こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

U田さん宅へ

2011-03-31 05:30:30 | いろいろ
先週、次男君が帰省したのでどこかに行こうか、ということになり「どこかといっても

おとうさんは仕事だし、桜はあまり近場でないかなぁ」とおばあちゃんに相談したら

「それなら一枚岩に行ってみよか」ということになり、三人で一枚岩まで行きましたが

桜なんて山桜がちらほら、車を止めて撮影するほどでもありません。一枚岩の駐車場で

どうしようかと話していて、ふと「そうや、U田さんとこは?この間熊野新聞に桜が咲

いたって載ってたやん」と私が思いだし、おばあちゃんも幼馴染のU田さんとこなら

いろいろ桜を植えていて近所の人を集めてお茶してるし・・・と乗り気になった。

でも行く道がわからないというので、おばあちゃんの妹も誘って道案内してもらいなが

ら行くことに。その前に一枚岩の売店でアイスクリームを買い、ついでに新しく出た

観光マップをもらって出発。ワクワクするのは、U田さんちにはうちのこげのお父さん

遺伝子上のお父さんわんこがいるのだ。ちなみにU田さんは俳優の國村隼に私は似てい

と思う、が、当人は80歳くらいのご老人だ。二台の車でU田さんの家は高台にあり

駐車場は広く立て看板に『拙宅に用のない者の駐車は禁止』と書かれていた。きょうび

『拙宅』なんざあまり使わないので、内心ややこしいお年寄りかなと。でも、前に

NHKの荒れる森林だったか自宅の周りにシカやイノシシが出るので、家をぐるりと

網で囲っていると話している姿は、なかなか温厚そうにみえたんだけど。

 U田さんは奥さんと息子さんも在宅していて、挨拶もそこそこに玄関に珍しいもの

があるから見ておいでと、次男君と私に勧めてくる。女三人が昔話や近況話でもりあが

っているので、U田さんも息子も仕方なく私と次男君について回って、広い庭に植えら

れた庭木の説明に余念がない。庭と家の前の休耕田もかなりの広さだ。休耕田は草が

刈られ、これならグラウンドゴルフやパーゴルフができそうに広い。その中に犬小屋と

犬が・・・。残念なことに何枚も写真を写したのになぜか犬だけ撮り損ねてしまった。

こげより大きいし、毛色も茶色。足が長いのはこげの兄弟、吉宗くんに、顔つきはこげ

のようだし。よくよく見てたら目の動かしかたや顔の表情はこげやん!説明に来た息子

さんに「名前はなんですか?」ときくと「マル、おとなしすぎてシカやイノシシが来て

も吠えない」と言う。性格もこげは父親似のようだ。次に来たときはちゃんと撮影する

からね。

 そうそう案内された玄関にははく製が置かれていた。



三体のうち右がアナグマのようだけど、左の二体がU田さんはテンだというけど、

一番左はイタチみたいに思えた。三体ともU田さんが捕まえて業者さんにはく製として

作ってもらったそうだ。この間もタヌキを作ってもらおうと田辺に持って行くと時期が

悪いと言われたそうだ。やはり寒い頃がいいみたいで作る業者さんは奈良なんやと言っ

ていた。いやぁ、奈良まではく製を作りに出すとは・・・。でもどうやらお客さんに

こうやって見せるのが楽しみらしい。

「上のもそうや」と言うので見上げたらそこにも飾られていた。



シカやん、シカはおばあちゃんの実家にもあるしうちにもシカのツノを刀置き仕様に

床の間に飾っているから驚きはしないけど、その横のフクロウ?これは珍しい。

次男君も驚いていた。右下のはサルノコシカケ?か。でも夜中になんか動き出しそうで

私なら飾りたくはないはく製たちだ。

 U田さんは手先が器用らしく、庭にある井戸に昔風のつるべをつけたり池を造ってい

る。ぐるっと回ってきた水は手作りの水車小屋へと続いていてその水が池にいくらしい



説明ではシシ威しから落ちた水で水車を回す仕組みだけど、シシ威しのカッタンカッタ

ンという音がうるさいので、今は水を止めているという。水車小屋を覗くとそこには

実際に昔水車を回して、お米を搗いた臼が作られていた。それも手作りだと。1mたら

ずの大きさだけど、中にお米を入れておくとスズメが来りもしたそうだ。

 自慢の庭の桜は早咲きのものは終わって、この時咲いていたのがちょうちん桜という

名前の濃いピンク色の桜だった。



少し桜とは思えないような色だね・・・・
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新聞から

2011-03-29 05:30:30 | いろいろ
我が家は読売新聞をとっているんだけど、3月25日付けのコラム『編集手帳』に私は

おもわず、うんうんとうなずきました。

  大正期の詩人、山村暮鳥に『桜』と題する詩がある。<さくらだといふ/春だといふ/

一寸、お待ち/どこかに/泣いている人もあらうに> ◆詩人は伝道師として東北地方

  の町々を転任した経歴をもつ。今回の巨大地震で被災した福島県の地名を織り込み、

  雲に<ずつと磐城平の方までゆくんか>と呼びかけた詩(『雲』)も知られている。

  サクラの詩は、東北の人情と風物をこよなく愛した人が今日のためにあらかじめ書き

  残した挽歌のようでもある◆人を悼む心が花にもあるのか、今年はサクラの開花は

  遅めというが、それでも四国や九州から、ぽつりぽつりと花便りの届く季節を迎えた

  ◆花に浮かれる心をたしなめて「泣いている人」を思いやった暮鳥の優しさにうなず

  きつ、だが―とも思う。生き残った者の誰かしらが、生かされてある者の誰かが世の

  中の歯車を動かしていかねばならない。音は小さくとも、季節の催事も“ガッタン”

