こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

VSカキエモン

2018-07-29 05:30:00 | 我が家
7月中旬から 頻繁にやってくるサル。とうとう 凹さんとの闘いが勃発しました。

人を馬鹿にしたようなサルに ネットで見たおもちゃのヘビで撃退という方法でしたが

おもちゃのヘビを 柿の木の枝に乗せたり、くくりつけて様子を見ていたら2日間は

近寄っても来ないので、効果があったと思っていましたが3日目にはまた柿の実を

食い散らかし、姿を見つけた私に大声で「こらぁ!」と叫ばれては 口に一枝くわえて

飛ぶように山に逃げていきます。やはり 2匹のおもちゃのヘビでは効き目がないのかと

思い、追加で2匹買うことに。スーパーの百均で 2匹のヘビをむんずとつかんで

レジに行くと、レジの女性が一瞬、手を引っ込めかけたので「ヘビが苦手か?」と

思って見ていたら、ヘビについている台紙をつまむように持ってかごに入れます。

お客さんも少ないし、そのままいつもなら商品をレジ袋に入れてくれるのに  

もう一匹のヘビも袋入りなのに こわごわとかごに入れて「ご自分でお願いします」と

小さい声で言います。怖くても これっておもちゃだよ~と振り回して見せようかとも

思ったけど、逆の立場で 私も目の前にムカデのおもちゃを出されたら「ひぇ~」と

なってしまう・・・と レジの女性の態度に同感してしまった。

袋入りのヘビは それまでのシマヘビのようなものや コブラ型とは違ってリアルに

袋の上から触っても ヘビの感触・・いや、生のヘビも死んだヘビも触ったことは

ないけど、たぶんこんな柔らかさだろうと思われるくらい生々しい。これで大きさが

あればいいのだけど 少し小さいのが残念。柿の枝に乗せても わかりにくい。



こんなもんで効き目を期待するのも無理なのか やはり二日目には



こんなふうに 食べ散らかして、おまけにヘビを地面に落としていきやがった!!



この日は 青柿を17個 あちこちに落としていたので そんなにおいしいのか?と

食べてみようかと思ったわ。青リンゴのような サクサクした感じか?とかね。

それでもまだ柿の木には わんさかと実がついている。



お風呂の屋根にも残していくので 雨樋が詰まらないか心配だし・・・

「名前を付けたわ!」とおばあちゃんに言った「あのサルに カキエモンと名前を付けた」

とたんにおばあちゃんは笑い出し「カキエモン!そりゃええわ」 昔の陶芸の名工柿右衛門には申し訳ないけど

こう毎日のように サルとの戦いに、とうとう私も堪忍袋の緒がきれました!

今までは 競技用ピストルを鳴らしていたけど、おとうさんの使っていない何のために購入したのかわからない、

まえにアナグマに威嚇で撃って 全然効果のなかった エアガン(おもちゃ、ロボコップ仕様)を使うことに。

人や動物に向けて撃ってはいけないのはわかっているけど、 あの赤い顔を見ていたら 威嚇作戦も必要やなと。

で、昨日の夕方 待ち構えて柿の木にやって来たところを プスッと撃ってみた。

カキエモンの体には当たらなかったけど お腹をかすめたように見えた。カキエモンは 慌てて屋根に飛び移って

一目散に裏山に。それでも木の上に座ってこっちを見るので すかさずもう一発 プスッと撃ったら  なんと

BB弾の弾切れ(あちゃ~)しかし 音は聞こえたらしく さっきお腹をかすめた記憶があるのか すぐにお腹のあたりを

見ている。マジ 人間ぽいしぐさまでする。あまりしつこくすると 屋根瓦を剥がしたり 網戸を開けて室内侵入すると

いうことも聞くので、そのくらいにしておいた。サルを近寄らせないように何か手立てがないかと思うのだけど

サルの人形を吊るしておくのはどうか?カラス除けに カラスの死骸や それを模したものを吊るすと近寄らないという

でもサルって 猟師に撃たれた仲間を引きずって持ち帰って ご馳走になるというらしいから 効果も怪しい。

人家ゆえ撃ってももらえず カキエモン(ズ)が闊歩するのが 非常に憎たらしい

向こうも 台風12号接近で 食いだめしておかなければならないのかもしれないけど、うちの柿ばかり狙うことは

ないだろう。おとうさん曰く「次に ≪猿の惑星≫みたいによろい着けて出てくるかもしれんぞ。」ここ数日、

CS放送で 猿の惑星見てたから そんなことを言ってきます。人間が牢につながれているってか?

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耐えられない

2018-07-24 05:30:00 | 我が家
どうしたもんでしょ、この暑さ!

