このまま放置?

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四月

2025-04-07 05:30:00 | いろいろ

だらだらと寒さにかこつけて怠けていたら もう四月。四月だなぁと思っていたら

五日・・こげがいなくなって三か月になってしまって こげのいない四月かぁと

つい口に出て 思ってしまって 元気が出ないけど この食欲はなに?

書くことはいろいろある。裏山にサルが来て 山々の桜が咲いて 、あぁ タケノコ

の生えるころか・・・去年はこげも食べたじゃない・・・大好きなタケノコ。

そのタケノコも 死んだおじいちゃんのように肥料を与えないからだんだん細く、少

なくなってきた。今年はおばあちゃんも95歳になったから 茹でる係は卒業だと言っ

てたのに 茹でるときのヌカを用意せな・・なんて言っている。掘り担当の私は

「え~今年も掘るの?」と思っていたらサルが先に現地調査に来た。ほかにも

サルかと思っていたら怪しい人影が うちが設置した柵を乗り越えて竹藪に入って

いたり・・・。そうしていたら 今年は 百回忌の法事があって 早めに今月に

済ますことにした。おじいちゃんのおねーさんなんだけど 今年は昭和百年という

から 大正時代最後に亡くなったんだな・・・、って身内のおじいちゃんもそのあと

に生まれたから 誰も知らない先祖さんなわけで 、時代とともにこういう仏事も

接する人数が減っていくんだなぁと痛感。

 

四月に入ってものすごく風が強く吹いた日があった。私はスーパーで買い物をして

駐車場に止めた車の横に来た時に 強風のなかから「・・すみませ~ん」という声が

かすかに聞こえたので、声をしたほうに振り返ってみたら二十代の女性が国道横の

スーパー入り口のほうから小走りで私のほうに来る。瞬時に私は「ちょっと、あれは

ケーブルテレビ局のスタッフじゃない?トレーナーもパンツも黒じゃん、振り向くん

じゃなかった・・」と反省したのだ。彼女が走ってくるほうにも人は歩いていたけど

この強風で私のほうに声が流れたのかもしれない・・。どうかカメラとかないように

と心で念じていたら、駆け寄ってくる彼女の手にはスマホがあって、彼女が私に

「クシモトステイション?」と言っているその顔は化粧っ気もなく言葉が片言でも

ある。「やば、英語で話すのか!大ピンチ!!」と私の顔は引きつり、どうしようか

と思っていながらも、彼女のこの慌てようはもしかしたら 電車に乗れるか乗れない

かという瀬戸際なのかも、と思ってしまい「クシモトステイション、あぁ駅ね」彼女

の手のスマホには 地図が表示され串本の駅が出ている。「イエス、イエス。ソコ二

バスストップアリマスカ?」「バス停やね」「ソウ、バス」と言うので「この道、

まっすぐ行って左レフトね」と右手で道路を指さし最後に腕を大きく左に振ってみ

た。「クシモトステイション。バスストップありますか?サンキュー」と彼女は急い

で走り出したので、伝わったんだと安堵し、彼女を

見送っていたら振り向いて「エクスキューズミー」と手を振って駆けていった。

しかしだ、町民なら不思議に思う。スーパーは串本駅と目と鼻の先で スマホの地図

でも表示されたと思う。彼女が私と同じ地図を読むのが苦手な人だったのかもしれな

いし彼女がどの方向からきたのかわからないけど、国道に沿って歩いてきたら駅が

見えたのになぁ・・と。まぁ 私としたら 人のために道を英語を含んだ日本語で

助けることができたのは良かったよかった。彼女がアジア系だったから 日本人だと

思い、強風で声が私にしか届かなかったからの出来事で、でもこれが西洋人なら

聞こえたけど聞こえてないふりをしたのかも・・・と思ったのでした。その後、車に

乗って串本駅方向に向かうと バスの時刻表を食い入るように見ている彼女の姿が

あったのでちゃんと行けたのだなと思ったのでした。

きょうは 雨が降ったので 庭の椿の花を拾っていたらカタツムリが出ていた。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドライバー問題

