こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

片付ける2

2014-03-31 05:30:00 | 我が家
土曜日も応接間を片付けました。この日は前日に町の指定ゴミ袋に入れたカラオケのカセットテープを 一から分別をやり直しで幕が開きました!

というのも、前日に涙が出るくらいの量の多さのカセットテープを町指定のビ・廃プラゴミの袋に入れて「これでこれを外に出したら応接間に空間ができて片づけもしやすくなるね」とおばあちゃんと

話し、作業を終えたのです。最終確認と翌日にカラオケのディスクをゴミにするのに何ゴミになるかで、≪ごみの分け方・出し方≫~五十音別家庭ごみの出し方~という町から配布されている冊子で

調べ直そうとしたときに気がついたのです。「て」の項にディスクの字はなくその下にある「テープ・カセット」にはビ・廃プラにテープケース、埋め立てゴミにはテープとなっていたのです。ディスクの

出し方は見つけられずにCDで調べたらCDは廃プラで出すように書かれている。中のディスクはそうかもしれないけど外側がハードケースで一体化しているからこれは埋め立てで出すかな、でいいけど

せっかく廃プラゴミ袋に入れたカセットテープを テープとケースで仕分けせねばならないってことです。ガーンという音が頭で鳴っていたけど、そこのところをちゃんと分別しないとゴミ収集の

ときに、収集されず「ちゃんと指定ゴミ袋に入れて出してください」のようなことを書かれた黄色いシールを貼られゴミステーションに残されてしまうのです。私はその失敗がないので 出したゴミを

スゴスゴと引き上げていくちょっと恥ずかしい姿を思うと情けなくなるのです。おまけに 残されたゴミは我が家から出たものだと(いま家の中を片付けているのはうちぐらいだし)すぐに察されて

しまいます(他人はそんなこと思ってないかもしれないけど)。とにかく袋から一つずつケースとテープを分けることに。ここにきておばあちゃんはカセットテープのケースを開くことが指先が思う

ように動かないとか言って(実は開き方が呑み込めないようなので)、私がケースからテープを取り出しテープを埋め立てゴミ袋に、ケースをおばあちゃんの前に積んでいくという方法にしました。

前日の作業は ケースの中から歌詞カードと歌手の写真の紙を取り出して再度テープをケースに収めてビ・廃プラ袋に廃棄したんですからきちんと冊子で確認すれば前日で終わっていた作業です。

「ちょっとまって!いくつあるか数えてみよ」とこの忙しいときになっておばあちゃんは目を輝かせて言うのです。この二人はカラオケには興味が全くないのでこの山と積まれたカセットテープに

やけ気味になり「こんなに買って、無駄遣いや」と怒りながら作業しているわけです。最近ではおじいちゃんも歌うこともしなくなって車の運転中に大音響でテープを鳴らしながら走るだけで、

それを本人が聞いているふうでもなかったのですが、「テープをかけるのやめたら?」と言ってもその言葉も聞いてない様子、本当にこんな状態で事故を起こさなかったのが幸いとしか言えません。

前日にゴミ袋が二袋半だったのが一袋で収まったのは 重くて二袋に分けたからでケースとテープを一緒にするより分けたらそれぞれ一袋になるんだぁ(テープは若干重いけど)・・・。私も

じつはカセットテープ世代で、学生時代にレコードからダビングしたもの、FM放送からダビングしたものを残している。当時大阪ではFM大阪とNHKFMがきれいに視聴できたので田舎者の私はカンドー

したものだ。子供たちに処分される前に(文句を言われながら)ここは早めに≪断捨離だんしゃり≫すべきやね。


               少しは片付けたような応接間

この部屋を見ると、まだまだレコード盤が旧型テレビの下に並んでいますでしょ、おまけに右端にはエレクトーンが、コンセントをさしても音が鳴りません。次姉と私が習っていたのは小学生の頃です

左下にはおじいちゃんが大人買い?をした紙が黄ばんでしまって使えません。もったいない・・・

そうこうしていると、カラオケテープが置かれたあたりから昔懐かしいLPレコードの入った袋が出てきました。さて、誰の演歌集やろ?と出してみるとなんとそれは


              ロッド・スチュワートと鈴木雄大(ゆうだい)

おじいちゃんがこんな趣味があるのではなく、これは亡くなった次姉のもの。結婚する前、この手の音楽を聴いてましたね、でも鈴木なにがしは私は知りません。今も活動しているんでしょうか、そう

いえば本棚の中から尾崎豊の「十五の夜」のシングルレコードも出てきました。この歌は 私がFMで聞いて次姉に「あんたが好きそうな歌だわ」と教えてあげたんだけどそうか、レコード買っていたん

だ・・・。もう一袋LPの入った袋があったんで出してみて。あらららら・・・


                     長渕 剛だわ

こいつわぁ 私のレコードだわ!!ここにあったのか!確かに我が家のオーディオはこの部屋にあったのでここでレコードからカセットテープにダビングしたのだ。そのまま、レコードをこの部屋に

置いていたのでおじいちゃんが保護しておいてくれたのか?しかし、いまさら マッチョな長渕が主流な時代にこのガリガリな長渕が流行るわけでもないなぁ・・私はこの頃の長渕が大好きだったんだ

けど、この頃から少しハードな歌詞路線になっていくような気配があって、私も年をとったのかついていけなくなりました。でも若いころの長渕の声はだいすきだよ~

おじいちゃんのカラオケテープもこの部屋にあるものが(実は寝間にも残っている)最終になってきた。このカラオケ全集みたいなハードケースに入ったものが二つ。開けてみると