昨日は 全国的に35度以上のところが一気に増えたそうで、串本町潮岬でも

31度はいったようだ。しかし 潮岬は海に面しているので海風が入るので

我が家とは全然温度差がある。関西圏でも 大阪や京都よりは潮岬が4度、5度

低いのでこの季節 他府県ナンバーの車が大挙してやってきます。和歌山市では

37度、古座川町西川でも36度はあったそうだ。都会とそう変わらないやん。

夏休みに入ったのもあって 週末の町内のスーパーやホームセンターは人でいっぱい。

バーベキュー用品や 大きなゴムボートや浮袋は現地で購入するので

「あんなの買ってどうするんだろ?来年も使うのか?」と思ってしまう。帰りには

荷物になるのにでも それも楽しみなんだろうな。


朝から暑かったけど おばあちゃんに頼まれた畑の草をちょこっと刈った。

夏草は成長が早いので お盆までにまた伸びてくるのでは・・と心配だけど

こう気温が高いと 伸びる速度もゆっくりかもしれません。

汗だくになって いったいどれくらいの気温なのかと思い 外の洗濯機のところに

置いている温度計を見たら



どっちの温度が正しいのか、さすが百均製の温度計30度を超えたものと超えないもの、

いい加減だわ~と思って もう一つのこれらよりは正確かもと思う温度計を見たら



38度じゃん!子供たちが使っていた二階の入り口に掛けていたものだけど、これがたぶん

本日の外気温だと思う。というのも 以前はこの二階の前に納屋があって日陰になっていて

こげの格好の安息場所だった。納屋の地面が土でひんやりとしていてそこを通ってくる風も冷たく感じられたけど

それを取り壊し、地面をコンクリートにしたので太陽の照りつけが半端ない!

なので温度計がその照りつけをキャッチして38度になったのだと思うけど、このあとほぼ40度に上がっていた。

どおりで 履いていた長靴を脱いだら汗がひざから下についていた。恐ろしい暑さだわ

30分ほど刈って 30分休憩。ここ数日は500ミリリットルのアクエリアスをぐびぐび飲んでしまう。

アイスやスイカも水分補給として食べてしまう。熱中症予防だと言いながら 夏太りしてしまいそうにそれも

恐怖なんだけどね。

こげなんか 散歩中に おとうさんがフンの始末をしている間 アスファルトが熱くて後ろ足を交互に

上げ下げしていたそうだ。なので 散歩の時間も夕方四時半まで繰り下げたし、それまでエアコンの効いた部屋で

休むことにしている。一昨日は エアコン拒否のおばあちゃんもとうとうエアコンを点けた部屋に入って

ソファーで昼寝していた。よほど夜は眠れてないんだろう。いいことだ。体力を落としては今年の夏は乗り越えられ

ない。

私の車のエアコンがどうも涼しくならない、涼しくならないというか アームカバーをしているから気づきにくいのか

それともそれだけ暑いからかと思っていた。思っていたけどやっぱり暑いので ガソリンスタンドで「あまり冷えないような

気がするんです」と言って見てもらった。店員さんは「コンプレッサーが動いているから ガスが少ないんでしょう。

入れますか?」というので「お願いします、時間かかります?」と聞くと5分10分くらいですむというので

店内で待つことに。しかし5分10分経っても車がやってこない。しばらくして店員さんが「からっからでした」と

言う。からっから!ということは「わたし、そしたら送風状態で乗っていた?」と言ったら「んー、扇風機でしたね」

と笑われてしまった。しかし、早めに充填してもらって、そのあとの快適さを実感してホッとしたのでした。

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想われるひと

2018-07-22 05:30:00 | 我が家
今年の七月は異常気象を通り越し 私達は気象の未体験ゾーンに突入しているそうです。

先日の西日本豪雨災害も 先週から続く全国各地の気温がざらに38度以上40度にもなると

この日本にいて 高温が続く毎日なんてそう体験はしていないはず。思えば小学生のころの

夏休みの日記には 気温を記入する欄があって 30度なんて書いた記憶が少ない。せいぜい

28度くらいだったと思う。数日はエアコンも 我慢できるところまで我慢していたけど

とうとう室温が33度になって「もうだめ」と白旗を挙げた。子供のころにはなかった

エアコンだけど 今やその中で生活することに慣れてしまった私達とは違い おばあちゃんは

エアコン拒否派で 窓という窓を開け放っても 扇風機を回しながらでも温風状態のなかで

暮らしている。冷えた部屋にいると足腰が痛むから・・というのだけど、ニュースで

エアコンを使わず室内で死亡していた老人・・・というニュースを見ても、自分は大丈夫だと

信じ切っているところが怖いのだが、私は「万が一死んでいたら 笑われるのはおばあちゃんで

私たちは非難ごうごうに言われるんやで」といくら言っても聞く耳をもたない。命に係わる

危険な猛暑なんだけど・・・水分と塩分としっかり摂ってよ・・・としかいい続けるしかないのだ。


     今年は 気のせいか セミの抜け殻をよく見る。猛暑の年は セミが多いのか?