2025-03-20 05:30:00 | いろいろ

久しぶりの更新です。ここ数日 鼻水が止まらず、それ以外の症状もなく安心してい

 たら三日ほど前早朝から鼻のなかが炎症してるんじゃないか?ものを飲み込むのも

痛く感じるようになり 鼻水をとめるとか、そういう薬を買ってきて服用したら

痛みは薄れましたが相変らず鼻水が止まりません。薬を飲むと眠くなるし出かけると

きは 一回服用を飛ばすことにしてるのでよけいに効果がないのかもしれません。

そういう状態で 先週から気がかりなのは 三重に住む次男君に送った封書が届かな

いということがあり、先週水曜日に出したのが翌週の月曜日にも届いてない事態に。

普通で出したのでよけいに心配になり、いくら土日を挟んでも月曜には着いていそう

と思うので、串本郵便局の窓口でたずねると「遅くても月曜日、最大遅くなって火曜

日になるかもしれません」窓口に行ったのが火曜日の朝だったので もう一日待って

みますが、調査とかできますか?と聞いてみました。できますけど申請書を出して

もらい向こうの局に問い合わせて探すということになって 時間もかかりますし、

それでみつかるか?ともいいきれません・・・と言われました。

封書で送ったのは このお正月明けに次男君一家がひどい風邪に見舞われ そのなか

でも次男君が 嘔吐下痢を繰りかえし あげくは体がつって痛くてたまらずこれから

救急車で病院に行きます・・・というメールがお嫁ちゃんからきたのです。

三歳児を抱え、もしやインフルエンザ罹患だと向こうの実家に預けようにも実家には

妹さんが出産して帰省中、こちらも行くに行けずで連絡を待つしかありません。

お嫁ちゃんから 血液検査をしたらリンの値が低く それでひきつってきたようだと

病院に着いてからあちこち検査を受けて インフルエンザではなく 腸炎を起こして

しまったらしく数日入院してしまいました。ほんとに心配かけやがって‥と思ったの

ですが 退院後保険会社に請求することになって かんぽ保険はスムーズに手続きで

きたのが N社のが住所変更できてなくてそこから手続きを踏んでいくことになり

その書類が今月になってできて・・それを三重の次男君に送ったのがこういうことに

なってしまったのです。それにしても 和歌山県から三重県に出した郵便物が そん

なに日数がかかるのか?と疑問に思います。昔は 手紙のやり取りが盛んで郵便配送

車もひんぱんに稼働していたのかもしれません。火曜日になって 封書が届いたとい

うメールがきて一安心。普通で郵便も送れなくなりますね。でも ドライバー問題は

これからもずっと続くんだろうな、毎月刊行されている雑誌も発売日には届かず

一日遅れに店頭に並ぶので私が年間予約しているパズル誌は発行元から直接送ってく

るのだけど年に数回土日を挟むと 発売日より三日遅れることがある。 おばあちゃ

んも同じパズル誌を楽しんでいる、こちらは発売日に私がお店で購入してくるのだけ

ど、私よりおばあちゃんのほうが先に手にすることがある。それもこれもドライバー

問題なんだなぁ・・・。これからは 速達で出すほうが万が一探してくださいって

言いやすいかも。普通で出したら 証明するものがないから みつからないかも、

どこで止まっているのか探せないかもって消極的になってしまう。それでなくても

郵便切手代が高くなってきたのでしゅんとなっているのに。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弥生

2025-03-05 10:26:44 | いろいろ

冬に戻ったような寒波で でも串本には雪は降らずただただ暴風に近いような風で

とても外には出ていけません。雪のかわりに雨が降るけどそれも川に水がながれるま

でも至りません。それなら大船渡の山林火災を消火するようにこの雨雲が岩手県へ

流れていってほしいと思います。山火事、ついこの間はアメリカの大火にアメリカっ

て結構火事になるようなぁと思っていたのに、日本でも今回のような人家を巻き込む

山火事は私の記憶にはありません。せめて人命に支障なく・・と思っていたら、一名

が被害にあわれていた・・・熱かっただろうな 怖かっただろうな・・・、鎮火した

あとにまた・・・ということがないよう祈るしかありません。地形的にも 大型車が

入っていくにも限界で 上空からの消火や 人による手動ポンプのようなものでしか

使えない。もう 雨か雪で自然の力での消火しかないようです。市街地に火が流れて

きたらそれこそ 震災からの復興のきざしが見えてきた生活がまたも潰されてしまう

なにか私たちはそこまでの悪いことをしてしまっているのか?本当に 今世紀の

人類は自分勝手な言い分や物差しで世界を壊している・・・もっと、慈愛があった

はずだけど・・・アメリカのおっさんも 無茶苦茶やな。昔のアメリカ映画や

ドラマじゃ 世界を守る、正義の塊り、そんな姿をみせつけられて いつも大変な

ことから世界を救ってくれるのはアメリカだったのに、こりゃここ数年の間は

アメリカの黒歴史になるだろうな・・と 日本の片田舎のおばさんはこっそり思って

いる。

 

こげが夢にも現れないのは こげも自分が消えたことを分かってないのかも と、

そう思ったりする。そろそろ 土に返してあげたほうが来てくれるかな。

 