                   なんで?高田みずえ

完全にカラオケではない高田みずえのカセットテープが出てきた。やった~、これは私が試聴してテープが伸びてなければもらっておこう。先のカセットテープの中には 姉の≪宗次郎 オカリナ≫

とかいうのや天地真理、岩崎宏美ってのもあったのでもらっておいたのだ。やはり、私はカセットテープの時代ののね・・・というか、片付けながらゴミの中から次のゴミになるもの拾っていては、

いいわけないよなぁ・・・・久々の長渕の若いころのジャケット写真に嬉しくもあったんだけど、どうしようかねと思うのでした。


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片付ける

2014-03-27 05:30:00 | 我が家
昨日は雨が降るというので、こげの獣医さんへ行くのをとりやめました。先週土曜日にワクチン接種行くときには右耳の異常はなかったのであえて先生には言わなかったんだけど、じつは数日前から

耳を掻きまくるので昨年同様の外耳炎を疑ってはいたものの、目では赤くなっているのを確認できずにいたら、月曜日の午後になって耳の中に汁のようなものが出てきました。でも、火曜日には

病院に行かねばならないし、水曜日に行く予定に。その水曜日が雨ともなると 途中のトイレタイムが雨合羽を着せてそのあと体を拭いて・・となります。おとうさんと二人ならなんとかできるけど

私一人だと・・・。おまけに雨と雷とって予報だから行くのは無理だと。で、朝に一度降ったけどそのあとお昼過ぎまで雨というほどの雨量でもありません。無理して行っておけばよかったなぁと

思ったんですが。まぁ、こげの耳には綿棒に消毒液を付けて膿のような汁を拭きとっておいたので、そのあと掻くこともなくなっていたので、改善されたのかもしれません。



雨なので、「雨の日には応接間を片付けるように」と姉に言われていたので、おばあちゃんと片付けることに。この部屋は昔はちゃんとした応接間として使われていたんだけど、近年はおじいちゃんの

個室みたいにおじいちゃんが籠る部屋として、部屋の中にはおじいちゃんの趣味のものがあふれるくらいになっています。思えばここに籠るころから老人性なんたらになっていたのかもしれない。

手作りのメモが、とても私が生きている間に使いきれないくらい作ってくれていてサイズもありとあらゆる大きさ、丁寧に線を引いたものやお菓子の箱を切って作った厚手のもの、一心不乱にこんな

に作って・・と。それもチラシの裏やらそれらを箱いっぱいに作っては確保していたようで・・・。私はまず本棚の古い百科事典をゴミとして出したいのにその前までメモの大群で近寄れません。

本をゴミに出すというのは心が痛い。しかし 百科事典や六法全書のような法律の本は時代とともに古くなると値打ちはありません。勉強家であったおじいちゃんの本を娘である私たちが勝手に処分

するのは心苦しいんだけど、この部屋を在宅介護ということをするためには床を張り替えて強度を増さないとベッドも置けません。そのことは入院中のおじいちゃんにも説明して残しておいてほしい

ものを尋ねたけど、もぅあきらめたのか惜しいものはないらしい。20年ほど前にはカラオケ命!みたいに集めたり録音したりしたテープやレコードも、すでに伸びたり歪んだりしているものが

片隅を占拠しているし、わけのわからん美術全集なんかも積まれている。おばあちゃんと部屋の中に燃えるゴミ・埋め立てゴミ・廃プラゴミ・金属・ビンゴミのそれぞれの袋を置き、本類をひもで

束ねながら選り分けていくと、すぐに取り囲まれていきます。私は 要らないものは貯めておかないようにしようと本当に思ったわ。近辺の地図やら山関係のもの、趣味の一つの俳句のものなど、

捨てられないものも多くて、とりあえずきょうは手作りメモと文房具屋でもできそうなペン類の選り分け、夕方になって「最初からメモがどれだけあったか、あのダンプを数えるカウンターで数えて

みたらよかったわ。百や二百できかんわね」とそこまで思いました。いくらチラシの裏で作ったとはいえこう数があるともったいないやん・・・この手間暇思うとほかにすることあったやろ?と

私もこの人の子、二十年もたつと同じ事をしている可能性もある・・・目の前がどんよりしてきました。それにしても片付ける意気込みは十分あるのに、仕分けをしながらとなると勢いが半減されて

まる一日やっても散らかすばかりで進んだ感じもしませんがな・・・

明日は病院行きなので おばあちゃんに任すとしてゴミとして出すものは出しながら一日も早く床を張り替えるところまでにせねばと…気持ちは焦るばかりなり・・・

私の友人の話に、義父が亡くなって部屋を片付けたら 仏壇や部屋のあちこちから一万、二万とお宝が出てきたんだって。それをエサに子供に片づけをやってもらい子供はニンマリ、友人も片づけが

はかどるという一石二鳥だったらしい。我が家では そういうことはなく、出てきたのは6円だった。そういう楽しみがあれば 片づけにも頑張れるってありだけどなぁ
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ながら運転か?