  と刻む歯車の一つだろう◆この春、多くの人が愛でるのは、花ではなく、酒でもご馳  
  走でもなく、生きてある身のありがたさに違いない。宴の筵で、そういう供養もある

                     読売新聞「編集手帳」2011.3.25

毎日紙面に載っている 被災地の人達の様子、行方不明者の探索、死亡者名、あの地震と

津波がなければ 遠く離れた私が知るはずもない人達の姿だ。東北の春は遅く、それで

も4月、5月とその場所でその場所なりの春を迎えていたはずだと思うと残念でならない

テレビでお父さんを探していたあの少年は会えたのだろうか、車の中でお母さんに抱かれ

たままみつかった小さな子供たち、まだどこにいるのか捜しようもない大勢の人たち。

 これから先を考えるにも家族を失い、家も仕事も失い光りも希望も持てないのに

被災した人たちはなんとか、明日につなごうと耐えている。私はなにもできない。

募金をした、役立つならと服も送った。いまは捜索する自衛隊や警察、消防のかたたち

にできるだけ、亡くなられたかたをみつけてあげてと思っている。
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2011-03-28 05:30:30 | 我が家
金曜日、水を探しにお店をまわった。オークワにはないだろうけどホームセンターには

いつもあるからあるだろう。。と思っていた。オークワにはやはり無くて、姫のコメリ

へ。自動ドアを入ると大量の水やお茶が箱積みされたゾーン、そこはカート置き場に変わ

っていた。ここにも無い。やはりこの小さな町もここで飲むために確保というのでは

なく、関東近郊にすむ子供や孫、兄弟に頼まれて買占めを行ったようだ。私は帰省中の

次男君と「無いね」と言いながら三軒目のお店、コーナンに回った。ここも入り口に

いつも箱積みされている水が消えていた。みんな考えることは同じなんや。出ようと

した時に私の目に飛び込んだのが、キャンプ用の水用ポリ。ハッとした。今回の大地震

・大津波のあとの被災した人たちの映像に給水車に並ぶ姿・・・「水用ポリか給水袋も

用意しなくちゃね」と話したんだっけ。それが5リットル用が二つだけ残っている。

あとは10リットルしか残っていない。次男君に「おばあちゃん、これであの子(姪)