2006.1.1

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の近況

2025-02-18 05:30:00 | いろいろ

このところ 寒い。かと思えば暖かく、でも風が冷たく 外に出ないようになって

それではいけないと、家の前の道を 往復五百歩くらい歩いては 運動したな・・な

んて自己納得・了承をしている。まだまだ 草刈りにでるには早く、ひたすら強風で

庭に飛び込んでくる 休耕田のススキの刈り倒しの刈り草をおばあちゃんと拾   

うそんな毎日です。少し暖かくなると サルの群れが裏山に居座って もう いつ庭

におりて 毛づくろいを始めてもおかしくない状況。木の上から 「この家の犬は

最近姿を現さないから 大丈夫だ」というヒトをバカにしたような声が聞こえてく

る、そんな感じ。

先日、夢を見ました。玄関を出て ブロック塀に手を掛けると 塀の下にあるアジサ

イ、季節は冬だからアジサイは咲いていず、ドライフラワー状。でもそれがガシャ

ガシャと揺れて その中からぽ~んと何かが飛び出したので「サルや!」と私が

塀に手を掛けたまま身を乗り出した時、掛けた手に塀の下から手が出て私の手の上に

指がかかったのです。こいつも さるや!と思ったけど その手だけしか見えず

「わぁ!!」と大声を出したらその声で目が覚めたのです。サルの手、指など

実物は知りません。でもヒトの指でもないし、恐怖というか ≪リング≫の貞子さんが

井戸のふちに手を掛け覗き込んだその時に いきなりぬっと井戸の中から頭を出し手

をつかんできたような・・・そういう感じ。目は覚めたけど さっきの声はむこうで

テレビを見ているおとうさんに聞こえたかなぁ・・・と思いながら また眠ったので

すが、会いたいこげさんには会えず、こんなサル野郎の夢をみてしまう・・・

翌日おとうさんに聞くと 聞こえたけどたぶん寝言やなと思っただけとのこと。

 

最近、よく食べる。こげをみていたときは お腹もそんなにすかなくて 間食も

アメをしゃぶったり 小さなお菓子を食べるだけで満足だったのに、この頃は

なにかを食べていないと 始終空腹感を感じるのだ。こげがいなくなった反動なのか

緊張感が取れてしまったのか・・・体重が面白いようにアップしていく。

まぁ 寒いから皮下脂肪を蓄えようとする動物の本能なんだと思うことにする。

 

台所の火災報知機のピ音はとうとう止んでしまった。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逢いたいなぁ

2025-02-08 05:30:00 | 愛犬 こげ

 前回の首輪の話・・これが最初の赤い首輪。

子犬なのに 老け顔・・・当時タレント照英さんのようだと思ったのだけど、めちゃ

可愛い。縮小したものしか残っていないので残念だけど

 はねられたタヌキのようなこげや

 耳がまだ立っていないこげ。

 

昨年末のこと、30日だ。夕ご飯のあと離れに戻った私の耳に ピッ!という

音がどこからか聞こえてきた。かなり大きな音で先に戻っていたおとうさんに

「何の音?」と聞くと「わからん、わからんけど間隔をあけて鳴っている」と言いま

す。その時は 一、二分に一度ピッ!と鳴っていた。どこから?何の?音?

居間でもないしほかの部屋でもない・・・機械的な音だから 電化製品から?