2014-03-24 05:30:00 | いろいろ

                  3月10日のヤマザクラ

あいかわらず病院に通う日々です。先週は金曜日に病院、土曜日はこげのワクチン接種で田辺に、日曜日は再び病院へと三日連続して往復100キロを繰り返しました。

金曜日だけ自分で運転して、土日はおとうさんが運転をしましたがさすがに若くない二人は 睡魔とだるさ、これは春の陽気のせいでしょうけど。金曜日のことです。

国道は連休初日の一般の車と 道路工事の大型ダンプにタンクローリー、ミキサー車、行楽のバイクの車列と、片側通行のせいで渋滞のまま白浜まで走りました。この日はグロンサンを飲んでいたおか

げで睡魔もだるさも感じずに、無事に帰宅の途についたのです。

病院から西越という地名の信号機のある交差点に来た時に、赤で停車前方に一台の軽自動車。バックミラーに見える顔は20代の若い女性、黒いサングラスを掛けています。一見して若い人にありがち

な派手な感じも見受けられたので、少し離れて停車したのですが信号が青に変わっても動きません。私の後ろにも車がついたので「早く出てよ」と思ったときに前車はゆっくりと動き出したので

続けて交差点を出たのです。そうしたら 前車がいきなりスピードを緩め私どもが後方についていることなど気にもせずに ゆっくりゆっくり走ります。よろよろと右に寄り左に寄りと蛇行を始めたの

で「オイオイまたスマホかなんかやってんの?危ないなぁ」と思いながらついて走っていました。そうしたら今度はいきなり急ブレーキで止まります。そのずっと先に 道路工事で片側通行のために

警備の人が赤旗を振っています。振ってはいるけど停車位置は止まった位置よりまだ十分先にあります。私は前車の彼女が片手と片目はスマホにくぎ付けで、赤旗を確認したからそこで停車したのだと

思ったのですが、どうやら後部座席に小さな子供が同乗していてその子供が運転席と助手席の間に立ち、座席につかまりながら運転席の女性(母親か?)になにやら話しかけたのか前の座席に移ろうと

したのかで女性が急ブレーキを踏んだため子供がシートの間に倒れこんだようです。そういうことは小さい子供を乗せたときによくあることで、チャイルドシートに座らせることが今は義務付けられて

いるはず。「まったく危ないやん」と私はブツブツ言っていたのです。白旗に変わると動き出すと思ったら、またスタートしません。子供の頭は両シートの間に動かずに見えるので女性に動かないよう

注意されたのでしょう。ミラーに映る女性のサングラスは左下のほうに目線がいっているように見えます。あちゃ~ スマホだよ、これは。子供を乗せて片手でスマホをいじって、あなたぁ交通違反で

しょ。

今どきの若い人は 運転中にスマホをよくいじっている姿を対向車線から見ます。そのたびに こちらの私は怖くなります。目線が完全にスマホに移っていながら片手で、またはハンドルの上にスマホ

を乗せて、両手で操作しています。それが乗用車や軽自動車だけでなく、大型ダンプの運転手や物流の運送トラックの運転手さんまでも・・・。生まれた時代が30年も違うと 人間はすごく器用に

進化した!わけではない。たかだか30年で人間片目片手でそれぞれ違うことを完璧にこなせるほどの進化はしないと思うのだ。ながら運転という恐ろしいことをやっているのだ。

運転中にほんの数秒視線を落とすと 車はかなり先まで進んでいく・・・ということを教習所で習ったはず。そういうことは教習所でもゆとり教育とかで 曖昧になってしまったんだろうか?

この車のあとについていくのはよほど注意しないと、いつなんどき急ブレーキを踏まれるやもしれないので 車間距離をとることにしました。やっと動き出した車はのろのろと走ります。小さい子供を

乗せているうえ 周りは住宅が両方にあり横道もあるから、逆に言えばのろのろ走っているほうが安全かもしれません。私は彼女が運転に集中して、両手でハンドルを握ってくれることを願っていたの

ですが・・・住宅が途切れたところでわりとまっすぐになりかかった時に、車はのろのろ走りながらぐぐっと左の路肩に寄っていきます。「危ない、危ないよ」という私の思いが通じたのか、彼女は

ハンドルを右に戻しかけたんだけどどうも、また左に寄っていきます。「バン!ガシャン!」後ろの私がびっくりしてブレーキを踏んでしまうくらい大きな音とともに前車は路肩の≪工事中≫と書かれ

た電柱にくくりつけられた看板にぶつかり、車体が電柱に当たった!瞬間に「パカン」となにやら路肩に飛んで落ちます。それはサイドミラーのミラー部分がスポッと外れて落ち、枠は車体に残った

まま。車はそこで止まるのかと思ったけど、そのまま進んでいきます。当然車内の子供もぶつかった衝撃で前に倒れているようです。女性は10メートル近く走ってやっと止まりました。私は

「ほらみなさい、こうなることわかってるやろ」とその横をすり抜けてバックミラーで見ると後続車もみなすり抜けてきます。あのスピードなら子供が大けがにはならずに、きっと大泣きで車内は

彼女の怒声が響き渡っていることだろう。だけども子供が悪いのではなく 彼女が悪いのだ。自損事故ってやつかな・・・。少しは目が覚めたのかなぁ・・・と思ったのだ。日曜日、同じ道を帰る

ときに電柱を見たらそこにはミラーが見えなかったので彼女は拾って修理に出したのか?と思ったけど ありゃ部品ごと取り換えだよな~と思ったのです。

私は運転中に携帯は触らない。電話が鳴ったら止める場所があるところまで走る。かけてきた相手がわかるし、電話帳に登録してない電話番号だと掛け直さない。でも若者は 運転中スマホゲームと

かまでやるそうだ。そんな車の事故に巻き込まれたら こちらは大迷惑です。なので 厳罰化してくれたら少しはする人も減ったりしないかな・・と思うのよ。


                         ユキヤナギ


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座礁船 

2014-03-21 05:30:00 | 和歌山県
この二か月は家と病院の行き来がほとんどで、町内で何が起こっているのかさっぱりわからないって感じです。というのも、先月だったかコーナン串本店に行こうとして「なんか違うね」とおとうさん