この間 お嫁ちゃんからメールが来て 仕事を終えて部屋に戻ったらドアの横にセミがとまっていて

しばらく部屋に入れず 勇気を振り絞ってドアを開け 部屋に滑り込んだそうな。彼女は 串本町に

近いような田舎育ちなんだけど 虫が苦手だとか。まぁセミは 予測不能な動きをするからその様子が

目に浮かんだのでした。


先日のブログ≪想い出のひと≫を 読みました・・とメールを貰いました。

幼稚園から中学、高校と同級生だった男子です。ずっと前に ブログを読んでくれたことも

あったのですが、そのあと中学校のクラス会を開いたときにもメールをやり取りしたことや

友達とお茶をしたこともあったんだけど 「なんで?」と一瞬思いました。

が、彼の文面を読んでいて驚いたのは 亡くなった姉Sは 彼にとっても小学校時代の憧れの

お姉さん・・・だったということです。そのうえ どこで接点があったのか Sとも会話をして

いる。まぁ妹の同級生で 小さい小学校だったから知らないことはない。が、話をしたというのが

不思議な感じを覚えたのでした。彼は HくんやMKのようなタイプと全然違うので意外でした。

その時24か25だったというので 姉が亡くなる前だったんだろうし、姉もまた不思議なことを

彼に言っている「○○○(私)とも遊んだってよぅ」だと・・・・。彼は同級生であっても 無口なほうで

私は小中学生時代から 苦手な人だった。姉としたら 妹が苦手に感じている同級生と仲良く

してもらいたかったんだろうか・・・彼としたら 幼い頃に憧れたおねーさんにそう言われると

困ったもんだと思ったに違いない。おまけに 21の時に中学のクラス会で集まった時に写した

写真もメールに添付されていた。その 写真を見て驚いた。彼の息子さんが実家に帰った時に

父親(彼)の古いアルバムを持ち帰ったそうでその中の一枚なんだけど、 私も

Hくんが訪ねてきた日以降に 偶然見つけたアルバムの中の同じ写真だった。

自分がその写真を見たときに「なんで!なんでTくんと並んで写している?」ともう何十年も前の

写真に正直オタオタしました。なんでかなぁ これも姉のパワーなのか?と思ったりして

彼にどういういきさつで写したのか聞いてみたい気もするけど、もしかしたら昔に聞いたことあるのかも

しれない。すっかり忘れているのは私なのか・・と不安な気持ちもよぎるし。

そして 彼、Tくんも森田童子を聴いていたのだ。姉から 私の同級生につながるルートは不思議だと

思えて仕方がない。人に≪想われる人≫というのはこういうことなのかなとも思うし、

姉はやっぱり不思議な人だったのかな





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招かざるもの

2018-07-17 05:30:00 | 我が家
今年は異常気象だ。

ここ数日の猛暑と、先週の西日本豪雨災害は ニュースを聞くたび死亡者と安否不明者数の増加に

背筋が凍る思いがします。あの災害が もしかしたら紀伊半島なら、もし串本町ならと考えただけで

どの段階で避難すればいいのか?どこに避難すればいいのか?大水なら 高い場所にいけばいいけど

そこには 雨をしのげる建物は無く 夜間の避難なら朝まで立ち続けなければならない。私たちだけなら

大丈夫でも 高齢のおばあちゃんを連れてと思うと 集会所があれば・・・、集会所はあっても

川のそばで水があふれたら速攻床上浸水するようなところだ・・・。


梅雨の頃 「今年はハチが多いで。台風多いかも」ということをよく聞いた。

台風が多い年は ハチが高いところに巣を作る・・・ということなんだけど、山のそばに家があると

「ハチの巣って、アシナガバチやスズメバチ、土バチとかよく見るから大小の巣は普通だよね」と

のんきに思ってしまう。居間から 軒下を飛ぶハチを何度か見かけていた。スズメバチじゃないし

土バチかな~と思っていたら、ある日 一匹だったのが二匹三匹と飛んできた。さすがにハチの巣を

造り始めたのか?と外に出て確認したら、「うそ~、作っているやん。おまけに働きバチか?