もしやファンヒーター?それだと危険なことかも…最初に疑ったのは 冷蔵庫。

冷蔵庫からドアが閉まってないと鳴ってくるピ音によく似ていたので 冷蔵庫の前に

立ちふさがって音が鳴るのを待ったけど、別のところから鳴っている。次にファンヒ

ーター、もしや火が噴出してくるのかもと思いコンセントから抜いた。抜いたけど

音が鳴る。次に電子レンジとその上のオーブントースターか?トースターは焼く時に

しかコンセントを挿さないから関係ないか・・・レンジも違うよな・・と思っていた

時にピ音が私の頭上で鳴ったのだ。え?なに?頭の上って・・・と見上げたら、

火災報知器が小さい赤い丸が ピ音と一緒に点滅してるじゃないか・・・

「なんや、これか」おとうさんに「わかったわかった。火災報知器が鳴ってるんや」

と報告をしたのだ。鳴ってる先がこれなら、大丈夫と早速コンセントを抜いて寒く

なってきた部屋にファンヒーターをつけ、おとうさんに「母屋でも二年くらい前に

音が鳴るから電池切れだと思って外してエディオンに持っていったら、本体ごとの

交換で電池じゃないと言われてね、そしたら本体が5000円から6000円くらいした

から 頼まれて見に来たのでまた相談してから来ますぅ・・・とお店を出てきて

それっきり母屋の台所のははずしたまんまや」、と言ったのだ。もともと、これは

自費で付けたものでなく 区か町で取り付けてくれたもので台所と寝間に付けて

貰っている。不思議なことに 今回は台所のが鳴っているけど寝間の報知器は鳴って

いない。製造ラインの時差なんだろうか?よくわからないけど母屋のももう一つは

鳴っていない。それで、そのままべつに危険でもないし放置していた。そして今も

放置している。そうしたら、ある日突然「ピッ!電池切れです!」と喋りだし

たのだ。いきなり・・なにを思ったのか喋る機能も付いているのか!と驚くのと同時

に「本体の火事の温度や煙を感知する電池の他に 音声を発する電池も付いているの

ならその電池パワーを感知するほうに使ってくれたら長持ちするんじゃないの?」と

思ったのです。まだ新しいのを今度は自費で付ける気持ちもないので、いったいこの

音声はいつまで喋るんだろうと気にはしていたのですが、音声は4分くらいの間隔で

いたのが、ピ音の音が少し小さくなってきたときに「あ、このピ音って、こげの

後半に付けていた猟犬がつける鈴の音とそっくりだ」と気がついたのです。この鈴は

松の剪定に来てくれる植木屋さんが こげにと、わざわざくれたもので、植木屋さん

は猟師でもあったので犬が大好きで こげのほうも大好きで 植木屋さんが来ている

間は 剪定している木の下で寝て待つくらいだった。猟犬がつけて走るとはっきり

聞こえたと思うけど、こげは走るのも好きじゃなくてどうにかした時に鈴がチッと

鳴るのがピ音と似てるのだ。こげがいなくなってから 電池切れの声もだんだん

間隔が長引くようになり とうとう先日からは 電池切れですという声も出なくなっ

て、ピ音だけになってしまった。朝起きて台所に立つと 頭上でピッと弱々しく

鳴ってくれたら、「あ、こげかな」とつい自然に思ってしまう。ありえないけど

強い風が吹くと こげにおじいちゃんが造ってくれた犬小屋のどこかに風が入って

きしむような音がする。その音が こげが鼻先で障子戸を開けてくる音に似ている

のだ。おばあちゃんが表で落ち葉を拾っていたときに「ワン」と一声聞こえて

「あ、こげ」と瞬時に思ったそうだ。こげが最期に噛んだ私の右薬指の傷はこげが

死んで三週間後にきれいに治ってしまった。それまで指先で傷を触っていろいろ

思い出していたのにこげがまた遠くへ走っていってしまったようで。

とうとう ピ音は台所の報知器の真下にいかないと 聞こえないほどの音になって

います。こげも もうだいぶ遠くに走っているのかなぁと寂しくなるし、一度も

夢に出てきてくれない。

 

こげの犬小屋 あまり使わなかった(笑)

 