と話したのは、旧串本病院前。ついこの間まで取り壊すための防音・防壁の壁から見えた建物がさっぱり消えていたこと。「い、いつのまに建物が壊されたんだぁ」と驚いたのも、国道を走りながら

「え、ないやん!旧串本消防署」と驚いてしまったのも、なんか浦島太郎みたいな感じだった私たちです。スーパーに買い物に行くのも少なくなり、白浜からの帰りでそっちのスーパーに寄るとかが

増えてしまいました。なので、今回の船を見つけたのも撤去の記事を新聞で見た記憶だけで、それがこんなところに置かれていたとは・・・驚いたしだいです。

国道を走りながら「なに?あれ」と港のほうに大きな船が見えたから走りながら、視野の中に入る建物の隙間からちらちらと見えるものが船だと気がつくまで時間はかからなかったけど、なんで

そこに・・・と思ったのです。だってそこは ぼんくらさんの船が繋がれていたところ(いまはべつのところらしい)やん。その後、地元の会社がコンクリートを固めなおしたりしていたやん。

おとうさんに車を港のほうに回してもらい、見てきました。



                      韓国の座礁船

船って私は漁船とか フェリーとかそのような類いのものしか記憶にないので「なんか変な形ね!韓国って」と言ってしまった。でももしかしたら これはこの形で何かの作業に使われるのなら、

最善の船の形なのかもしれないし、日本の漁船だって陸に上げられれば水面に浮かぶ時より不格好な形になるのかもしれない。でも、日本の船の形は大きくても小さくても美しい形だと思うのは、

まぁ私の勝手なんだけどね。

ところでこの船はなぜ座礁したのか・・・ブログに書いたような気もするがあれは昨年末の話だったな、そうそうぼんくらさんに古座の沖で船が沈没しかかっているよと言ったっけ。暴風で岩場に

乗ってしまったはず・・・。風で横倒しになった船を引っ張りに来た船も座礁したって話だったっけ。油の流出が心配だったけど、大事にはならなかったことや韓国船の船長に判決が下ったことも

新聞で知ったっけ。


トンビが飛んできて、なにやらてすりにでも止まってくれるかと思ったけど。デッキだか外通路だかに降りた。ちょうど赤い浮き輪の後ろに羽をばたつかせているのが見えるでしょ。

ここに置かれて日が経つのか、このトンビが物怖じしない性格なのか、全然警戒していない。≪町のトンビと田舎のトンビ≫みたいなお話が書けそうだわ~。



トンビが船首のほうに出てきた。日陰より日の当たるところのほうが暖かいものね。301WOOSUNHO と書かれている。301ウースンホーとでも読むのか、船体名か??トンビの下の文字が少し気に

なる。DSPIの次の文字、小文字のqみたいな数字の9みたいな、、白いペンキで消したようにも見える。。。



まっすぐ座っていると思ったけどお尻に回ると微妙に傾いてた。逆光になっているので船尾に書かれた韓国名が読めなくなった・・・。地面には諸々の部品やら付属のものが置かれていたけど

これって韓国側が片付けに来ないとずっと放置ってことになるのかなぁ・・・ここは 串本祭りで花火の観客席になる場所なんだけど・・・旧病院や旧消防署のような解体をちゃっちゃとやってくれ

るのか?大津波が来たらえらいことだわ・・・まさか 片付けないとか?それはこっち持ちなのか?


                        全景

やはりこうしてみたら不格好である。私が撮影していたら 国道から車とバイクが「あれはなんだろう?」というような顔をして(あたしもそんな顔していたんだろう)やってきた。バイクの若者は

スマホで何やらしていた。旅行者に これが串本の船だと思われたら少しいやだな…と思ったりしました
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行楽日和

2014-03-17 05:30:00 | 和歌山県
週に三度の頻度で白浜の病院に通っています。さすがにおじいちゃんの様態確認と着替えの運搬とはいえ私も疲れてきたのか 行かない日は眠くてしょうがないです。季節はうららかな春、眠くなるの

もしかたないかもしれません。疲れの症状でキューピー・ゴールドαを飲み、病院で眠くなったらトメルミンを服用し、バッグにはグロンサンを常備し、自販機でコーヒーを飲みと、日夜あくびと戦う

ことの繰り返し。車で走ると最近は他府県ナンバーの車が増え、乗っている人は楽しそうに見えます。ときたまどころか最近は「なんで私だけがこんな目に合わなあかんのよ!」と思いながら運転する

ことも多く、よけいに疲れてくるのかもしれません。先週土曜日はおとうさんが運転して二人で病院に行く日でした。予定では10時半に出て、どこかでお昼を食べてから病院に行って、リハビリを

見学して帰ってくるつもりでした。が、出発が15分ほど遅れてしまいそれでも時間的には支障もないわけだから家を出たのです。ただ、出る前に国道をサイレンを鳴らしてパトカーが走るので

こりゃまた大型ダンプの事故か、よそからやってきた車の事故か、海辺での事故か、救急車のサイレンはなかったので大きな事故ではないだろうと思ったのでした。というのも、先々週だったか、

その日も病院に行こうとしたら国道をパトカーがサイレンを鳴らしてすっ飛んで行ったので、事故かなと思っていたら案の定、すさみの白鳥トンネルで大型ダンプ同士の事故。高速道路建設で急に

増えた大型ダンプ、日本全国から集まってきているからマナーがいいんだと整体の先生も言っていた。あおったり、嫌がらせをすると逐一会社に通告されるらしい。だから無理な運転はしないし