に家の水を汲んで送るかな」と聞くと「5リットルなら持てそうや」というので万が一

買っていっても「そこまでして送らん」と言えば、緊急避難品として常備しておくと

家に井戸もあるしいいかも・・と、残った二個を確保した。中身の水を買い占めたわけ

ではないけど、これはきっと大地震のあとみんなが私と同じように避難準備に購入した

と思いたい・・が、5リットルだけしかないとなると水を買えずにポリで送るために購

入したのかもしれない。私達は、絶対無いと言いながら四軒目のお店、駅前のドラッグ

ストアに行く。水を置いているあたりには三人の大人がいてどうやら、水のボトルを

みつけたようだ、でも人数的に私の分はないだろう・・・と思い眺めていたら、紙に

「二本限り」と書かれている。「二本限りかぁ」と私が言ったら手にしたおばさんが

なぜかカゴに四本入れ込み行ってしまった。どっかに連れがいるのか、まぁなくなっち

ゃったから仕方ない・・と、空き箱になった箱を恨めしげに見ると空き箱の下に土台に

なった未開封の箱が見えた。「うそ!あるわ」その場でバリバリと箱をあけて次男君と

四本を確保した。先に居た二人連れはミネラルウォーター(硬水)の500mlをカゴに

何本もほり込んでいたので、2ℓボトルはあまり興味なさそうだ。その時次男君が

「ある」というので「どこに・・・ないやん」「そこの一番下に」そこにはまたもや

土台にされた500mlの箱、未開封だ。上にお茶の箱がいくつも乗っているので気が

つかれず残ってたみたい。次男君に上のお茶の箱をどかせてもらい、バリバリと開ける

積まれたお茶やスポーツドリンクの箱の横に「500mlは5本限り」と書かれた紙が。

「じゃ、二人で10本かな」と言ったところに店員さんが来たので、「一人5本って

こと?」と聞くと「ひと家族5本です」という。紙にはひと家族もなにも書かれてない

のに・・・。ということは2ℓも私と次男君で2本しか買えないわけだ。私の悪い心が

働き、「先にレジで2ℓ買って車に乗せとき」と急かして、私は次男君と別にレジで

2ℓ2本、500mlを5本買った。いけない。テレビでも買占めはやめよう、前日にも

スーパーセンターで「買占めはしないぞ!」と思ったのに・・・。レジに並んだおばさ

んはお茶を3ケースも買っていた。次はお茶も無くなるのか?買えたことでほっとした

ので、漁港近くのもう一つのドラッグ・ストアに寄ってみた。水の棚はみごとにカラ。

でもなぜか2ℓが6本残っている、どこにも貼り紙はしていない。次男君とまた2本

ずつ手にして、3本めを取ろうとしたら「それはないやろ~」と次男君が嫌がったので

「そやね。残しておこ」私にも余裕がでたようで、レジにむかいかけた時「そこにも

ある」またも次男君の声。床に置かれた水『熊野古道』1本98円の紙の下にケースが

ある。購入制限なし、ここはストックがあるのか!ここでも2ℓ1ケースとバラで4本

買った。一度に全部送ると姪は友達みんなに配ってしまいそうなので、とりあえず最後

に買ったケースを送る。クロネコヤマトに持ち込んだら、来る客みんな水を持ってくる

のには驚き。もう買占めは嫌だから姪に「空のペットボトルを送り返したら、水を入れ

て送る」とメールした。なんでこんなこと、雨の中水を求めて・・・自己嫌悪。

     
                 水騒動1

     
                 水騒動2

     
                 水用ポリ

 
ずっとこんな状況が続くとなると、ヤバイな・・・。さかんにテレビでは買占めはしな

い・・・とACのCMで流れている。それがよけいに拍車をかけるのか、または原発の影響で

不安になるのか・・・どちらもそうだろう。いまは関西には放射能の影響はないけど、

政府や東電の会見が信じられないからなんだろうな。

 土曜日、田辺に行ったけど途中のすさみの『天鳥の水』はさぞや車で購入する人の列が

と思っていたら、なんのことはない誰もいない。上富田の『富田の水』に行く道にも車は

走っていない。新聞では『富田の水』は災害以後フル稼働で生産していると載っていた。

アピアでも水は一本も無かった。どうかこの騒動が短期間で終わりますように。

 そして私、「水も以前に買っておいたのがあったような気がする」と探したら、一箱出

てきた。アルカリイオン水・・・。またもや賞味期限切れ。2009年だ。まったく、な

んのために買ったのか・・・。場所も取るのに・・・、次男君に調べてもらったら期限切

れの水はと非常用のトイレ用に置いておくなどして保管すればいいらしい。トイレ用にし

ても6本しかないとあまり意味をなさないのではないか・・・。

 非常食糧と非常用水、毎年チェックだな・・・。義父達は大地震のあと服を着て寝たそ

うだ。私どもはそこまで意識はなかった。頭の隅から災害について再確認をしなくちゃ。
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支援2

2011-03-25 05:30:30 | いろいろ
東京に住む姪っ子が、メールを寄こした。知り合いが震災にあい何もかもなくし、石巻

の親戚の家に身を寄せてはいるが、着る服も何もないので送ってほしい。家がないので

営業所当てに送ると取りには行ける・・・。近所にも着のみ着のままで避難した人が

多く、性別、サイズ関係なく着る冬物が欲しい、あとタオルも・・・。もし、もう着ず

に捨てようと思う服があれば姪の所に送れば、姪が営業所に送る・・・と。

 一昨日の話だけど、「タオルとかトレーナーならあるけど・・」と返信した。

姪っ子は一斉に送信したらしく、いくつかのアドレスもひっついていたので少し怪しん

でいるのです、わたし。たとえば、姪っ子に私が物資を送ると姪っ子がそれを石巻に

送る・・その送料は姪っ子持ちになる。現地では着払いは行っていないし、1週間~

2週間引き取りてがないと返送されるらしい(佐川・クロネコ)。姪の友人が協力した

として、物資を姪宛てに送ると姪はまた自腹で石巻へ送る・・。1個や2個の荷物で

なくそれが、10も20にもなるとどうなるのだろう・・・と。そう思うなら姪っ子に

尋ねればいいのだけど。昨日はおばあちゃんに「自分が飲む水がない」と電話があった

そうだ。聞けば姪っ子は 仕事もひまで原発や放射能の本を読んでいて、危機感を

抱きまくっているみたいな感じ?だと。あの子は 亡くなった姉と似たような性格だか

ら 困っている人をほっとけない性分で、どこまでの知り合いか私にはわからないので

時間をおいてみようと・・・。非情な人間か?私はと自問自答もし、お給料も少ない

姪が自腹で送料をと思うと、それも辛いし。あの子が、チェーン・メールに振りまわさ

れてるんじゃ・・・。それにしても、次は水かい!いや、字のごとく『水買い?』

 おばあちゃんは家の水を送ろうとしたが、ペット・ボトルは分別して蓋をはずして

ゴミに出すから、蓋はない。あした、水を探して回るのか?大人は大丈夫とはいうけど

誰も信じてないからだろうなぁ。れんふぉ~大臣ちも子供いるし、どうなんだろ?とか

そのうち日本中、水を買い求めるのか?某国も「この国の水はアカン」とあきらめてく

るのか・・・。この騒動は大地震・大津波をいつのまにか隅に押しやってはいけないし

放射能漏れも、隠して済ます問題ではないしこの状態が夢であってほしいと思う。
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2011-03-23 05:30:30 | 花・植物など
     

三月も終わりになりあちこちで卒業式や終業式の話題が聞かれるようになってきました

だけど、いまは誰もが被災地に思いをよせ惨憺たる現地に、一日もはやく復旧・復興の

終結の日がやってきてほしいと願っている。それは神戸のときよりも時間がかかるので

はないか?いや、被災した人たちには家族も家も仕事も無くした人が多く、春がくると

思っている人は少ないかもしれません。

 私の周りには季節は当り前に巡ってきて、道端にも野山にも明るい花が当り前に咲き

始めました。東北の春は遅い、だから春が来ると雪に閉ざされた景色から解放され人々

は一気に活動を始める・・・そんなイメージを持っていた。今回はその春でさえ長いに

ちがいない。

 ライフラインも少しながら回復しだし、食糧などの援助物資も避難所に配られはじめ

マイクを向けられた人は「なにもかも無くしたけど命があればまたやっていける」と

寂しそうに言う姿に、私はひたすら「無理はしないで。阪神大震災のときのように

避難所でひっそりと息絶えてしまったりしないで」と思う。


 暖かい日が続くと、山の桜がちらほらと咲きだして国道42号線沿いの山はもう

散りだした山桜も見かけます。昨年あたりから山桜の開花が早いように思えこのまま

だと山の桜は四月の始めに終わりそうではないだろうか。

     

いつものアマナも今年はよく見かけるが以前休耕田のあぜ道にたくさん咲いていたのに

イノシシが掘り返すのか、あぜ道から消えてしまった。いまは道路の端に追いやられた

ようだ。

     

 レンゲの花も田んぼでみつけられず 畑の中に咲いたのを写させてもらった。

子供の頃は田植え前、一面のレンゲがみられたけどいまは人寄せに植えられたり、

なかには「わけわからん人」のように、たい肥用に種を撒くけどレンゲも菜の花も育た

ない場合もあるようだ。米どころでもある東北、がんばれ。
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支援

2011-03-19 05:30:30 | 和歌山県
水曜日、町内放送で「串本町は岩手県宮古市に白米を支援物資として送ることにしました。

町民の協力をお願いします」という旨の放送があった。全国各地からの支援物資もなかなか

受け入れ態勢が立ち上がらないために進まないという報道に心配していたので、なにか協力

できればと思っていたところで安堵した。

 串本町は岩手県宮古市、青森県大間町、山口県下関市の4市町で締結している『大規模災

害時における本州四端協議会を構成する地方公共団体の相互援助協定』に基づき 宮古市に

援助物資を送ることになった・・・大間町は大きな被害はなかったそうだ。大地震・大津波

のあと、役場が宮古市に連絡をするもなかなか連絡もつかず、やっと連絡がきてどういう

支援がいいのかきいたら、現地ではお米が不足しているということでその援助を行うことに

したんだそうだ。和歌山県としても県の出先機関で募金を募っているし、関西広域連合とし

ての援助物資も募っている。今回は木曜日の朝9時から夕方6時まで文化センターで白米を

受け付ける・・その他の物資はいまのところまだ未定のようだ。町として募金も募る予定の

ようで、総額の半額を宮古市に、残りは被災地の復興にあてる・・・という熊野新聞の記事


我が家も協力しようと、次男君に送るために確保していた生協の無洗米(研がずに炊ける

米)を1キロ×3袋を持って行くことにした。まえに 水が不足の被災地に無洗米が役立つ

というのを見聞きした記憶がある。ただ、文化センターに早めに行くときっと熊野新聞の

記者やどっかのカメラが来てたら万が一映るとなんだし、だから、少し時間を遅らせてから

行くことに。テレビでは首都圏も計画停電の影響で、お米に乾電池カップ麺、水、自転車ま

で売り切れ続出というのを、いぶかってはいたんだけど・・・文化センターに行く前に

スーパー・オークワに行ってみて驚いた。お米がありません。カップ麺はたくさんあるけど

お米の棚にはなにも・・・無い。買占め?それとも援助物資として出すために買ったのか?

隣の雑貨のほうの店舗に行くと、乾電池に懐中電灯、カセット・コンロ、カセット・ガスが

無い。レジの人におばさんが聞いている「電池ないけど」「地震の翌日くらいから無くなり

つつあった」って・・・。いよいよこの地の人も防災準備に取り掛かったのか?う~ん、

自分を守るために買占め・・・大丈夫と言われても不安になる気持ちもわかるけど。

でも、本当に必要なところに支援できなくなるのは困ったものだ。とくにガソリン、灯油は

東北地方に今一番必要なものだから不要に買わないで貰いたい。被災地ではガソリンがなく

申し訳ないけど流された車からガソリンを抜いているというニュースをみた。被災したうえ

人のものを盗まなければならない・・・その気持ちを私達は少しでもなくしてあげなくちゃ

いけないのでは・・と思う。海外メディアは被災した日本人の冷静さに驚いているそうだが

逆に買占めにはしる人間心情も暴いてやればいいのにとも思う。市場には十分あるのだから

最優先はどこかということを考えなくてもわかるはずだ。

 私が文化センターにお米を持って行った時は、まだ玄関には人の肩ぐらいの高さで二m

ぐらいの広さで置かれていた。名前を記入するよういわれお米のキロ数も書く。潮岬や大島

と書かれている。本当に集まるのか気がかりだったが、夕方6時半の町内放送で1415名

から17.5トンの白米の援助があったと報告が。げげ!17.5トン。。。トンって

すごいやん。みんな何かしたいと思っていたのだ。金曜日あさ10時から文化センターで

出発式があるからお見送りにとも言っていた。雪の降る宮古市に串本の気持ちが届きますよ

う。そして 原発問題も加わり先が見えないくらいの状態を私達は忘れてはいけない。

     




 金曜日の夕方の和歌山ニュースでは 串本町の支援物資のお米が隣の古座川町民からも

支援があって、計20トンあまりになったと言っていた。今できる事を、遠く離れたところ

からも応援することが大事だ。午前中出かけた先のお店で、だんなさんが予備自衛隊員と

いうことで、電話がきて招集があれば出てもらえるか・・という問い合わせがあったと聞い

た。被災した中にも招集が来て、お母さんを被災地に残し自分は行きますという報道を観た

彼は親を残して行くのは辛いが、今行かなければこの先復興しても一生後悔するからと涙ぐ

んでいた。母親も「(行かないで)それは思うけど、ね、・・・・。がんばってください」

 レベル5という原発事故現場に命をけずられても出動している自衛隊員、消防隊員、電力

社員の方たちが一秒でもはやく任務が成功し 被曝することが無く全員戻られることも私は

祈りたい。そして原発に近く屋内退避の地元の人々をもっと安全な暖かい場所に移してあげ

てほしい。死亡者が阪神淡路大震災の死亡者を超えてしまった。そうなりそうだとは薄々

思っていたし、まだ増えるのも確実だ。それも直視し残された国民は 防災を真剣に考え

原発の安全性をもう一度見直し 2011年3月11日のあの時から 新しく生きていく宿

題だと思う。
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災害は

2011-03-17 05:30:30 | 和歌山県
きのうは気温が下がり、また風も吹き串本でも寒い一日でした。テレビに映し出される

被災地にも雪や雨が降っていた。きのうで大地震・大津波から6日。報道は被災地の

人々の様子ではなく原発の放射線漏れを大きく扱うようになってきました。

 原子力発電は地球温暖化をすこしでも緩和するのに一番いい発電なのだという 新聞

下段の、ときには一面を使った広告を何度も目にしたけど私は以前から、「それがもし

壊れたり、放射能が漏れたら?」と不安に思っていた。私だけでなく多くのこの狭い

国土の上に住む日本人なら怖さを解かってはいても、日々の恩恵をおもえばそれについ

て「大丈夫なん?本当に」とは言えないし、そんなまさか・・のことを口にするのが恥

ずかしいような気持ちだったんだと思う。地震でも原子炉格納容器は頑丈で厚みがある

からその中の燃料棒を入れた容器は大丈夫だと言っていた最初の話が、水蒸気爆発や

建屋が二つも吹き飛んだ、冷却装置に不具合?・・・次々と不安要素が出てきてそれで

も人体には影響のない程度の放射能だと言っていたのが、被災地の人にも屋内退避を

余儀なくすることになってしまった。逃げる場所がもうない避難所なのに支援の手も

たらず、今の場所から離れることもできない状態を、政府はどうしようとするのか?

 災害は起こったら大変だから、そうなる前に防災を考え、起きたらそれに対しての

迅速な対応で救命、救出をして、そして復興・復旧となり、次はそれを経験につぎの

防災に必ず役立てなければ同じことの繰り返しだ。阪神大震災で多くの犠牲者をだし

て学んだことは、次の中越地震などにも役に立つことがあった。ただ、原発事故は

テレビで解説する学者たちの「想定外」ではすまされないと思う。原発が急に現れたの

ではなく、そこにすでにあったのだから想定以上のことをシュミレーションしておく

べきだ。自然界の放射能は万人にあびるものだけど、地元にはそれ以上の汚染をさせて

はいけなかった。近づくと自身の体に深刻な影響を及ぼすのを承知で なんとかこの

暴発しそうな原子炉に入って治めようとしてくれる研究員や電力社員、自衛隊員には

頭が下がる思いだ。政府要人は、それが「要」とも思えない人なんだけど出てきて

カメラ目線でさも自分が解決のカギを握っているような顔をちらつかせ、質問には答え

ず(答えられない)会見を切り上げる人もいて、やはりあなたはカイワレを食べるだけ

のパフォーマーだったのかと笑ってしまう。


 笑えないのが、串本町の避難指示の結果テロップでは4000人とか出てたのが

300人弱だったらしい。津波避難タワーにはそれぞれの地区で上がったそうだが、

避難解除が出なかったので夕方から夜になるまで 寒かったらしい。中にはすこし

高い場所の避難所だと暖房を入れてくれたところもあったそうだけど、そのほとんど

が夜九時ちかくには帰宅してしまった。町職員が止めても「家が心配だ」の言われれば

どこまでそれを抑止できるか、職員には決められないという。だいたい想像がつくけど

ね。漁師町だから言葉がコワイ、声が大きいし、すごまれる様子が目に浮かぶ。

そう言う私も避難せずの人間だったのだけど、昔の津波では我が家より奥にある水源地

まで舟が流されてきた・・・という話もあり 今より川幅も狭く護岸や防波堤もチャチ

だったことを考えると、海岸から2キロ海水がくるのも真実かもしれないし串本町の

津波観測地の袋港から見える、山肌に書かれた南海地震の津波到達地点もありえたこ

とだ。私も家の前の川を見に行った時に、海の上空を飛ぶヘリの音に「本当に来る」

という気持ちと「来ないな」といういつもの津波注意報の気分がいったりきたり。

 翌日の和歌山版ニュースでは漁港で白い渦が巻き海面が黒っぽく変色していたし、

袋港の海水も変色していたという目撃談も耳にした。ヒタヒタとくる津波のイメージや

河口をさかのぼる津波の映像が日本に多く、町を襲う津波はスマトラ島のあの映像が

まさに今回、その何倍かの威力、破壊力だった。道路も海路もいまは近寄れず、政府は

原発一色で被災地の援助はどうなっているのか・・・。災害はその国の≪国民を守るチ

カラ≫を私達が知ることができるチャンスでもある。それが自衛隊、海上保安庁、警察

消防隊なら予算を切り詰めるばかりではないのではないかな・・・。串本町内の津波避

難タワー、あれももう一度再考しないか?鉄骨組のタワーは今回の大津波の威力では

へし折られ吹き飛んで、上に避難した人は流されてしまう。やはりビル型のもののほう

が、被災したあと雨風もしのげるのではないだろうか・・・
 

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避難リュックを点検

2011-03-15 05:30:30 | 我が家
先週金曜日に発生した、東日本大地震・大津波は日を追うごとに凄惨な現状があらわに

なり、遠く離れた私達串本町民も他人ごとではないと痛感している毎日だ。大地震の

あと「防災串本町」から津波警報が発令されたという放送を聞いたのが、いつもの

こげの散歩のあと途中で貰ったホオズキの苗をおばあちゃんと畑に植え終わった時だっ

た。「どこかで地震がゆったんや」と外にいたからそれがどこかも知らずにいたのだ

が、「大津波警報」という放送になってテレビをつけて思わず「うそ・・・」と。

それからあとは画面に見入るばかりで、心臓がドキドキし覚えていない。津波の映像

を観ていたら町からの放送で「沿岸部の人は避難して下さい」となり、これは避難すべ

きなのかどうしたらいいのかわからない。ご近所見渡しても指定された避難所に向かう

人も無く、農作業をする人、いつものウォーキングをしている人さまざまだ。

町からの放送は15分おきくらいに放送するけど、地区放送がない。私の住む地区は

地区で自主防災組織という立派な肩書のものを作っている。避難場所が各地区内にあり

串本町の地震ハザードマップにも載っていた。その組織から○○地区は○○へ避難との

放送があれば動くんだけどなぁ・・・というか、地震そのものがこの辺揺っていないか

ら、大丈夫だろうという気持ちなのだ。そうしているうちおばあちゃんが「おじいさん

が車で出て行って戻ってこない」と真剣な目で言ってきたので、大津波警報ならもしか

して国道を通行止めにしているのかもと安心させ、テレビの津波の到達時刻と高さを

見に家に入ったら、串本町は午後4時20分だったかな 一時間を切っている。

 津波の第一波は川を逆流してくるので家の前の川にこげを連れてカメラを持って行く

4時を回って次々に車が戻ってきた中に、おじいちゃんの車もありホッとしたのだが

津波も来ず良かったと家に戻り、おじいちゃんの話を聞くと人々は海を見に国道を横切

ってたそうだ。やはり、今回も皆海を、というか漁師町であるのでそれぞれの船を見に

行く人や、沖に船を避難させに行く人もあるのだ。でも関係のない人が海面を見物する

のが、今までにも津波警報の時に注意事項として言われていた。

 その後、「そうそう避難リュック、あれも点検しておかないと」とふと思いだし、

埃をかぶった三個のリュックを外に出してみた。以前、地区で防災訓練がありそのとき

も背負ったのだけど、その前に阪神淡路大震災後いざというときのために用意をして

おこうと準備したわけだ。

     
                リュック①

①ヤッケ ②笛 ③ウェットティッシュ ④使い捨てカイロ ⑤軍手 ⑥ラップ

⑦懐中電灯 ⑧傷バンド ⑨携帯アルミ ⑩新聞紙 ⑪簡易ラジオ ⑫手回し充電器

 これは重そうなのでおとうさん用のリュックだな。揃えた当時はお皿を汚しても洗え

ないのでラップを掛けたらいいという話があったし、冬場はヤッケを上に着るのではな

く下に来てその上にトレーナーとかを着ると風除けになると言われたし、その心構えの

ようです。

     

中に入っていた新聞紙の日付が2005年1月14日、一面の見出しには「減災 阪神

大震災10年」という特集記事が組まれています。リュックを用意したのが震災から

10年経った2005年だったのです。その時の新聞をリュックに入れ、いざという

時の焚き付けにもできるようにしていたらしい・・・覚えていません。笛は

閉じ込められたときのためですが、状況によっては背中にしょったリュックの中から

取り出すことは無理ですし。使い捨てカイロも消費期限を過ぎています。たぶん、翌年

に中身をもう一度点検するつもりだったんでしょう・・・。新聞を焚き付けにするにし

てもライターがありません。準備はできていませんね。

次に私のリュックを点検してみた。内容は同じものだがいくつか違うものも入っている

     

ヤッケの上にあるのが携帯ブザー、紐をひくとピーピー音が鳴るやつだ。左下にあるの

は携帯ライト。その横にはガムテープ。これは避難所や家から離れた時に、このテープ

にマジックで住所名前とどこにいると書くためのもの。

     
               マジックも入れている。

ところがだ、携帯ライトが使いもしないのに電池を入れたままにしていたので液漏れを

おこし、使用不可に・・・。これではいざというときには役に立ちません。

     

新しく電池と携帯ライトを用意しなくちゃ・・・。そうそうおとうさんのリュックに入

れていた簡易ラジオ。こちらは丁寧に箱に入れたままで入れる電池が用意されていませ

んでした。これではなんのための避難リュックでしょう、反省・・・

     
              私のリュックにも当時の新聞が

私はリュックには入れていなかったのだが、生協で缶入りパンというのを試しに購入し

ていたのを思い出し(一缶が高いので一個しか買わず)、確認。なんとこれも消費期限

が切れていた。

     
  3年間くらいは保存できるパンだったはず・・・、もったいないことをした。

     
           昨年購入した保存用グリコのキャラメル

キャラメルでもないと食糧が手に入らないと、おじいちゃんの食べ物に困りますし、

私も空腹になるとすこぶる機嫌が悪くなる人間です。それにしても缶入りパンが気に

なる。期限が過ぎたと言っても封を切ってないから九カ月経っていても大丈夫っぽい?

        
               少し縮んだ?

        
               少し毒見してみた

        
            カットしてオーブントースターで焼いた

なんと!そのままでも少し温めても美味しいやん!九ヶ月のオーバーなんてなんのこと

はない。おばあちゃんにも食べてもらうと「こんなパン好きやから、また買っといて」

と言われた。避難リュックを点検して不備もみつかり、また今回の大津波災害から

新しく、タオルやマスク、空の水筒、給水袋、こげのエサも必要になりました。ほかに

何かいるかな、と思いつつ貴重品も入れなきゃ意味ないけどふだんから印鑑・通帳を

入れておくわけにはいかないので、リュックを取りに戻れたら忘れずに入れなきゃ。

あと保健証、運転免許証にお金。串本沖の地震だと10分で大津波がやって来ると言わ

れているから、リュックに入れてこげをリードにつなぎ、じいさんばあさんを引き連れ

平見(あえて指定の避難場所には行かず)が近いのでそこに逃げる事を決め、長男君に

もそこに避難するから捜しに来てとメールした。昼間だと自信はあるけど夜中だと

半分実行できるか不安だ。

     

新しい携帯ライト、今度は電池は装填せず。この新聞も入れておこう。

そうそうヘルメット、これを前回も購入しようとしたけどかなりの金額になるので

≪災害備品基金≫を作ってから・・と伸ばしていたら、記憶の中から消し去っていまし

た。ネットで探そうかな・・・。

学生時代の友人が金沢からメールをくれました。串本に大津波警報というので大丈夫

かと・・・。大丈夫だから次回の同窓会までお互い元気でいようと返信しました。


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この国は・・・

2011-03-12 05:30:30 | 和歌山県
日本という国が終わってしまったのかと思った。テレビの画面に映し出される今までは

どこかひとごとののように感じていた、大津波。これがこの国をこんなにめちゃくちゃ

にしていくさまなのかと怖くなった。和歌山県にも大津波警報が発令され、昨日の午後

三時すぎから≪防災串本町≫からの津波注意報、津波警報、大津波警報となんども

「海岸には近づかないでください。避難地域の人は高台に避難して下さい。津波は

何度もやってきます。津波は第一波よりあとの津波が大きい」という放送が夜9時す

ぎまで放送された。その間、テレビでは繰り返し東北地方の津波の瞬間が流れ、テロ

ップでは数分おきに地震が起きていた。みているとだんだん地震の域が南下している

ように思え、つぎは東南海か南海までプレートを揺さぶってくるのではないかと、

眠ることができなくなった。我が家は海から離れているのですぐには津波の心配はない

と常日頃思っていた。それより大地震だと裏山が崩れ築年が60年は超えるの母屋や築

50年以上の離れの屋根が重くて押しつぶされることばかり案じていた。でも今回の

津波の早さとその破壊力には足が震えた。「国が終わってしまう」そう声にしてしまっ

たのも事実です。刻々と被害の大きさ、激甚どころではない災害だ、死者の数も増えて

中学生が20数名不明だとか耳をふさぎたくなることばかりだ。テレビでは「次に起き

ると言われている南海・東南海地震が今回の地震と津波の予想被害だった」と言ってい

た。そうであるなら私が被害者となることになる・・・この辺いったいがテレビで

写しだされたように津波に飲み込まれ逃げまどう車のすがた、恐ろしい。本当に

恐ろしいとしか言えない。これが経済も文化も世界に自慢していた日本という国なのか

私達がなんの悪いことをしたのだろう、天災にここまで追い詰められるようなことを

誰もしていないのに、とまで思ってしまう。今度の地震は東京とかの大都市を中心に

起こったのではなく、地方都市の沖で起きた地震が日本全土に多大な被害を及ぼして

多くの人命を奪っている。周りが海だから大昔から同じことを繰り返してきているの

だけど、近年「ちきゅう号」という地球深部探査船で地震のメカニズムと予知に力を注

ぎはじめたところなのに、それも間に合わなかった。予算だって減らされかけている、

私達の生活と命を守るには長い(そう長すぎても困る)時間と研究が必要だし、災害

のときにはへなちょこ政権より災害派遣の自衛隊のほうがずっと心強いのだ。

 地震国であるから某国が土地を買い漁るのをやめてくれたらいいのだけど、逆に

朝起きたら某国の国旗があちこちに立っていたりして・・と変な不安もある。

 地震が揺らずに津波が遠くからやって来るということを、もう一度肝に銘じ、そして

犠牲になられたたくさんの方々のご冥福をいのり、これからの復興をやはり国民として

協力していかなければならない。関東大震災、戦後、そして阪神淡路大震災から復興

してきた私達だからきっとできる。この国は、もう一度自分たちが団結して創りあげね

ばならないときが来たのではないかと思うのだ。
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壊れた!

2011-03-11 05:30:30 | いろいろ
     

 携帯のストラップが壊れた。学生時代の寮の同窓会で千葉県に住んでいる和ちゃんが

みんなにと色違いでくれた、ディズニーのストラップ。私はミッキーマウスは好きでは

ないのだけど、これは目や口が無い形だけのミッキーだったのでお気に入りだったのだ

おまけにオレンジ色はビタミンカラーで元気になる視覚効果だったんだけど・・・。

ポケットから車のカギを出すときに、小さいオレンジの粒が落ちたので「あれれ・・」

その数分前に電話をかけた時にはちゃんと携帯に付いていたはずなのに。

 家に帰って確認したらバラバラに近い状態だ。何とか元の形にもどそうとダイソーの

手芸コーナーでスワロなんとかに使うアクセサリーのテグス?を買ってきたんだけど

私は細かいものはとても器用には組み立てられなかったのだな。いろいろビーズを繋い

でみたけれど形にならない・・・ので、神経が切れそうになりやめた。

 おばあちゃんに「ほらぁ、壊れちゃったよ。だからそのあと運転して帰って来るのが

気持ち悪くてさ。」と言ったら「あの子らになにかあったか聞いたか?」と思ってもな

い返答に、おもわず「え?」となった。そうか年寄りはそっちを思うかってね。

それまでくれた和ちゃんに何かあったのかな?とかは思ったんだけど、自分の子供に

何事か起ったのでは?とは思わなかったのさ!そうしたらだんだんそっちが気になり

はじめ、二人の息子に「なにかなかった?ストラップが切れた」と打つと意外と長男

くんから「なにも。○(次男君)さんはゲーム中」と即返事があった。仕事の時間なの

になんで遠く愛知にいる次男君のことがわかるのか、また気になり「なんでわかる?

そこにいるのか?」と打つと「メッセンジャーでわかる」という返事。メッセンジャー

ってなに?と打つと長男君もうっとしくなったのかそれきり返事が来なくなった。

 メッセンジャーってなに?気にはなるけどこれ以上長男君も相手をしてくれそうに

無いので忘れていた。二日くらい経って次男君がメールを寄こした。「別にない」

「メッセンジャーってなに?」と同じことを聞いたら「パソコンの右下のアイコン」

ますますわけわからんことを書いてきた。私のわからん謎のアイコンが装備されてるら

しいな・・・。

 それにしてもストラップの切れた個所が写真の左側に写っているワイヤーのほうだっ

たので、まさか切れるとは・・・。修繕もできず捨てられずまた物が増えてしまった。

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