屋根の上から ブロック塀の外を見ることを覚え

屋根の上で寝ていることも・・・スヌーピーみたい(笑)でした

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

形見

2025-01-28 05:30:00 | 愛犬 こげ

火葬をすませてからは 晴れて空気は冷たいけど日差しが明るく感じるような日が

続き、何かをしていなきゃなんかいたるところからこげが現れてきて、体をすりつけ

てくるような気持がするので、それならこげが横にいるような気持ちで玄関に置かれ

たこげ専用の収納ケースを片付けよう・・・とまずは左の収納ケースに手を伸ばしま

した。玄関に日光が入るのか、ケースの成分なのか三段ある引き出しが全ていつのま

にかパリンパリンに割れて、引き出し自体が引き出せず(取っ手の部分が割れて欠け

て)そのかけらがそのまま散らばっています。何が入っていたのだろう、と引き出し

部分を引き抜こうとすると、本体から引き出せないのです。これは収納ケース三段ご

と、一度外に運び出さないとどうにもこうにもできません。案の定、ケースの後ろは

見なかったことにしたホコリが玉になって出てきたので、今度は掃除機を登場させな

くなって、「楽をしようとしたらあかんね」と掃除機を持ち出し吸って、ダスキンと

雑巾を用意して外に出しました。そこで初めて引き出しの中身を見たら

「こげぇ~、こげの首輪だよ。こんなちっちゃいの、首がこの中にあったとしたら

おまえめちゃくちゃ重たかったやろ」と一番最初の赤い首輪、手のひらに納まるくら

い小さい。でも それはまだ新しく、19年前に使ったとは思えない。こげが着けてい

た期間がすごく短かったということなんだろう。次々と歴代の首輪が出てくる、それ

らをこの暖かい日差しで日光浴させてあげようと鉢を置いていないフラワースタンド

に並べてみた。7個あった。こげの毛色には赤が似合うと、赤系の首輪。それから

散歩のときに首輪から背中にリードを付けるためのハーネスが出てきた。ハーネスは

胴体周りで調節ができたので3個。最後に使っていたものは色も褪せてはいるけど

毛が抜け始めてきてからは皮膚に擦れているように見えていた。こげは痛かったのか

も・・でもどのハーネスも散歩に行くのが楽しみで嫌がることなく喜んで着けたよね

着けたら、もうすぐにも走り出して・・・引き出しから お腹を押すとガァガァと

音が鳴るアヒルとカエルが出てきた。ちょうど長男君が大学生となって家を出たあと

こげを迎えたので、その4年後くらいに引っ越しで姫路から神戸に行ったときに、

まだなんでもくわえて遊ぶこげにお土産として、サービスエリアで買ったものだ。

子供用かペット用かわからないが、こげは気に入ってくれて部屋の中でも外でも

くわえてガァガァと鳴らし、それを放り上げるように振って地面に落として 私に

とれるものならとってみろ、と前足を低くして挑発してきたり 炬燵の中に隠すと

潜り込んでみつけてそのまま眠り込んでしまったりしたこともあった。二番目に

使った首輪には潰れた鈴が付いていた。これも記憶にある。こげは毛色がごま塩で

全体に黒っぽく、夕方以降はどこにいるのか庭の中で探せないことがあり、門から

外に逃走したのか?そうなると余計に探せなく若いうちは呼んでも 遊んでいる感覚

でどんどん先に走っていく。これは 猫のように鈴を付けなあかん、とおじいちゃん

が、自分の持っているキーホルダーのなかから鈴を外しこげの首輪に付け替えてくれ

たのだ。潰れているのは 外れた鈴を踏んでしまったのかもしれない、これでも

こげの居場所がわかるからとそのままにしておいたのは、たぶん私だろう。

子犬の領域を超えてからは革製の首輪より、布製の首輪にしたほうが種類もあって

動物病院でもらう雑誌から注文したものもあった。どれもこげの姿が目に浮かんで

しまう。引き出しの中から こげグラウンドで使ったビニールのボールや 姉が

毛糸で編んで作ったボール、中に鈴が入っているんだけど こげが気味悪がって

使うこともなかった。小さい縫いぐるみがあった。パンダとなにかわからないキャラ

で、たしかおとうさんが散歩に行ったときに奥の広場に落ちていた・・・なんて言っ

てそれを拾ってきたことがあった。このあたりでは小さい子供は当時いなくて、

どこかの孫さんが落としたのか失くしたのか、泣いていないかなぁと当時思った。

こげが散歩に行くときに使ったウンチ回収バケツや回収バッグも出てきた。こうなる

と、思い出というより なんでも残しておきたがる・・末は ゴミ屋敷になるんじゃ

なかろうかと笑えるのだけど、ウンチも成長とともに量が増えるので、ウンチ袋と

小型バケツを下げての毎日の散歩だった。暑い中を歩いて 河原に降りて足を水で

冷やすのも好きだったし、でも泳ぐのは大嫌いだったね(笑)

翌日は右の収納ケースを開けた。こちらには雨の日の散歩で帰ってきてから体を拭く

タオルを何枚も入れていた。そのタオルも寝たきりになってからは 口元を拭いたり

掛け布団の調整に使ったり。引き出しから こげの雨がっぱが出てきた。こげが

長毛で雨に濡れたらなかなか毛が乾かないので、少しでも濡れる部分を少なくしよう

と着せるようになった。早く散歩に行きたいこげと着せるのに手間取る私とのいつも

文句の言い合いなのだ。こげがかっぱを着るくらいだから当然私たちも上下のレイン

ウェアを着る。この20年で4,5着買った。大雨警報でも行っていたのだから、串本の

義弟の犬は 玄関で雨を見せたら納得して散歩に行かなかったというからだいぶ違う

こげの雨がっぱも物干しざおに干してみた。6枚あって、本当は7枚だと思うのだけど

背中部分が小さくなって胸当て部分がちょうどいいので同じもののLサイズを買って

胸当て部分は小さいほうを使った。フード付きのもあったけど こげは被ることは

なくよけいに雨水がたまった。それらを畳んでひとまとめにして仕舞った。こちらの

収納ケースはまだ使えるのでいらないものを捨てた後また元の場所に戻した。

翌日、おばあちゃんが三尾川に年末も新年も里帰りできていないので(こげを残して

でかけられなかったので)二人で行ってきた。こげを譲ってくれた叔父さんは

「もうひと七日済ませたかい?」と優しく言ってくれたので 「うん、ほんまに

こげをありがとう」としかもう言えなかった。おばあちゃんの実家は

古い昔から 猟犬を飼って猟銃を持ちシカやイノシシを獲っている。なので猟犬は

家族と一緒・・だけど決して家の中には入れず、今のような室内で一緒に暮らすよう

なことはしていない。私が子供のころに連れてこられたときも庭先で猟犬が昼寝をし

昔だから放し飼いだった。人に媚びることはなかった。この地域では 叔父さんのよ

うに 猟期には数人でそれぞれの犬を連れ山に入ってイノシシを追う・・という話を

よく聞かされていたのだけど 犬にもいろいろあって、人がいたらイノシシにやんや

やんや吠えていくけど 切羽詰まったイノシシがフゥ!と吹いて向かってきたら

人の後ろに隠れるものや、猟銃で仕留めたら我先に獲物を食い散らかすものとか

いろいろあるらしい。でも 叔父さんのところの犬はどれも 追いつめて鉄砲持ちが

来たら もうそばを離れて横になって休んでいる、自分の仕事はこれって判っている

ような犬が多かったそうだ。これまで何十頭も犬を猟犬として生ませ育ててきたので

猟犬として良い犬ができたのと、仕込みかたやしつけ方が優れていたのだと思う。

だから 飼っていても放し飼いだから子犬のうちに誘拐されてしまったりすることも

あったそうだ。叔父さん曰く「これまでに多くの犬を飼ったけど、そのなかで断トツ

こげは長生きしたんやで、猟に行って猪(しし)に裂かれたり、やられてしまったり

して短命やったし、盗まれてどうなったのかわからん犬もあるからの。19年という

のはほかにはないからの。兄弟の吉宗も長生きしたほうや」

「昔、うちに飼っていた犬がジステンパーに罹ったんや。少し離れたとこに住んでい

た人の家にも同じように犬を飼っていたんやけど、その犬がいないんやといってきた

ので探していたら、うちの犬のところに来ていたんや。ジステンパーやからうつるぞ

と言っていたんやけど、毎日うちの犬を見舞うようにやってくるんや。そうしたら

来んようになって うつったんやなぁと話していたら うちの犬がいなくなって

探しにその家に行くと 牛小屋の日の当たるあったかいところで二匹が重なるように

死んでいたんや。そやから、たかが犬とか言うけど違うんや。犬でもそういう

気持ちはあるんや」と話してくれた。あぁやっぱりそうなんだ。古い話だけど

もう50年くらいまえか テレビのニュースで 京都駅前で二匹の野良犬が 誰に

吠えるとか噛みつくとかそういうことはせずに暮らしていたけど ある日その犬が

駅前の道路を渡っていた時、一匹が車にはねられて動かなくなった、もう一匹が

傍を走るどの車にもすごい剣幕で吠えている・・という映像を見たとき なんで

だれも助けないん・・と泣いた時を思い出した。わんでもにゃんでも 感情はあるの

だ。もしかしたら ヒトと同じように それぞれ想い合っていたのかもしれない。

三尾川の犬も 京都駅の犬も そしてこげも また巡り合えたらいいのにね、と思う

 