車間距離もとっていると思う。たぶん この時のダンプは和歌山県内のダンプじゃないかと・・・県内のダンプは言っちゃなんだけどマナーが悪いと思える人もいるもんね。

国道を走っていくと、電光掲示板に≪すさみ町黒島トンネル内で事故 通行止≫と表示されています。「通行止めやって、でも片側通行で通れるやろ」と進んでいったら見老津を過ぎたあたりで

広場に停車した大型ダンプが数台止まっています。これはいち早く状況を把握した運転手さんがガソリンを無駄にしないため待機しているんだろうと思われます。うんともすんとも動かず、でも前車も

後車も待つのでしばらく待っていました。ミラーで見ると道路わきを歩いて前方がどれだけ止まっているのか見に行く人がやってきます。そのうちに何台か反対側を走ってくるので「少しずつ通して

いるんやろ」と話しているとたしかに前方が進むのかのろのろ運転を始めました。「こりゃ通しているんじゃなく、渋滞したのが離脱して戻ってるんや。山越えしてすさみにでるのかもしれん」と

おとうさんが言い始めました。おとうさんはおじいちゃんたちと見老津駅近くから奥の山にビシャコを伐りにいったことがあるので すさみに出る道がわかるといいます。ここで待っていてもなかなか

進みそうにないので、山越えしようかということに。離脱した車の後に並んだ車が詰めていくので、進んでいるように見えるけどたしかに反対側から来る車に中学校の同級生の顔を見たときに、

「なんであっちからくる?」と思ったのです。国道を串本方向に戻り見老津駅近くで 車の誘導をしているお兄ちゃんに「ここからすさみに行ける?」と聞くと「通れるけども道幅が狭くて対向車が

きたらずっと下がらないといけません。できれば次の江住から奥に入っていく道を行くほうが時間はすこしかかるけど道幅も広いですよ」と教えてくれた。江住の道は昨年 山を売ってほしいという

話があったときに私も行った道で、高速道路の道になる場所でもないし、買いたい人がどこの国の人かわからないし 山が安いと言ってもメチャクチャ安い値段だったので断ったことがあった。

あのときも高速道路に上がる道の橋脚だけ拝ませてもらったんだけど、かなり遠かった山に行ったのでそれよりもまだ走るというのだ。でも、同じように前方をすっ飛ばしていく車が一台あり、

「あいつもこの道知ってんのや」とおとうさんが追いかけます。道は三尾川に向かう道のような山の中で「対向車は来るな!」と願いたくなるような道です。すっ飛ばしていくといきなり前の車が

ブレーキ。どうやらこの山越え道を知っているようなおじさんが走ってきたみたいで、どうみてもナビなど積んでいそうにないので地元の人でしょう。30分も走っていくと今度は他府県ナンバーの

乗用車が次々やってきます。山の中に道があるなんて知らなさそうな人たちだから、誰かに聞いたのか先導のあとについているのか・・・。私たちの前を走る車に女性が「このままいくと国道に出られ

るのか」とでも聞いています。みんなが入っていく道についていくという人かもしれません。でも、前に車がないと山の中で迷うでしょうね。この状況で、もう国道の通行止めがとけていたら骨折り損

ですが、山の中で交通状況の把握ができません、だって圏外です。なんとかかんとか、すさみの国道から見える新しい道に乗っかって国道まででてきました。国道は普通に流れています。白浜町と

書かれた消防のレスキュー車がやってきていたようです。その後、日置の電光掲示板を見るとまだ通行止めと表示されていたので、山の中を走っている間解除にはなっていなかったのだと思って喜んだ

んだけど、富田橋を渡った時に私の携帯がなって見ると国道で見かけた同級生。「あんた(私)の車を戻った時に見かけたけど、トイレ休憩して戻ったら前を走ってるやん」ということは彼女は国道を

走ってきたのか?大回りした私の車の後についてきたということは あのまま国道にいても大差なかったのか・・・と思うと落ち込んだわ~。でも、うわさに聞く≪雫の滝≫というのもチラリと見たし

それだけが良かったことにしよう。あとでおばあちゃんに聞いたら≪雫の滝≫というのは道からは見えないという・・私が見たのは≪雫の滝≫という看板だけだったのか・・・

翌日の新聞では事故を起こした車は日置で接触事故を起こしそのまますさみ方面に逃げて、すさみ署員の停止を振り切りさらに逃げて黒島トンネルで追い越しをしてダンプに正面衝突してしまったそう

だ。完全に通行止めがとけたのは3時間後だったらしくそれならまぁ山越えの強行軍でもしかたなかったかな・・・。


で、遅くなった昼食は前夜にみつけていた≪健康大好き!ダイニング四季≫という高台のお店に行った。


中央のオレンジ色の建物は ホテルKawakyu


            おとうさんが注文した 日替わりランチ


                私が注文した花籠御膳


和食なのに最後の最後まで お茶がないのは少し残念。私のにはイカのお造りにイカの白和えにイカの塩辛と イカが多くて・・これも観光客に海鮮を売りにしたものだったのか・・と思ったけど、

美味しかったです。
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桜の季節 

2014-03-13 05:30:00 | 花・植物など
忌まわしいあの三年前の三月十一日を思い出さすような関連の番組を悪いとは言わないけど、忘れてはいけないと思っている大津波と原発神話の崩壊。でも、なにか復興が進まない、除染が進まない、ということよりも

来るであろう南海トラフ大地震に備えて・・・みたいに話をすり替えられているような気分で番組をみていたのかおばあちゃんが、夜中に眠れなくなった・・とぼやいていた。偉い先生が自身の研究データーからこの三月中に