兵隊バチか?巣を作っているやん!」と勝手に巣を大きくしていた。これは 暗くなってから駆除をしないと

と思い、昼間のうちに ハチアブジェットスプレーを用意し、夜を待った。だいたい こんな作業は

男がするものなんだけど、言いだした者が先頭に立つ・・という、というか 私がしなくちゃ あまりおとうさんが

先に立ってすることがないので おとうさんには懐中電灯を照らしてもらい、スプレー噴射を私が担当ということ

で開始した。スプレーは 10メートル以上噴霧できるので 一気に噴きつけたら ハチが戦闘攻撃する間も

ないと思うんだけど、巣から離れたところにいるハチに攻撃されたら 勝つのはムリな気もする。

おとうさんも照らし続けていたら自分のほうにハチが来てしまうとビビるので 場所を確認し 私が噴霧し

懐中電灯を点けたり消したりして 様子を伺いながら駆除することに。一気に噴きつけていたら

ボトボトと何かが巣から落ちているような音がする。私は巣の外にとまっていたハチが落ちているもんだと思って

いたんだけど、翌朝見てみたら それはハチの巣の中にいたこれから出てくる幼虫のハチたちだった。

お尻のしま模様もできていたので数日後には ハチとなって巣の拡大に貢献するハチたちだった。



ハチアブジェットはスゴイ威力だ。ハチの巣にとまって寝ていたハチが その姿のまま死んでいた。

白いのがこれからハチになるものだから この段階で駆除することができてよかった。



直径12,3センチはあった。お皿ほどの大きさだ。もっと小さいうちに駆除してたらよかったものを・・とおばあちゃんに言われてしまった。



母屋には柿の木があり、昨年のお風呂とトイレを新築した時に邪魔になるから  伐ってしまおうと私は言った。

しかし 母屋のおばあちゃんは 柿の木の下に エビネの鉢を置いているため日よけに柿をしたいがためか 秋に柿を食べたいがためか

伐らないと言い張って 私としては柿の葉が落ちて側溝に溜まったり、青柿が落ちて腐ると コバエがわいたり、秋には熟した柿に

スズメバチが飛んできたりするので嫌で仕方がないんだけど年寄りの希望を心ならずも聞いてあげたんだけど・・・

5,6センチの青柿に サルがやって来るようになった。お風呂の掃除をしていたら屋根でゴトンと音がする。柿の実が落ちたのかと

思っていたら、窓からサルが枝を揺すっているのが見えた。慌てて大声を出しながら外に出ると、サルが青柿を付けた枝を口にくわえて屋根を

走って行く。その下をこげが追いかけていくも なぜか吠えないし、山に逃げたサルは 上からこげを見ている。「そこで吠えろ~!」と

こげに言っても こげはくるっと方向転換・・・たしかに 高いところのサルとは戦えないよね・・・と笑うしかないのだが、

あまりにサルが来るものだから ネットでサルの撃退方法を調べたら ヘビが苦手で、おもちゃのヘビで撃退した・・という記事を

見つけた。「そうか、おもちゃのヘビで追い払えるなら安いもんだわ」と凹さん。実は数日前にやって来たサルに、鉄砲を構える

恰好をした。それが効果があると聞いていたんだけど 屋根に座ったサルにピストルを構えた格好をしたら、なんとサルが

まるで「え?私のうしろ?」とでもいうように自分の後ろを振り返ったのだ。私 馬鹿にされてんじゃん・・・

あのサルの驚く姿を想像しながら 百均でヘビのおもちゃを買ってきた。おもちゃでも黒っぽいのがいいとあったので

黒いのを手にしたら それはコブラで 顔の周りが少し大きかった。仕方がない 家に帰ってもっとヘビらしいように顔を

切ってみよう・・と思って おばあちゃんに言ったら「そこまで気がつかんやろ」という。そうかな・・と庭の台の上に置いていたら

丁度JAのOくんがやって来た。話をして、Oくんが何気なく振り返って台の上のヘビを見て「わぁ!」と驚いたので私は爆笑。

「やっぱ驚く?ちょっと見 本物っぽいもんね」と言ったら「人間がヘビとか長いものを見て驚くのは 遺伝的に脳にそれが

ヘビだと記憶に刷り込まれているんです!」と説明してくれた。どおりで サルがヘビを苦手とするのは 人間の先祖であるから

なんだと納得。


                 屋根の上で柿を食べ、ゴミを残していく

買ってきたヘビを柿の枝に乗せ、コブラを 幹にくくりつけた。サルが手を伸ばして Oくんのように「ぎゃ!」と驚いてくれたら

良いのだが。



コブラは紐で縛っておいた。・・・しかしだ、 柿の葉に隠れてヘビに気がつかなかったのか 一昨日 またもやサルが来て青柿を

食い散らかしていた。こうなりゃ パチンコで痛い目をさせないといかんかなぁ・・・と 対策を考える毎日だ。

こうして 猛暑の続く中 我が家には招かざるものがあれこれやってくるのだ。
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想い出のひと