なんかダークなこげだな だいぶ若い時だな

 

 

こげだ・・・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶

2025-01-22 05:30:00 | 愛犬 こげ

翌日はおばあちゃんのかかりつけ医に行く日で 待合室に行くと先日のTさんの義妹さ

んが来ていて、この方も黒の柴犬を飼っていたころ散歩でこげと遭遇していました。

二年ほど前に はなちゃんが亡くなってまだ立ち直れない頃に 旦那さんがお年寄り

が入院するためもう飼えないという相談を受け、引き取ってきた白の犬を飼っている

ということはTさんから聞いていました。

その頃は こげも遠出するほど散歩もできなくなっていたので会うこともなかったの

ですが、Tさんからこげのことは聞いていたので「こげちゃんはどう?」と話しかけら

れ「うん、5日に、あかんかってん」と言ったら「え~そうなん。もう何年?19・・

こげちゃん長生きしてがんばったんやね」と慰めてくれました。はなちゃんは

可愛がってくれる孫さんが帰省するまで頑張って、帰省した翌日に息を引き取ったそ

うです。しかし、その孫さんは犬アレルギーで 触ると痒くなるので 直接撫でたり

抱っこしたりとかはできず、生活空間も間仕切りでしきっていたそうで、触りたいの

触れない、触ってほしいのにもらえない・・そんな状況だったそうです。だから

犬は最期には 待つよ、会いたい人が来てくれてから死ぬよ・・ということを言って

くれたのですが・・・。4日の夜、お風呂を出た私は一度離れに戻って顔のお手入れを

したり 髪の毛を乾かしたりしてまた母屋に戻って寝るのですが、この時も 夕食時

にこげが噛んだ指の傷を手当てもあるし・・と離れに戻ったすぐに 電話が鳴って

すぐ切れました。ワン切りです。まだ 母屋に泊まり込んでいない頃、おばあちゃん

が一人でこげを動かせないときに ワン切りしたら 来てくれ・・というルールだっ

たので、いまさっき こげは寝ていたのに、なんかあったのか?と母屋に行くと

「お前が出て行ってからすぐに、こげが両足を走るときのように動かしたと思ったら

しっぽを立てて、振ったんや」とおばあちゃんが言います。でも こげはさっきと

同じように横たわったまま目を開けています。「こげ、なんかようか?」聞こえて

いないように寝ています。もしかしたら これが何かの合図だったのかもしれません

私のいないときに そんな重要な合図をしてくれてもなぁ。でもおばあちゃんへの

挨拶だったのかもしれません。おばあちゃんはよく「ばっしゃん、ばっしゃん」と

こげが鳴くというのです。どう聞いても私には「わんわん」とか「ひゃんひゃん」と

しか聞き取れないのだけど。それも 私が朝方こげに3時半とか4時に起こされて

寝返りを打たせたり、水を飲ませたりしてから離れに朝食を作りに行って、母屋に

戻る前に6時ごろ「ばっしゃん、ばっしゃん」と鳴いて起こすと言うのです。おばあち

んは 高齢だから眠りも浅く 夜中に何度も起きるため「なんなぁこげ、もちょっと

寝かしてくれんか」と隣の台所で寝ているこげに声を掛けると こげは静かに寝てい

る、そしたら こっちが目がさえて眠れなくなる・・というようなことを何度か話す

ことがありました。もしかしたら こんなに身軽に動けるようになったから もう行

くからね だったのかもしれません。川向こうの ミニチュアダックスを飼っていた

Mさんも「私が仕事から帰ってくるまで待っていたのか、帰って声をかけてからすぐ

やってん」と話してくれました。こげは 黙って行ってしまったのかぁ・・・

おばあちゃんが診察室に呼ばれ、一緒に入って 採血してくださいと言われて採血室

に行くとそこの看護師さんが「ほいで、こげちゃんは元気?」と聞いてきます。

この一年 ここに来るとこげのことを聞いてくるので ここでこげのことを話したこ

とはないのに、と思ったら どうやら義母が話したようで 同じかかりつけ医であり

そういうことか。。と思ったのでした。「5日の日に息を引き取ったんです」と

言うと「ほんまになぁ、どんな時でも散歩していたなぁ」と言うのです。彼女は

主治医の往診で車の中から散歩中の私たちを見ていたのです「そうやて、雨の日も

雷の日でも散歩に行きたがったからね。でもお正月に子供達も帰ったし、会えて

良かった」と言ったら「うちも だんなが入院したときに悪くなってきて、でも

だんなが退院してきて、それを待っていたかのようにやったからね。子供さんたちを

待っていたんやわ」と言います。え~、そこにも私は登場してないやん・・・こげは

私を特別扱いしてくれへんのか?私には ウンチ処理のときのパタパタしっぽをふ

る、というか床やシーツに叩くように音をたてていた(笑)