も、近海で地震がおきるかも・・・おきるかもと言っていた・・ところで私は就寝したのだけど、そのあともおばあちゃんは見ていたらしい。そんなドキドキする番組を真剣に見なくってもと思うんだけど、年をとると信じやす

くなるのか?だからオレオレ詐欺とかひっかかるお年寄りが多いのか?と思ってしまった。


私は銀行に行ってきた。おじいちゃんの歩行に必要な義肢コルセットを作ることになり、今週代金と引きかえで渡されるから。体に合ったものなので金額もアッと驚くもんで、でも補助金?助成金?で九割戻ってくるんだと

説明されたし、歩くために必要だから仕方がありません。カードの引き出し額を超えてしまうので、二日にわけて機械の前に行くのもめんどくさいので窓口で出金することにした。なるたけ、銀行の窓口には近寄りたくないと

思っていたので・・・いや、べつに暴れたり文句を言って要注意人物にノミネートされているわけではない(と思う)。一月にちょっとご面倒をかけてしまったのだ。

おじいちゃんが倒れたのが土曜日で、ICUに入ったきりだったけど意識もあり会話もできたので安心はしつつも、実は万が一に備えた準備もしておかねば・・ということになりました。人が亡くなれば金融機関の口座は閉じられ

たとえ、妻であろうが子供であろうが出し入れはできなくなる・・ということは、巷のうわさで聞いてはいたものの自分が直面することにはならないと、へんな余裕があったような。たしかにいつまで続くかわからない入院・

療養費の心配も、あっけなく死んでしまったら今度はそれが葬祭費となって支払いが待ったなし。何度かお葬式のお手伝いに行かせてもらったけど田舎だと自宅で葬儀をすると、何やかやでお金が出ていくように思えました。

生前、いやおじいちゃんは今も生きているんだけど(笑)、自分の葬儀について箇条書きにしたものを私に渡している。それを偶然この一月にみつけ、「元気な時にもう一度見直して書き直しておいたら?」とおじいちゃんに

言ったのだけど、「いや、それはそのまま持っておいて」と笑っていたのでそのまま預かっていたのだ。だから倒れたときに「あんなこと聞いたからかな?」と思ったけども、べつにそれが起因なわけではないでしょね。

おばあちゃんと万が一に備えて、おじいちゃんの口座から少しおばあちゃんの口座に移しておこうではないかということになって、「でもぅ金額が大きいと窓口で根掘り葉掘り聞かれるで」と言うと「しかたがないやん、正直に

言ったらいい」と、私が窓口に立つんであっておばあちゃんは自分は知らない!って態度、これは長女の悪いとこだと思う。人を年長者の勢いで使う癖がある。私は記入用紙に、書いたことのない金額を書き込み「頼むから

何も聞かんでくれぇ~」と差し出した。窓口の女の子はおとなしそうな感じだけど、さっそく私の名前を呼んだのだ。「お引き出しの金額が多いのですが、大変失礼になりますがごいりようの御用件をよろしければお聞かせねが

えませんでしょうか」と舌をかみそうなセリフをすらすらと言う。私は「実は父親が土曜日に倒れて動けなくなってしまい、もしかしたらの場合もあるかも。で、土曜・日曜、そして月曜のきょうお金を準備して 母親の口座に

移しておきたいと。はい、亡くなってからでは口座が止められて出し入れができないのはわかっているので、そうなるといろいろな支払いもできませんので・・・・こういうのはダメでしょうか」と答えたのです。

彼女は半分泣き出しそうな顔をした私につらそうな顔をして「それは大変でしたね。病院にいなくてはいけないのにわざわざ銀行にお越しいただいて申し訳ありません。そういうことでしたか、最近近隣の市で振り込め詐欺の

事案もありまして、失礼と思ったのですがいろいろ尋ねて申し訳ありませんでした。」こう うまく返されたらさすが銀行マニュアル!ねって思ったんだけど出金を許す役目の上司に目くばせをして「なにかありましたら、

ご相談に応じますから」と言ってくれた。私は金融機関って人の死亡をどこから聞き入れるのか、なんかそんな情報を報告するスパイのような人をあちこちに仕込んでいるのか?と。それとも死亡届を受けたりした役所から

情報がくるのか?不思議だと思っている。このお金を今度は おばあちゃんの口座を預かるJAの金融の人に来てもらい、事情を細かに説明して預けることに。その時も「金融機関さんはどうして 人の死亡を察知して口座を

閉めるんですかぁ?情報屋さんみたいな人いるん?」と尋ねたけど答えてくれなかった。シークレットのようだな。

とはいいつつ、今回の出金もこのあいだの彼女の窓口に呼ばれませんようにと願ったのだが、またも彼女の前に行くことに。彼女は私を覚えていて「その後お変わりございませんか?」と聞くのでてっきり父親のことかと思いき

や「三月とはいえ冷え込む日もありますから、どうかお体気をつけてくださいね」となんと、私のことを気遣ってくれたのだ。私は一瞬、ポカンと口を開けていた。「う、うれしいわぁ。そんなこと言ってもらって」と思わず

口走ってしまった。彼女はにっこり笑ってくれた。そのあと、とても気持ちがよかった。あぁ、あんな女性が未来のお嫁さんだといいのになぁ・・・と、たとえそれが業務用トークだとしても一瞬妄想めいてしまったのでした。



                     青空にきれいに映る 校庭の桜

フェンスを入れたらここは校庭に見えるかな?と思ったけどそれよりも校舎の一部を入れてみようか・・・


           空の色が修正されたみたいにきれい。桜の花弁はぼってりしている


            もう少し校舎を。。。。人けのない午後の校庭。

この日は風も強くて揺れる桜を写してみた



この小学校は統合されて閉校になってしまいましたが、校庭と校舎はそのまま残っています。大津波の時には屋上に避難するのでしょうか?屋上にはすんなりと上がれるのでしょうか?