2018-07-09 05:30:00 | 我が家
六月最後の土曜日の夕方のことです。

親類にあたるおじさんが帰るのを見送りに出たところ、入れ違いに見たことの無い人が

やってきました。私とおばあちゃんは 怪しい人だと身構えていたら

「○○さん(うちの名字)ですね?」と駆け寄ってきました。その顔を見たことある人だと

気がついて「もしかしてHくん?」「あ~そうです。わかりました?」というけど

正直 Hくんとは高校の時の同級生だけど同じクラスになったことはないし、顔と名前は

わかるだけで口をきいたことはないうえに、なぜうちにやってきたのか見当がつきません。

おばあちゃんは私に「誰?」と聞くので「高校の時の同級生やけど 同じクラスになったことないし

私を知っているとも思えないし、でもHくんと言う名前」「いや、僕知ってますよ。○○ちゃん(凹の

名前)ですよね。実はお姉さんのSちゃんから・・・」ここで鈍な私も気がついたのです。

「はいはい、Sとも友達だったって聞いてたわ」Sとは 姉で学年は二つ上だけど生年月日は

一年違い、早生まれというのか 姉は小さい頃から体が弱くしょっちゅう扁桃腺を腫らしたり

病気をしがちで、その逆に私は風邪はひいても その活気で治していくような子供だった。S は

小6ごろに盲腸炎になってそれを切ってからは 病気をしなくなったのだが、大人しい 色白の

見た目がとても白いワンピースなど似合う少女で 当然私は色黒のそれがまたピカピカ光ったような

健康児でした。ただ姉は 動作がゆっくりでおやつを出しても 私が自分の分を食べきって、

横に置いた姉の分もきっちりとかっさらって食べつくし、でも姉は怒りも泣きもせず 呆然としていた

らしい・・(おばあちゃんがいまだに他人にそう言う)なのでか知らないが 私はいつからか

姉をちゃん付けで呼ばなくなった。長姉には「姉ちゃん」というけど次姉をどう呼ぶのか、いまだに

わからないのだけど Sと呼び捨てても 怒りもせず返事はしてくれていた。

そのSと私の同学年であるHくんと知り合いになるには もう一人の人物が出てくる。それがMKだ。

MKは私が高2、高3と同じクラスになって知り合った男子で、それまでは別のクラスの男子だから名前だけ

知っていた。中学からの彼女もいて二人とも勉強ができて彼はバスケ部だった。この時Hくんも

バスケ部だった。私はサンババ会の二人と行動を常にしていて確か高3の選択科目で二人と選択が

違ったため たまたま偶然MKと同じ選択科目になり選択教室に行くことになった・・と記憶している。

サンババ会の一人がMKと同じ中学で、家も近所で彼女のことも知っている・・ので

私たちサンババが話をしているときに声をかけてきたけど そんなに知らない男子だったし

同じクラスで選択教科が一緒だったから、その教室に行くために筆記道具と教科書やらを持って

移動するときに いきなり「これ持って行っといて」と筆記用具と教科書類を私に渡してきた。

今なら「なんでやねん!」という凹さんも 当時は目立つことはあまりしないほうだったので、

「わかった」とおとなしく従ったのが運のつきなのか 卒業までそういう状態で おまけに

いつの間にか「○○○」と下の名前を呼び捨てられるようになり、それが授業前の廊下の

ガヤガヤしたところでも当たり前に大声で呼んできた。それがたぶん ≪半分、青い。≫の

ブッチャーぐらいのただの同級生なんだと思う。私は MKに彼女がいるからなんか彼女も

その周囲も変に思ってないか気が気ではなかったけど、MKは単にそういう男子だと思う。

呼び捨てにされてる女子は他にもいたし、サンババの二人も呼び捨て組だ。

高校卒業してからそれぞれ関西圏に出払って、MKは予備校に通っていた。志望校に合格しなかった

から・・って言ってたけど、私と違って大阪に慣れていて 寮生になってからも遊びに連れ出して

くれたし、なぜかおごってくれた。結局MKは大学に行かずに ピアノ調律師になるため浜松に

行ってしまった。Hくんは また高校時代、私の中学校時代の同級生の彼氏だった。お似合いの二人だと

思っていたけど それはいつの間にか消滅していた。

学生時代は長期休暇で帰省するので 田舎に帰ると友達同士で遊ぶためどこかでまずMKと

私と姉のSが知り合いになったのだと思う。もうだいぶ古いことなのではっきりしないが

それまでMKは私に電話をかけてきていたのが ある日Sを呼び出したそうだ。sは留守で

母親がそう伝えたら「それなら○○○(私)でいいです、いますか?」って言ったらしい。

あとで「お前でいいって失礼やね」と言っていたわ。たぶん このあたりでMKを通じて

HくんはSとも知り合ったんだと思われる。Sからは両方の名前を聞いていたし、そこに

Hくんが登場したのも普通なような気がしていた。

姉は短大を卒業して泣く泣く家に戻らせられた。したいこともあっただろうし しかし

父親が許さずなんとか家に縛られたくないと 田辺の洋裁学校にその頃持っていたアパートの

一室に住んで家にいるよりは自由に生きていた。Sは子供の時とはうって変わって 性格も行動も

素早くなり、友達もたくさんいた。運転免許をとってその友達とあちこち出かけたりした話も

聞いたことがある。その頃彼氏と別れて(たぶん家に戻らなければならなくなった)その時に Hくんが友人として

泥酔した姉を介抱したと・・なんかそんな話を本人から聞いたことあるなぁと思っていたら

この日Hくんが「実はSちゃん部屋を汚すくらいもどしてしまって、それを必死に片付けたんです」と

ひょえ~あれはたまらんよ。匂いあるしゲロだよ、ゲロ・・・と聞いていたら「高校の修学旅行で 旅館で飲み会をやって

引率の担任に見つかってしまったときに 粗相をした部屋を担任が素手でかき集めて掃除したのが

僕の記憶にあって、すごいなぁ・・と思っていたから僕もできたんです」と。「え?じゃ

Hくんはそっち(旅行後謹慎くらった)だった・・・?」「そうなんです」

私のクラスは謹慎を受けた生徒が皆無だったんじゃないかな・・・この騒動は今も語り草らしい。

前回のブログで≪串本高校はやんちゃ≫とあるのは ある意味こういうことでして・・・


それでこの日来たのは 「実はSちゃんが好きで聞いていた歌を歌っていた人が 最近亡くなったのを

知って 急にSちゃんのことを思い出して、」と差し出してきた一枚のCDに私は「あっ!」と

声が出た。「森田童子だ・・・」Sがよく聴いていた。当時はレコードでそのLPからカセットテープに

ダビングしたのを部屋でも車の中でも聞いていた。私はまだ子供だったのか 「この歌暗いよね」と

いつも言った記憶があるし、でもそのハスキーな声は一度聞いたら耳に残るし 歌手自体もなんか

不思議な感じだった。今年の四月に亡くなったとニュースで知った時も 浮かんできたのがSであり

あの≪ぼくたちの失敗≫のメロディーだった。1993年のドラマ≪高校教師≫の主題歌でもあり

私の記憶の中では姉=森田童子だ。それをHくんも知っている。「よく聴いたんです、車でも部屋でも。」



私の知らない姉との時間がHくんにあるんだと思いながらも、私はいいけど母親のおばあちゃんは

どう感じとっているのか気にはなったけど、私以上に「亡くなってからもう30年以上たってるのに

あの子を思い出したからって来てもらえただけでも嬉しいよ(あら、意外と素直に言ってる)」と。

Hくんは「お嫁に行かれて亡くなってしまったけど、知り合って40年近くなるからいいかなと勇気を出して

来たんです。もしかして こちらにお墓があればお参りさせてもらおうとも思って」

私が「お墓は嫁いだ先に造ってもらって、それが家の隣なんでね~。あ、でもこのCD,娘に手渡していいですか?

あの娘、母親の記憶って無いんです。一歳半だったから。だからいろいろ聞きたがるんです。」

「それは僕も嬉しいです。Sちゃん、不思議な人でしたよね?」と「不思議って」家族としたら不思議かどうか

そのまま育ってきたから 不思議とは思わないけど Hくんは「急に手紙が来て≪いま淡路島に来ています。一人旅です≫

(まるで古いフォークか演歌みたいダナ・・と思ったんだけど)・・・ふーこ」って書いてるんですよ。

「≪ふーこ≫って名乗ってました?」彼女は あだ名というか本名で友達を作らなかったのか 本名が堅苦しい字面ゆえ

あえて違う名前で友達には呼んでもらいたかったのか 私が知っているだけでも≪うずら≫≪冬見(ふゆみ)≫≪ふーこ≫

≪ベラ≫とある。それがすごく友達にも自然なのか 何度か名字の下に≪冬見≫で郵便物が届き 配達員から「この名前の

人、いらっしゃるんですか?」と聞かれたことがある。ある意味、でも不思議な人だったかも・・・

「≪雨のクロール≫が好きだった」とHくん。「一度古座の花火を見に行ったんです。見に行ったけど9時までに

帰らないとあかんって。でも 古座から帰ってくるのに 打ちあがってすぐ向こうを出ないとあかんでしょ。道路を

暗闇の中走ったら、僕深いドブに落ちたんです(笑)」なんか その様子が目に浮かんでしまった。

「でもHくん、私を知らないよね。話をしたことないし」と言うと そこに先ほどのMKの名前が出てくるのだ。

「なんで ○○ちゃんはMKに呼び捨てにされてたんで?」「いや私もなぜかは知らない。別に恋愛感情なんかなかったし」

「不思議に思ってたんです」「Aちゃん(サンババ会の一人)と家が近くで、彼女とも知りあいだったからじゃないかな。

私もY(サンババ会のもう一人)もMKとはつながりないし・・」「Yってなんで知ってる?」「え、高校時代

私ら三人いつもつるんでいたし。去年も長浜に連れってもらったよ・・・ってなんでY・・、あ 中学校一緒?」

あ~ なんとHくんつながりでサンババ会までつながってもうた・・・「Yとこの間 電話ではなしたばっかり・・」って

私の記憶もスピードアップして「Hくん!お父さん硬筆の先生よね、確か。こっちにも教えに来てくれていて長男君たち習ったし、

お母さん、俳句作られてたよね。おじいさんに電話があったし保健の先生だった・・・」メチャクチャ相関図にしたら

不思議なつながりばかりになってしまうやん。




たしかに姉Sは 不思議な人だったのかなと思う。彼女は 誰彼なく相談に乗る・・というか 話を聞いてくれる対象だったのかもしれない。

田辺の洋裁学校を卒業して、強制的に家に戻ってからも 父親を説得して串本の洋品店に勤めだした。当時そのお店は ミセス物がほとんどだった

けど 内容を女子高校生、若い女性のものもいれはじめ客層が一変し、もとから美術学校を出ていた姉はポップやディスプレイも得意で

何度か私もお店に行ったけどこの小さな町にしては流行っているほうだなと感じていた。この頃 お客さんで来る高校生たちには

話がしやすい 相談しやすいおねーさんという存在だった。妹の私より若い子たちの話を聞くし、自分と同じくらいの友人とも

休みには遊びに行ったりして家には滅多にいなかった。結婚したら好きなことができない・・っていう思いの表れか、でも姉妹三人で

一番≪我≫が強かったのかもしれない。わたしなんぞは不承不承・・・半分やけくそみたいな。≪我≫もなく、いやぁ

「これって長女が跡を持たず、二の矢の次女も継がないって言ったら、この家の中でどんな暴風が吹き荒れるか。

そんなら失恋の痛手を負った今こそ 私が引き受けたら 父親の暴風もそよ風くらいになるんじゃない?

誰かが残らなきゃいけないのに 上が逃亡したら下がなんとかしなきゃならへんやん・・・どうにでもなれや。」

二人には言い分もあろうけど 私が一番何もかも割に合わない。父親の不機嫌さも この先ずっと本当なら私が知らずに

生きていくのを、あの二人は我関せずと便利のいい生活をしていると思うと≪なんで私だけ≫の毎日だったことも事実で。

でも、待てよ 私が継がずに上のどちらかが継いだとしても この気持ちはきっと同じように彼女らも感じて≪なんで私だけ≫と

涙するよな・・と。だから 我慢したけど 人間、そんな優しくないんだと・・それぞれの生活に実家のことなんか やっぱり

家を出たほうが楽よね・・・みたいな事多かりき。人生の選択って 鬼にならなくちゃいけないと残りの年数が見えてきた今

痛感しています。

Hくんは 今だから言えるけどと笑って「Sちゃんの手をつなごうとしたり、肩に手を回したりしようものなら≪わたしをバカにして≫

と怒られたんです」と言いました。二つ上のおねーさんに憧れていたんだろうなと笑えるエピソードだし、Sならありえるなとも思う。

そんな人だったなぁ・・・。Hくんとあちこち車で走ったことも 思い出も それはHくんの心の中で残しておいてもらえたら・・と

意味もなくイルカの≪あの頃のぼくは≫のせつないメロディーを思い出しました。「暑い日でしょう、よけいにSちゃんを思い出す

んです。泳ぎには行かなかったけど海や川、ドライブとか思い出があるんで。そう、Sちゃん絵が上手だったでしょ。

僕、描いてもらったんです」とHくんが言った。その話も 聞いたことがあるような気がしてきた。若いころのHくんは 美形だった。

姉が描いたのなら そのまんま美形に描いただろう・・・私も好きだった人を マンガ風に描いてもらったことがある。

≪半分、青い。≫のすずめちゃんを見ていたら どこかSの顔を思い出すことがあり すずめの鼻がもう少し上を向いていたら

似てるな・・とかつい思ってしまう。いや実際は全然違うんだろうけど・・・。

あれから一週間、おばあちゃんと二人でいると急に「Hくんが」「Hくんって」と話しを振ってくることが多くなった。

おばあちゃんにとって スゴイスイッチになったのかなと思う。最近はそんなにSのことは話にしなかった。辛いとかではなく

時の流れで もう気持ちに区切り・・・親ならば逆縁で逝った子供のことは忘れることはないけど 戻ってはこない事実を

認めるしかないんで、そんな毎日に 親の知らない 生きていた娘の時間を知っている人が話をしてくれるだけで嬉しい以上に

想ってくれている人がいることが 何よりもなんだと。私も思う、その人の記憶の中に覚えていてくれていることがもう、

ありがとうございますなんだ。おばあちゃんと話して最後は「でもさぁ Hくんにしたって 若いころのSが記憶に残って

いいよね。いいイメージのままで覚えていられるのは」という結論に達して 大笑いするのだ。



Sを知る人は 昔「Sちゃんってコスモスみたいやね」とか「カスミソウみたいやわ」とか言ってくれてた。

細身の体ゆえなのか、27年という短さで逝ったはかなさなのか 私ならSはたんぽぽの綿毛みたいな感じの人だな。

踏まれても意外と綿毛にまでなって ふわふわして包み込んで ふわ~っと飛んでいってしまって・・・

不思議なひとだな、ほんとうに。

数日後、Yからメールが来た。中学校の同級生を通じて Hくんから私と会ったことを聞いて彼女も驚いたみたい。

そんなつながりがあるとは知らなかったので 彼女が帰省したら四人で食事でも行きませんかって・・・

私たちも60の折り返しが近づき、昔の話を懐かしく話したいという時代に突入したようだ(笑)

姉が とりもつ縁、不思議な人だな・・・

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古座校舎

2018-07-04 05:30:00 | 和歌山県
      

半月遅くなってしまったけど、先月15日付の読売新聞和歌山版に大きく掲載されていた記事です。

私たちの中高校時代には 通学圏内にあった県立古座(こざ)高等学校が今年度末で百年の歴史に幕を閉じるそうです。

長男君が通ったときは 県立古座高校でしたがその頃から生徒数が減少し、当時も学校を残そうと卒業生から在校生家族に

いたるまで 存続の署名活動をして 校舎は残ったけど校名が 私たちが通った県立串本高等学校とそれぞれ統廃合されて

県立串本古座高等学校古座校舎、串本校舎と名前を変えて存続していました。記事によれば 大正七年に串本高校・古座高校

(1918年 当時は串本実業学校、当時は古座実業学校)で開校され、生徒数減少で2008年に串本高校串本校舎・

古座校舎となって 校舎は残ったわけです。しかし、古座校舎に通う生徒数が激減したのでしょうか 2017年度から

古座校舎のみ募集停止になって、そしてとうとう今年度末で校舎の役割を終えるそうです。

 私が通っていた頃は串本高校には一学年9クラスで一クラス40人前後でしたが 次男君が串本高校に通った時には

一学年たしか4クラスしかなかったと思います。いまは串本町になっているけど昔は古座町があって 古座町の

中学生はほとんどが古座高校に通っていたと思う。同じように串本町の中学生はほとんどが串本高校に入学していた。

それぞれの学校に由縁があれば親も子も同じ高校の卒業生のパターンが多い。私も串本高校だしおとうさんもそう。

おじいちゃんも実業高校のちの商業高校だった串本高校卒だ。長男君が中三の進路希望で 古座に行きたいと行った時は

「そういう選択もあったんだ」と思ったし、その頃から新宮市にある近畿大付属高校に通ったり 田辺市の田辺高校や

寮に入って御坊市の高専にいく生徒が町内でも見受けられるようになってきていた。高校から私立に行くのは

大学に行きたいと言いだした時に 親の負担もあるしべつに串本高校でなくても 古座高校でいいやん・・と思ったのです。

でも少子化の影響はすさまじいもので あれよあれよという間に 私は自分が卒園・卒業した幼稚園、小学校、中学校、

高校と統廃合されてまるで化石のような感じの、歴史に校名だけが残る卒業生となってしまった。それは長男君たちも

同じで 園舎や校舎だけ形が残っているなんともわびしい風景です。

新聞記事には、記念のメッセージボードに卒業生の≪青春の思い出を寄せて≫と呼びかけている・・・とある。

卒業生の長男君がそれに応えるかはわからないけど、私の卒業した串本高校はしばらくは存続するのではないかと思う。

紀伊半島の先端に隣り合った旧町それぞれに一校ずつあった高等学校。そこからそれぞれ田辺市、新宮市の高校に

通えるようになってきたから一つの高校を残す案が出るのもわかる。

古座高校には長男君が通っていたときや 自分が高校生の時に文化祭を見に行ったことがある。イメージは

古座高校生は真面目な優秀な生徒が多い。反対に串本高校生は やんちゃ?って感じの・・・

古座高の卒業生は約1万5,000人いるとされるんだって。どうする、長男君!メッセージはないのか?

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草刈り日記 6

2018-07-02 05:30:00 | 我が家
少し休んでいたら もう七月に突入してしまいました。関東・甲信越地方が梅雨明けしたとみられるそうで

それならきょう一日、近畿地方も開けたでしょ!と思ったけどまだみたいだし。

テレビは サッカーワールドカップの日本チームが頑張っていることを熱気と熱波で報道するし

それにしても 暑いので頭がクラクラします。皆さんも 熱中症などにならないよう水分補給を

じゅうぶんとってくださいね。


6月13日 やっと私の草刈りも終了の日がやってきました。万歳です!前の週後半三日は

私用で刈らず、9日の土曜日におとうさんと残った二分の一を刈って集め そうしたら

日曜から火曜日まで雨で一週間ぶりの草刈りになってしまいました。が、気持ち的には

もう残り半分ですから気が楽。



あとこの残った部分を刈って刈って刈りまくって 集めて集めて柵にぶち込んだら第一クールの終了です。

外側からくるくると内に向かって刈っていくので 一辺が短くなっていくのが「お~、刈っている!」と

「頑張れ!」ガンバレ!」と自分にハッパをかけながら水分補給をしながら刈っていきます。それでも

気持ちのゆるみがあるのか 時々草刈機の刃を地面にのめり込ましてしまい、その反動で体を後方に跳ね返されて

「おっと、危ない!」と居眠りから目を覚ましたような感じになるのです。



午前中に残った草をすべて駆逐(大げさな)しました。前週から一週間経っているので 手前の草がもうここまで伸びてきています。

なので、この状態でまるでパッチワークをしたようなたんぼになっていました。それはしかたないけど そういう状態も一週間たつと

青々と草丈の違いも判らないような風景になってしまいました。汗だくで草を刈っても 成長する勢いには太刀打ちできませんね。

この田んぼで ひそかに集めていた飴ちゃんの包み紙などがどれだけあったかというと



けっこうな量です。もう少し気をつけてくれたらいいんですが・・・(え~大人が歩くたびにゴミを捨てるのは)



午後から刈った草を柵に入れて 終了。こんなにきれいな状態が三カ月でも続いてくれたら 次に刈るのもいいんだけどなぁ

        

この標語はカレンダーに印刷されているものだけど、まさに名言だと思いました。というのも 今回の草刈りは

私自身 なぜだか積極的にやったので途中の暑さや疲れもあったけど 草刈りの仕方や工夫を覚えていくのが面白くなってきたのは

事実で 家を出るときにこの標語をチラ見して ニヤッとしながら田んぼに向かったのでした。

しかし、今月の標語は≪生活の中に目標を持っていないと 安易な生き方に流される≫・・・・ピタリと言い当てられてますがな(笑)




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