かかりつけ医から帰ってきてしばらくして、電話が鳴りました。出ると、こげを

可愛がってくれたFさんの奥さんからです。実はこのお宅にも知らせなければならない

と思っていたのですが もしや誰かに聞いたのかもしれません。「凹さん、あのね年

賀状ありがとう。お父さんがね今年の年賀状にこげちゃんの写真が付いてないけど

悪いんかなぁって気にしていて」と。

こげがうちに来てから毎年年賀状にはこげの写真をつけて、私がその年の抱負や前年

の出来事を年賀状らしからぬ長文で、新年のあいさつなど終わりに今年もよろしく、

という感じで製作したのですが、さすがに昨年末は こげの容体が芳しくないし

私自身 長文を思いつく余裕もなく ありきたりの年賀状を28日に出したという状況

で「Fさん、こげが5日に息を引き取りました。おとうさんにも奥さんにも可愛がって

もらってありがとう」「え~、こげちゃんが、死んだの?可哀そうに・・・でも

あの時 こげちゃんと最後に会えてよかった」涙声で言います。あの時とは

こげが近くのTさん宅までの往復を歩きかねる・・というときに、Tさんのところで

Fさんがウォーキングの帰りに会ったのです、Fさんも 歩行の力が弱ってきたようで

以前のように歩けなくなったということで 「ここでこげちゃんに会えたのが嬉しい

わぁ」とうちまでの道を こげもFさんもゆっくりゆっくり歩いたのです。こげが

若い時にはFさんもいっしょに散歩して 飼っている鳥の頭がハゲてきて・・家族で

「はーちゃん」と呼んでいるというので「こげちゃん はげちゃんやね」というと奥

さんにウケられて(笑)

こんなにこげを愛してくれてる人がいたのがよかったね。寂しいけど この人たちが

どこかで こげのことを思い出して話のネタになってくれたら いいよね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出