春の、のどかな川の流れも


前方のJRの鉄橋、これを乗り越えて津波が来るのか・・・

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サクラボンクラ

2014-03-10 05:30:00 | 花・植物など
三月も半ばとなってきました。地元の高校や中学校も卒業式を終え年度も終わりを迎えています。

なのにこのところ寒さがぶり返し、関東では雪の降る日もあるようです。和歌山南部は雪に触れることはないですが寒さはやってきます。

一月からバタバタと日を送り、鉢植えにしたパンジーの世話もままならず種をまいたもののそれを植えかえることも忘れ、今年は花に恵まれることはなさそうです。植えっぱなしの花は芽をだし咲いてはいるけど、じっくりと

見ることもありません。そんななか、昨年植え替えた サクラボンクラ(暖地桜桃)がいつのまにか芽吹きつぼみが膨らんでいました。


                  3月4日朝7時30分

ブログ友のぼんくらさんにもらったサクランボの木、地植えにしたぼんくらさんのサクランボとは成長が比べものにならないとは思うけど、枯らすこともなくここまできました。



今年は 植え替えの時の追い肥えが効いたのかつぼみが多いように思います。だけども、それに感動を伝えることもできずもしかしたら サクラボンクラはすねて実を付けてくれないのでは・・・と心配もしています。

これが全部 サクランボになったら今までで最高の個数となるんじゃないかなぁ・・・それは無理と思うけど、でもがんばって結実となってほしいね。


                  同じ日の午後3時30分

最初の写真の花が開いていました。寒い日があってこその開花、植物の力はすごいです。正直 その気力を私にも分けてください・・・ドラゴン・ボールの悟空が元気玉を集めたように・・・



                  3月6日 朝6時30分

一気に開花が進んで 全体の六分咲きくらいでしょうか?ヤマザクラやソメイヨシノのような桜とはちがい 派手とも可憐ともちがい 楚々とした花という感じ。サクラボンクラの種から芽吹いた サクラボンクラ2世も

新芽を出し始めたものもいます。夏の暑さが堪えて枯れたのもあって 今後の成長もどうなるかはわかりませんが・・・


                  サクラボンクラ2世たち



今年の春はおじいちゃんの自宅への帰還を待つ、そんな春になりそうです。
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まさかの・・・

2014-03-06 05:30:00 | いろいろ
きのうは寒い雨が午後三時過ぎまで降りました。朝の天気予報で傘マークが午後三時で畳まれたイラストに替わっていたので、それを思うと正確な天気予報だったと言えますね。予報どおり、

雨が止むと薄日までさしてきたので、こげの散歩もその頃家を出れば雨合羽はいらなかったことでしょう・・・。

昨日の雨ではなく その前の雨の時です。この雨は 冷たい雨ではなく心持ち春の気配を運んできそうな 気温も上がりかけていたのでしょう。いつものように雨合羽を着た一人と一匹が、日々の

あれこれ(いまや考えることはおじいちゃんの今後です)をぼんやりと思っていた時、こげが草むらに鼻を近づけフンフンと嗅いで、動こうとしません。私は雨合羽のフード部分から落ちてくる雨粒に

閉口しながら「ほらぁ、そんなところ嗅いだり舐めたりしたらあかんよ」とリードを引きかけたとき、こげがなにやら異物に対して戦闘モードっぽい態勢に入っているのに気がつきました。

鼻先は冬枯れた草がベージュ色と赤茶色で雨が降り 私の目も老眼でそこに何があるのか、すぐにはわかりません。でも、こげを引き寄せながら顔を近くに持っていくと 草の上に見慣れない変なもの

の顔が見えたのです。「なに・・これ?」一瞬大きな蛇のようにも見えたんだけど どうもそれとは少し違うかな・・・でも、どこかで見たよなこんな生き物。目が顔の横にあるような その顔が

六角形に見えたのは正体がわかったあとでも不思議な感じですが・・・。私は暖かくなって 何かが草むらから出てきたんだと、そこまでは理解したんだけど、まだこのときは何か新生物発見!した

とも思っていたのです。色もベージュと赤茶・・・「も、もしや 色は違うけど、あれよあれ・・・」とその生き物の体を見ようと横に移動したら私の目にはスッポンが首を伸ばしたように生き物の

体が伸びているように見えたんです。それでも名前が出てこない「ほら、どこかで生け捕りにしたら400万円とかもらえる・・あれよ。びょ~んと飛んできたりしたって目撃談や、ビール瓶みたいな

体型の・・・」とますます体を見ようと回り込んだ時に「あー、なんだ、ダンゴク(大きなカエル、ゴトビキ)かぁ~」ダンゴクの後ろには 草むらに直径5,6センチの穴が。ということは この雨

と気温で冬眠から這い出てきたって感じ?それで色が変だったのかもしれないけど、私はいったい何を思っていたのか・・・。その名前を思い出したのが 二日後で、そぅ私が言いたかったのは

ツチノコ。ホント、カメラを持っていないのをそのときどれだけ悔やんだか。その話をおばあちゃんにしたときに「それをどうするつもりやったん?」と聞かれ「決まってるやん。それがツチノコ

だったら、雨合羽脱いで捕獲よ。生捕ったらどこかの動物園が買い取ってくれるかもしれんやん」と笑ったのでした。


それより前にも、こげが庭の隅の地面に吠え掛かっているわ土にパンチをするので、見てたらこわごわ足先で除けたシートの下からにょろにょろと這い出してきたのが トカゲ。こげは躊躇なくくわえ

かかったので「や、やめてくれ~、こげ、そんなもの口に入れたり食べたりしたらあかん!」と首輪をつかんでとめたのでした。


このように春の気配は 眠っていたものを起こしてしまうのでいいのか、わるいのか・・・。

ダンゴクはこげが近寄っても動かずじまいで、こげはマーキングをしてしまい≪蛙の面に小便≫って、なにか悪いこと起こらない?と心配したけどことわざどおり ダンゴクは何事にも動じないふうで

座っていました。
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病院通いに

2014-03-03 05:30:00 | 我が家
おじいちゃんの入院もひと月を超え、二月末から回復期リハビリのできる病院へと転院することになりました。それが最善だと私たちは思うのですが、当の本人にすれば一刻も早く自宅に戻って

今まで通りの生活(そうはいっても半分の体がいうことをきかないのでできないとは思っている部分もあるんだけど)をしたいと思っていることは、これまた家族みんなはわかっているのです。

だから 自宅で家族が面倒をみてあげたらいいのに・・・という者はいません。現実的に今のままで自宅でリハビリや静養なんてとても無理。自分で歩けるのは無理でも車いすに移れるくらい、

そして言葉がわかるように喋れるようになって・・・と思うのです。幸い右手は動くので入院中になんとかミキサー食をスプーンで口に運び、エプロンにこぼしながらも食べる動作はできていました

おかずもおかゆも形がない、ゆるゆるの状態で味もどうなんだろ?と思うこともあったのですが人間生存本能で食べようという力はあるものなんだと痛感したしだいです。


私はおばあちゃんを乗せて 着替えを持って通うのですが、最近 高速道路の建設が活気を増してきたのでしょう、大型ダンプとすれ違ったりそれらに挟まれてのろのろと田辺まで走る日が毎度です。

おまけに 年度末なのか道路工事や 今になって防波堤の強化工事やら高さを高くしたり 道路監視カメラの設置工事や道路標識の書き換えが増えて交互通行ばかりです。整体に通いだした頃からでも

大型ダンプは多く「何台出会うか」とおばあちゃんは口で数えだしていました。その頃は片道で50台あるかないかというものでしたが、今年になって一気に増えだしてきました。注意して見ると

鹿児島ナンバーから宮崎、当然和歌山ナンバーのダンプカーもありますが関西地方の各県でした。そしておじいちゃんが運ばれて通うようになると その数が面白いように増えているのです。

おばあちゃんは次から次にやってくる台数を数え「いまのは大阪やったな」とか「和歌山のが続いてきた」と言っていても やってくる間があくと例えば「23」が二度になったり、一気に「23」の

つぎが「28」とかになる場合や「16」とか減ったり(笑)。運転する私もそっちの数字が気になるので 危ないなぁ・・・と思ったのでアレを持たすことにしました。


                    正しくは128台

この日は病院まですれ違った台数が128台。誤って元に戻すネジを回したので千の位まで出してしまいましたが、このカウンター、百均でみつけましたの。カチっと一台とすれ違うと押すのが

楽しいようでおばあちゃんは、ますますやってくるダンプの色やナンバーをきちんと確認するようになりました。100台を超えるようになると、千葉や岩手、宮城、とうとう釧路というナンバーまで

登場して日本地図を想像しながらの道中です。こうでもしないと 通いなれた国道、退屈します。


                     帰路は134台

「きょうはこれだけやった」とべつに 誰が調べてほしいとか何かのデータに必要でもないんだけど暇つぶしにしています。この土曜日 姉たち夫婦と病院に向かう途中、私が後部座席でカチカチと

押すので姉が不信がり その正体となぜこれを使っているのか説明すると姉たちにバカ受けしました。義兄は「交通量調査みたいや」と言うので「私も最近ミキサー車も増えたからもう一つカウンター

をおばあちゃんに持たせて両手で押させようと百均に買いに行ったら、あんなにあったカウンターが一つも無いの。」と訴えたのだ。本当に一つも・・・最初買ったのから一週間くらいしか経ってない

のに・・・。

次にこの大型ダンプ、土砂や砂を田辺~串本間で運んでいるんだけどその間に 運び先が何か所もありすさみの高速道路工事現場に行くもの、江住の現場に行くもの、串本に向かうものとそれぞれ

ゼッケンナンバーを車体の前後ろに付けていて、一の位から千番台まで色と数字に分かれています。滋賀県のダンプはツートン、京都と静岡はピンク色でおばあちゃんは京都のピンク色はなんか

品がない!と嫌い、和歌山ナンバーのダンプはおしなべて車体の色が暗い(笑)千葉や岩手は白色で、奈良は三台並んでやってくる・・・と、こんな情報はだれも知らなくていいんだけどね。

私は心ひそかにスリーセブン「777」がやってくるのを楽しみにしている。往復しても一回しか会えない日が多く、それだけ前方から走ってくると思わず「来たぁ!」と叫んでしまう。

しかし、ダンプのおじさんたちは私たちがカウンターまで買って意味もない台数数えをしているなんて知らないし、ほかの車の人も前を走る私の車の中でこんなたわいもない遊びが流行っているなん

ざぁ 誰も知らないのよね。

姉が新宮でさっそく カウンターを見つけてくれた。どうも次回やってくるまで姉が道中遊びそうな気がする・・・
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