2025-01-18 05:30:00 | 愛犬 こげ

動物霊園は 海に面した少し道路から引っ込んだところにあって 小さくてひっそり

と建っています。電話に出てくれた女性の方が出てきてくれました。祭壇まで運ぶの

に手間取っていたら 運びますとこげを抱き上げて祭壇に寝かせてくれました。

その時祭壇には多くのわんやにゃんの遺影が祭られているのに気がつきました。この

霊園で火葬された猫の種類は解らないけど、犬はいろんな犬種の元気なころの写真で

小型犬が多く、あまり大型犬はないようです。寂しがらなくてもいいよ・・という

空気。持って行ったお弁当?を取り出すと、「ご飯を食べられなかったんやね」と

口元に並べてくれます。お焼香の台もあって般若心経を流してくれます。良かった、

それなら毎朝晩、仏壇で唱えているからこげにもきっと届くよね。おじいちゃんが

亡くなってから私が仏壇で唱え出した時も こげが後ろで終わるのを待っていたこと

もあったやん・・・。心経が終わって「最後にお別れをしてあげてください」と

言われこげの顔を撫でて、ありがとうね と言うだけです。ふさふさの耳も冷たくて

痩せて小さくなったようにもみえ、耳の中に指を入れてこちょこちょしてあげると

もっとして、と頭を寄せてきそうです。女性が焼却台に敷物ごと乗せてくれて

焼却台が中に入って、裏からボタンを押したのでぼぅという音が聞こえてきました。

もう、抱っこも、なめてもくれません。外に出て斎場の煙突から煙が出て、白いのか

なと思ったら、黒っぽく灯油くさいような、でも、いま、立ち上っていく煙と匂いは

こげなんだなぁと、熱くないか?さっきまで極寒状態で 今度は灼熱って なぁ、

こげ、でもあちらでお母さんの姫虎(きこ)や 兄弟の吉宗くんが待ってるし

おじいちゃんもお菓子を用意して待ってるから心配ないよ。こっちが心配なら

いつ来てくれてもいいからねと見送ったのでした。10時ごろになるか、早くなっても

連絡しますということで、一度家に帰ることに。来た道とは違う、潮岬周りで。

海を見ながら 潮岬の望楼の芝まで来て「芝焼にこげも来たよね」「あの時は知らな

い人から珍しがられてなぁ」と毎年一月に行われる 最南端の芝焼をこげを連れて

見に来たことを思い出します。大きい犬がいる、とかハスキー犬?とかいろいろ言わ

たりした。さっき斎場でもおとうさんは 私が写したこげのとっておきの写メを

自分のスマホに保存し、それを斎場の女性に見せてどういう犬だったか説明していた

本当にほかの犬に 吠えていくこともなく、おとなしい犬だったんですと。女性は

こげが19歳だったということで 中型犬で19歳は 本当に生き切ったんですよ、と

えらかったねと褒めてくれました。お世辞でも なんでも言ってもらえたらそうなん

や、そうなんや・・・と気持ちをどこかへ預けて置けるようなそんな持ちようになる

のです。家に戻って9時半ごろにまた家を出ようかと思っていたら、早めに連絡をくれ

たのでお迎えに行きました。焼却台で横たわったこげの骨は また一段と小さくなっ

て、あぁでもこげも楽になったよね、と思ったのです。きっと からだも痛かったし

床ずれも痛くて 今じゃ元気な若い時みたいに走っているんじゃないかな・・・

女性が「本当にこの子は最後まで食べることができたんやね。歯が全部残っているん

ですよ。」と言うので見ると 本当にきれいに歯が残るもんだと思うくらいにあって

のどぼとけを拾わせてくださいねと、いいながら どれがどうかは解らないでいる

私たちに のどぼとけを拾って 持参した段ボール箱にそっと入れてくれた。

焼却台の網の上にこげの骨があって「この子はうしろ足の具合が悪かったのかも」と

いうけど 後ろ足より前足が触られるのが嫌でぴくっと引くことがあった。前足の骨

かもしれない。小さな爪の形があるので「爪ですか?」と聞くとそうですという。

爪も残るんだ、そうだ、爪を貰っておこう、しっぽは?と聞くと しっぽはこれです

と、確かに、最後のほうはこげのフサフサのしっぽは皮膚炎で毛が抜けてしまって

三分の一くらいになって、しっぽの芯のような、あれが骨だったのか(笑)

おとうさんと二人、寒いしかじかむ指でお箸がうまく使えず 女性も手伝ってくれて

お骨を拾い、こげの頭をおとうさんと二人で形を崩さないよう段ボールへ入れました

私が骨は全部持って帰ってくる、と言ったもののお墓の用意は何一つしていません。

本来なら歴代のうちの飼い犬たちは 家からすこし離れた持ち山の片隅に土葬してい

ます。私も何度か 土葬についていきましたが 今はその場所も草木が茂り おまけ

に日陰で 寂しいので 寂しがりやのこげなら一日もそこでは眠れないと思うので

できるだけうちの近くに埋葬したいと思っているのです。家に戻っておばあちゃんに

「こげ、みる?」と聞くと「どれ、帰ってきたんか」と段ボール箱を覗き込み

「もう、いい」・・・おとうさんはお昼から出勤し、その間にこげを離れへ安置でき

るよう、片付け、自分の布団も運び数か月ぶりに私とこげは離れに戻ってきました。

火葬も済ませたので、近所のこげに会うのを毎日楽しみにしてくれていたTさんの

ところへ報告に行きました。玄関で「こんにちは、おめでとうございます。」と

小さい声で新年のあいさつをしてから出てきた奥さんに「5日の夜中にこげが息を

引き取ったんで、今まで本当にありがとう。」と言ったとたん奥さんが「なんやて

お父さん、お父さん、こげちゃんが、こげちゃんが」と少し耳の遠い旦那さんに

半泣きで伝えてくれています。旦那さんがこげちゃんがどうしたん、どうしたん、

亡くなったって・・・。毎日、散歩の帰りにこの家に寄って撫でてもらうのが大好き

で、二人が病院とか遠出するときは 明日はおらへんからと連絡くれたり、出かけて

も「こげちゃんに会いたいから 早く帰ってきてん」と言ってくれたり。歩けなくな

って、門のなかにいるときも見に来てくれたりで、伝えるのは辛かったので火葬を

済ませた後で伝えたけど、夕方また「家にいるなら お骨を抱っこさせて」と二人

そろってきてくれました。散歩で一緒に歩いてくれたKさんにも「こげがあちらの世界

に走って行ったよ。いままでありがとう」とメッセージを送りました。暑い日も

寒い日もこげの歩く距離は半端じゃなくどこまでも歩いてくれました。

 

火葬の翌日、役場に死亡届を出しに行くと係は住民課だったので、カウンターで

「犬の死亡届を出しに来ました」と言ったとたん、机に座っていた職員5,6名が

一気に私を見てきました。「え?もしや 届を出す人が少なくて相当珍しい?のか」

と勘ぐってしまいました。若い職員さんが 用紙を持ってきて「犬の名前は、飼い主

さまのお名前とご住所は?死亡日は?」と書き込んでいきます。電話番号を聞かれた

あと、「鑑札は?」ときかれ「鑑札は丸いほうですね?」「そうです、狂犬病予防接

種済のは骨の形ですね。」「鑑札は没収ですか?」と聞くと「回収です」と言うので

正直、鑑札は思い出だから持っておこうと思っていたところへ、有るか無いかの確認

をされたのでショックで「それを回収されるとは想像してなくて」と答えたら

「もしかしたらご自宅に電話があるかもしれません」とだけ、それどういう意味よ

とは思ったけど、まぁ探してもなかったということにしておこうかなと内心思い、

狂犬病予防注射は高齢でここ数年は接種できてないことばれてるかな、と思っていた

ら「これで今年の接種案内通知は届きません」と言われて帰ってきました。こげが

いなくなっただけでも よろよろなのに・。。。とは思ったのですが、何か 廃棄さ

れる鑑札を使って 悪いことを企む人がいるからなんでしょうね。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする