こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

6月

2015-06-28 05:30:00 | 和歌山県
気がつけば 6月も終わろうとしています。一年が経つのも早いはずだわ~と思うこのごろ。

私の生活も 相変わらずで、おじいちゃんが施設に入所して半年近く。おじいちゃんは落ち着いたようで そうでない日もあったり。そういう姿を見ていてこれでよかったのか?と

思うことが多くなりました。おじいちゃんにすれば納得できないことだろうけど 家族が 倒れないでいくためにこの形がよかったのだと思うことにしないと・・・



6月に出くわしたもの


わかるでしょうか、やかんの左側にたたずむ?生き物。たぶん タヌキ・・タヌキだけど毛が薄い・・・この場所には4匹のタヌキが住み着いていて散歩の時に昼寝をするのか姿を見ること

数回。どれもこのように毛が薄く タヌキにしては 顔つきもそれらしくないので・・ムーミンに出てくる茶色の生き物に似ていると私は思うのだ。あれは空想の動物みたいな感じなので

私が目にしたこの動物もあの動物ではないかと思っている。おばあちゃんに言うと タヌキが病気になって毛が抜けたものだと言います。数年ごとそんな病気がタヌキに流行するようです。



デカい、ナメクジ。山ナメクジ。最近はあまり家の庭先には現れなかったのに 今年出てきました。これが何を食べているのか 調べたことはないけど 普通の花壇に出てきて花を食べたり

畑の野菜をかじったりする普通のナメクジと比べたら すごく大きいものだ。火箸で挟んだりすると かなりな質感があるので きっとコリコリ感がありそうだ。これは食用にしないのか?

デカいミミズを食べるという わけわからん人々たち。おばあちゃんが 草むらに放り込んで始末したけど・・・


                  ヤマモモ

この日、6月の中頃だった散歩コースでヤマモモを発見してパチリとした。2日後 同じところを歩いたら 赤い実が全部消えていた。なんでも翌日にサルの群れがやって来て、そこらじゅう

の木で騒いだそうで、その時に食べていったらしい。


残りの半年、頑張れるか・・・ふぁいと~


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特別弔慰金

2015-06-23 05:30:00 | 我が家
タイトルは正しいのかよくわからないんだけど、きっと戦没者特別弔慰金とか・・・だと思う。

年に一度 お国から戦没者の遺族に弔慰金が渡されるのです。うちは おじいちゃんのお兄さんが先の戦争で亡くなったので当時生計を同じにしていた家族がもらうことになっている。

お兄さんの両親、つまり私からすれば先代のおじいちゃんたちなのだけど もうその二人も亡くなっていまは弟であるおじいちゃんが受け取っている。年に一度四万円。十枚つづりだかの

シートを持って郵便局で受け取る。今年の分はその10年目で 来年からの分が特別弔慰金として一万円アップして五万円になるそうで おじいちゃんの代わりに郵便局に受け取りに行って

そういうことだと初めて知らされた。受け取るには きちんと申請しないともらえないらしく局員さんから「もう手続きを済ませている人もいますよ」と言われ、来年のことまで想像は

つかないけど こりゃ手続きしなきゃ・・・ともらったパンフを持って先週役場に行きました。ちょうどハチ駆除の補助金申請の手続きもしなくちゃならないので、ついでに、と。

受付でまずハチ駆除補助金のための書類を出して、「弔慰金の申請を・・」とパンフを差し出したら 受付に出た私くらいの見た目も年齢もの女性が「それはあっちで」と指さすでもなく

顔を向けたのだ。若い受付の女性や男性は昔よりずっと 感じがよくなったと思っていたので「ま!対応が不親切ね」と思いつつも「局でこんなパンフを貰ってきたのですが」と見せたら

それをサッと手にして「あぁ あちらです」と私があとでブログに使おうと思っていたパンフを持ち去って自分の持ち場に行ってしまった。なによ、さっきだって ハチ駆除補助金申請の

数枚の書類をクリアファイルに入れて見せたら、それもそのまま待ち去って「受け取りました。提出しておきます」って・・・ファイル・・・返してくれへんの・・・?

 私はこういう場所で事を荒立てるのもやだし・・・と思いつつ、きっちりこうして書いているのだから小さな仕返し(笑)だわ・・・。


申請書というのは どれもこれも書類が多い。弔慰金の窓口に行って「えぇ~、こんな細かい文字の書類に目を通して記入すんのかよぅ」と唸ってしまった。

窓口の職員さんは男性だったけど 私が父親の代理で申請に来たことを告げると丁寧に教えてくれました。まずは 亡くなったお兄さんが対象者か調べはじめるけど、町内だけでも

かなりな数の戦没者のようで大学ノートの罫線より狭いなかに 何ページにもわたって書かれている。パソコンで探し出すほうが早いのになぁと思いながらも、隣のテーブルのおばあさんも

申請に来たようで でも記入も窓口の職員さんに書いてもらっているようだ。やっとみつけた お兄さんの名前と当時の家族構成。それを戦後生まれの私に確認するのだが、「てっ!

お兄さんの名前は知っていても漢字が旧字・・・生年月日?さぁ知らないなぁ・・・所属は?亡くなった日?・・・・」私は 先代のおじいちゃんからも父親からも この戦死したおじさんの

ことは詳しく聞いたことがないということを この時初めて思い知ったのだ。なぜか?なぜかおじいちゃんたちは 話さなかったみたい。おばあちゃんも詳しくは知らないんだって。

いろんな用紙に 先代のおじいちゃん夫婦の生年月日やら死亡年月日、本籍地やら 説明を受けつつ「お墓の墓石に書いてたような気がするし。仏壇の過去帳には命日が書かれているから

調べようはあるな」とまぁ気安く考え、受け取るための印鑑を押したり、おじいちゃんが役場に来られないので委任状、その委任状自体書けないから私が代理で書くという委任状を渡され

た。お兄さんって 志願したのか船でフィリピンに向かっていた途中の海上で爆撃にあって亡くなった・・みたいな話は聞いていたんだけど。

 家に持ち帰って 記入してまた来ますってことで立ちあがったら受付には おじいちゃんくらいの年代の人が数人来ていて、ほとんどがこの弔慰金申請の手続きらしく、やれ戸籍抄本を

もらってくださいや、あちらの窓口ですとか言われている。皆、持ち物がないから印鑑くらいしか持ってなさそう。私と同じように、ほんの数分で済むという感じだったのかもしれない。

まぁ、でも私より濃い親等だったらわかるんだろうな・・私なんか会ったこともないオジサンだもん・・。家に帰っておばあちゃんに 先代のおじいちゃん夫婦の生年月日について聞くと

戸籍謄本みたらわかるやろ・・と まぁおばあちゃんだって他家から嫁いできた身、舅・姑の生年月日なんて覚えてないっしょ・・・。

日曜日、お墓に何かしらの記述が無いかと見に行くとおにいさんの墓石には≪昭和19年5月10日 比島西方海面に於いて戦死≫と書かれていた。24歳だったそうだ。うちのバカ息子

二人より若いときに亡くなっていたんだ。おばあちゃんの話では 「兄さんは爆撃があった時に 一緒に乗っていた人が早く海に飛び込まないと沈む・・と言ったけど 観音さんかなにかを

彫っていて逃げ遅れた・・んだと、一緒の人が新宮出身で そんな話をしにきたみたいや」と。お兄さんは 絵が上手だったそうで 観音さん彫っていたというのもありえるかな、と思う。

結婚もせず 遺骨も戻らず、お兄さんの一生ってなんだったんだろうなぁ・・・本当にお国のためにって思って志願したんだろうか・・・


 戦争はしてはいけない、でも 一方的に攻め込まれた時 その場所に国民がいたら救助しなくちゃ国ではない。話し合いで戦争を回避できるか?それも無理だろう。相手側の言い分を

のまないと回避はできない。そもそも 戦争に巻き込まれるきっかけってなに? 核兵器で脅され続けて 日本という国でいられるんだろうか?よくわからない・・・

お兄さんたちの命と引き換えた、今までの日本と≪これからの日本≫がだんだん形を変えていっているような気がする。でも 日本は日本でいてくれないと おばあちゃんになって

中国語なんかしゃべれへんし・・・なんか いろいろ思って、申し訳ないなぁと考えたので仏壇に「今回おじいちゃんの代理でお兄さんの弔慰金の手続きをさせてもらいました。

おじいちゃんももう少し頑張ってほしいから、応援頼みます」と手を合わせ お菓子を供えたのでありました。 
 
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(再)ハチの巣騒動

2015-06-19 05:30:00 | 我が家
タイトルでお分かりのように またもやハチの巣が・・・。見つけてしまったのは私だから 当然見過ごすことは「できへんよねぇ」。。。だ。

先日、雨の日のこげの散歩のときに前方から車が来たので こっちに来るのだと思い町道に面した橋の上で待避していた。右手にうちの車庫とそのうしろに農具小屋が付いている。農具小屋は

シャッター二枚の二室、その後ろに稲刈り後の稲束を干すサガリの脚にするスギの杭が何十本も放り込んでいる。雨除けのために屋根が付いてるけど 入口には扉もなく、今までその状態で

しばらくきていたと思う。以前は戸板で見えなくなっていたようにも記憶があるような気がするのであったとして、以後おじいちゃんは出し入れに面倒だから外したんだと思う。

でも、耕作をやめてから杭を畑に使ったり こげグランドのメッシュの杭として使ったけど 年がら年中湿気のある田んぼに支柱として打ち込んでいたら数年したら杭も腐ってしまい

それを抜き取って金棒と替えた。わけわからん人々に田んぼを貸した時に おばあちゃんたちはそのサガリの脚も使っていいですよ、といったらシカ除けのネットを張るのに使ったはいいけど

針金で網と杭をくくりつけ、片付けるときには針金を田んぼの中に捨てるわ こげのグランドにまで捨てるわ でいまだに草刈機で刈ったらなにがしかのものが巻きついたり 跳ね上がってき

たり、危険極まりないときがある。何年たっても あいつらは要注意グループだと私は思いこんでいます。

 そのサガリの脚の小屋に 一匹のスズメバチ系のハチがホバリングして浮いています。私たちがそばにいることに警戒をしているかのようなホバリングなので「おそろしいからね、こげ、

近寄らんとこ」と歩き出すと そのハチが小屋の中にスッと入っていったので、ハチの巣を作る場所を偵察か?と気になって この間のお墓にミツバチの巣ができてしまったから

ミツバチの巣を狙うためにこの辺にスズメバチの巣ができたりしたら一大事。それよりなにより 町道に面しているので 万が一人が歩いていようとおかまいなしに すっ飛ばしてくる

奴らの仲間の車がこの小屋に当たりでもしたら まさにハチの巣を突いたような騒ぎになって だれの責任?となると小屋にハチの巣を作らせて駆除していなかったうちの責任・・・って

奴らなら言ってきそうだ。少子化でこの辺を登下校する小学生も中学生も皆無に近いけど 川があるから川遊びに来てハチに襲われたらだれの責任?・・うちの小屋から出はいりしている

ハチなら駆除していない・・って言われる・・・よね・・・

と帰宅後、おばあちゃんに報告すると「とらなあかん」と言います。その答えは予想できた。というのも もう10何年か前に私たちの住む離れの軒下にスズメバチが巣を作っていて、

駆除することに。その時は 業者さんに依頼することはあまり一般化してなくて この辺の人ならたいがい自分たちで駆除していました。恐ろしいことだけど 夕方暗くなってからハチの巣に

殺虫剤をスプレーする、噴射しまくるのです。当然 防御のために厚着をし、この時は夏だけどダウンジャンバーにバイクのフルフェイスヘルメットでゴム手袋、殺虫剤の押すところに紐を

掛けてそれを竹の棒に固定し、垂らした紐を下から引くとそれが指の代わりになって噴射する・・という工作めいたものを数本作って、周りが暗いから懐中電灯で照らす役と 噴射役と

分かれて実行したのだ。昔は 殺虫スプレーの代わりに灯油を湿した布きれを棒につけ、火をつけて巣の中に突っ込んで焼き討ちしたりしたようだ。こちも危険度がたかい。

巣の中に入ると 火って一瞬消えたりしたら 怒ったハチが襲ってくるでしょ、この間お墓の時にも オジサンは灯油を湿らせた布を墓石のすき間近くに差し込んでいたので、あたりに

灯油の匂いが漂っていたけど、灯油の効果は高いらしく それでハチが怒って暴れるんだそうだ。おばあちゃんは 10何年もまえにやったことをこの高齢化した家族でやったらいいと

いうのだ。それが一番 安上がりなんだけど でも私は危険すぎるからやりたくない。へたに素人がやって刺されたら「業者に頼んだらよかったのに」と人がいうのは想像できる。刺されたの

がおばあちゃんだったりしたら そんな年寄りまで引っ張り出して・・とも言われる。それにおばあちゃんは過去にアシナガバチやスズメバチに刺された過去がある・・・。おばあちゃんは

心のどこかに ミツバチのオジサンに頼めば取ってくれる・・というつもりなのは私はわかっている。でも、ミツバチではなくたぶんスズメバチ系。オジサンも80歳だよ~

刺されたりしたら その家族に申しわけない。ちゃんとした業者さんなら お金はかかってもまえにキイロスズメバチの巣を駆除してもらったときには 串本町からのハチ駆除補助金が出た
 
し・・と思うから おとうさんに言うと絶対自分が駆除するとは言わず、オジサンにも頼まないだろうから 業者にやってもらおう・・と 言うだろう。で、夕食の場で 私が言いだした。

おばあちゃんは「取らなあかんけど。」暗におとうさんにハンターをさせようと・・・そりゃおじいちゃんがおとうさんの年のころなら 自分で取っただろうから おとうさんもやる気を

出して自分から「取る」と言い出すのを待っている感じだ。おとうさんはそんな気が全然ないから「取ってもらったらええ」と一言。「取ってもらったらええって、お金いるし」とおばあちゃ

ん。「補助出るやろ。おばあちゃんはオジサンに頼んだらと思いやるけど、オジサンも80歳やで。万が一刺されたら 家族に悪いで」と言ったとたん おばあちゃんマジ切れしちゃいました

「知らん!!ハチのことは一切 知らん!」と一言言って黙ってしまいました。そうなる結果は想定外だったので その後のごはんは3人とも黙って黙々と食べて 私は洗い物を済ませ

離れに戻ってきました。自分の知り合いに頼めばやってもらえるけど 当の家族がやらないことをやってもらって事故が起きたときにどうするのか・・・ってところが、おばあちゃんは

考えてない。たまに この長女的一方的思考がでてくるので これが出たら自分が一番正しいから譲らない・・のよね。なんでもそう、食パンは あの食パンでないとダメ。売り切れて

いたりしたら ほかのものではダメ。なので いつも多めに買い置きして冷凍保存。売り切れていたらまるで私が悪いかのように、早めに買いに行かんから・・みたいに言うのだ(笑)

外食しても必ず「これは美味しくない」と絶対言う。お米がおいしくない・・・と。身内ならまたか・・と思うけど他人が混ざっていても 空気読まずに言うときがあるから 年寄りだから

という点を引いても、私は「長女的一方的譲らない思考」だと思うことにしている。次女三女ともなると 上に従わされる場合が多いため 状況に合わそうとするのだが、長女長男は

こうしておいたら正しいのだ!とくるので「・・・まぁ ほかの方法も考えてみたら」と言ってもうちのおばあちゃんは 自分が正解みたいになることが多くて・・・はははは(笑)


翌日、梅雨時期でもあるし万が一この巣にハチが入っていたら大変なので ハチの巣は小さいけど(ソフトボールくらいの大きさ)業者に電話したら さっそく夕方来てくれました。

現場に案内したら「ハチ入ってますね。取りやすい場所だし すぐできますが1万5000円と消費税です。役場に尋ねたら4月から補助金が出ているということなので 」と教えて

くれました。「巣の大きさで出る出ないじゃないんですか?」「大きさではないですよ」というので いくらか戻ってくるんだからやってもらいました。私は 家の駐車場から

前回のような宇宙服みたいな格好で駆除にかかるのかなと見ていたら ネット付きの帽子と長靴にとわりと軽装な感じ。手には袋と網のようなもの・・・今回は場所も低くて 腰のあたり

で 巣も小さい・・・

   
                        こんな感じ

取ってみて 肝心のハチがいなかったらどうしよう・・・ハチの姿は一匹しかみていないから・・・という不安もあったけど 駆除が終わって見せてくれたハチの巣の残骸には

一匹のハチと 産み付けられた卵・・業者さんがいうのには「1週間もしたらハチが飛び回っていましたよ、このくらいの時でちょうどよかった。道のそばだし子供さんや お年寄りとか

刺されたら大変でした。このハチはコガタスズメバチと言う名前です。前回はキイロスズメバチ。あれは凶暴ですからね。気をつけてください」「今年、ハチ多いんですか?」「去年くらいか

らハチの巣の駆除は多いんですよ」と言われました。

きのう さっそく役場に提出する書類を持ってきてくれた業者さんに「また 次があればよろしくお願いします」とお礼を言ったら「こちらこそ」と笑われました。これで一安心だけど

散歩の時も あたりにハチの巣がないか気になって、気になって(笑)
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落石していた

2015-06-15 05:30:00 | 和歌山県
きのうは前日の 思いっきり晴天からうって変わって 雨降りの一日でした。

午前中、「きょうはおじいちゃんの面会とそのあとガソリンを入れてエアコンのガスもみてもらってくるから帰るのは遅いよ。夕飯の買い物もしてくる」とおばあちゃんに言って出かけたのでした。

お天気が雨のせいかどうかはわかりませんが、おじいちゃんは眠そうで受け答えはできるけどひと月前ほど無茶苦茶を言うこともなく、これはやっと施設になれて精神的に落ち着いたということなのか

帰るのを引き止めることも少なくなってきました。法事も無事に終えて私たち三人はそのあと どっさり(まさにどっさりと)疲れて眠ってしまったのです。こういうことはすべておじいちゃんが自分一人で

仕切っていたので、そうお寺さんにお願いするのもお供えの果物やお菓子の用意も。おばあちゃんは仏壇のお霊供とお墓の掃除ぐらいで今まできたそうです。子である私は 今の今までそんなことは進んで習うことも

してなかったので、お墓の掃除だけでも「もう勘弁してよ」と思いながらもこれからこんなことを私たち夫婦二人でやっていかなくちゃならへんのかぁ~ 大変やなぁ・・・と思っています。見よう見真似で

やっていけること、きちんと正式にしなくちゃならないこと、と誰が決めたのか、その家、その家、代替わりすれば略式でもいいやん!と思うのはいけないことみたいで・・。私たちが頑張ってこれらのことを

やっても、その次に続く世代は どうなることやら・・・親と一緒に住んでいない分 しきたりやこんなときはこうしたらいいという頭もツテもなく、かといって自分で世間一般の常識など何も知らないのですから

気がつけば 業者に身ぐるみ剥がされるくらいフンダクラレルのではないかと心配もします。親はいつまでも生きてはないんだよ・・・(これは私自身にも言えることなんだけど)。おじいちゃんは法事がすんだこと

を聞いたらもう帰ってもいいというので 予定より早くガソリンスタンドに。ガソリンを給油後エアコンのガスを調べてもらったらレベルが下のほうだったので入れてもらうため店内でおとうさんと待っていると

スタッフさんから「ちょっと見てもらっていいですか?」の声掛けです。山文スタンドの声掛けは私にすれば恐怖で、それもガソリン以外にオイル交換や水抜き剤の注入、洗車チケットの販売などなにかとおススメ

してくれるのです。でも 一度ここで車検を受けてからガソリンが店頭価格より8円引きしてくれるからセルフで入れるよりも若干安いのでここに来るわけです。内心「またまた何か購入しなくちゃならないのか!」

と身構えていたら「後ろのタイヤの内側のラインが消えて 次はワイヤーが出てしまい危険な状態になります」とそれは・・・水抜き剤どころではないなと実感。「いくらしますタイヤ一本」と聞くと

おにーさんはすぐさま車のサンバイザーから「前に見積書を渡しているので・・」あ~!、そ、それは昨年だかそのまえだかタイヤ交換をしたらいいと渡されたもの・・・日付が7月だったからまるっきり一年

忘れていたのだ・・いや今年車検受けたけど言われなかったけど・・・でも、おにーさんはこの見積書の値段で工賃ゼロでしてくれるというので「じゃ明日お金持ってきます」と元気よく言ったら

「ということはきょう交換して 代金は明日、ということでよろしいですか」という話になっている。ちょちょ、ちょっと待っておにーさん!私は交換も明日で・・って意味ですが、きょうはガスチャージとガソリン

代だけってことを言ったのに・・・ところが話を聞いていたおとうさんは「それでいいやん。おれならすぐ替える。危ないもん」と・・・「は、はいそれでお願いします」とまた店内に戻っていたら今度は

「タイヤの在庫を切らしているから明日朝一で持ってきてもらうので電話してから来てもらえますか」ということになって 内心財布の中身にビクついていた私は安心したのだ。レジに向かうとおにーさんは私の

心の機微を悟ったのか「Tポイントが2046ポイントたまっているので 使えますが?」と聞いてきました。常々、このTポイントどこで使っていいのかわからず、いろんなところでTポイント使えますという

看板を見ても使ったことはなく、現金に代わるのかどうかも知らず ただひたすら山文スタンドで給油するたびにポイント加算してもらっていたわけで、現金に代わるなら2000円がとても嬉しい。

少し安堵してスタンドを出て 次にドラッグストア、そして家電店(エイデン)へ。ここ数か月 衛星放送が まるっきりきれいに観えない、写らないのだ。最初は たまに小さな四角のモザイクみたいなのが

だんだん広がって、横いっぱいにモザイクなうえ音声も切れ切れ、パリ!とかプチッとかの音と声が重なり、我慢して観て聴いてたら 頭が痛くなってきて・・という状態。それでも たま~に何かの拍子で

美しく・・とはいかないまでも 一時間近くドラマを観ることができるときもあり・・・しかし、先週から全く画面に「現在放送されていません」という文字が全チャンネルに出て視聴できない。

お金払って衛星番組観るつもりが料金だけ払って何も観られないのは損やんか!と私の一言でやっとおとうさんが腰をあげたのだ。 自分がゴルフ中継観たいって、映画を観たいって衛星放送つけたのに、私は

その時は見逃した邦画が観られるなら・・・いまは海外ドラマだけが楽しみなのに。え?韓国ドラマちゃいますよ、中華や台湾じゃないですよ アメリカですよ。≪クリミナルマインド≫や≪ブラックリスト≫の

続きが観られず 困っているんだから。店員さんは明日、私の住んでいる地区に衛星工事があるのでそのあとに行きますから・・午後からになるというので「明日は電話の前にいなくちゃならない日だわ」と痛感した

のです。雨の中 家に帰ろうと国道を走っていたら近くの国道で落石・片側通行 という電光掲示板。いったい どこで?とおとうさんと見に行ってみよう・・ということになりました。

     

                     あっ、らぁ~想像以上にデカい岩

ここは串本町田子(たこ)。国道の左側が海岸です。右の山から転げ落ちてきたのですが どうやら防波堤で止まったようです。でも、いつ?私たちは この落石現場の少し手前旧田子の浦ドライブイン前で

婦人警官にストップを(交互通行のため)かけられたのです。旧ドライブインの上には なぜか大きな天狗のオブジェがあって太平洋をにらみ その下の岩にはなぜかゴリラの巨大な顔が描かれ、私たちは

「天狗が国道に落ちたのかも。それか ゴリラの岩が崩壊したのかも」と話していたんだけどどうやらその二つとは全然関係の無いそれを行き過ぎたところの山の中の岩が落ちたみたいです。

国道にはミニパトや、串本署からきたパトカーに地元のゼネコンの車と作業員。町内のほとんどの公共工事や国道の管理を請け負っているからでしょう、写真の二人は作業員だと思われます。昨夜に落ちたのならば

もっと早く撤去したはず。やはり日曜の朝、落ちたので撤去するにも工事車両かクレーン車の手配ができないのでしょう。国道の向こうとこっちで交互に車を通過させています。私たちは近くの空き地でUターンすれば

いいけどそうだと 後ろの車やお巡りさんに落石現場を見に来ただけの野次馬根性者にみられるので(実際そのものなんですが) しばらく走って 私としたら初めて行ったJR田子駅まで行って戻ってきました。

     
                  あかん、お巡りさんがいると思うとボケボケやん

返って来てもまた先頭でストップさせられました。串本方面から来る車は 多くて皆 落石の前でスピードを落としていました。

     
無残に落石防止ワイヤーが曲がっています。こういう大きさだと ワイヤーでは無理ってこと?


我が家の裏山にも 急傾斜面工事でワイヤーネットが張られています。おばあちゃんにきくと ちょうど私たちが寝室にしているあたりの裏山に岩が突き出てるらしくそれが心配だと。

今回の落石、雨が降ったといっても集中豪雨でもなければ強い雨でもなかったし、地震も起きてない。風化か浸水か・・岩の寿命だったのか・・・、このあと対向してきたゼネコンの大きなショベルカーを見て

「きっとあれでよけてどっかに仮に置くんだわ。ダンプも来てないし・・旧ドライブインに置かせてもらうんだわと話しながら帰ったのでした。
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ミツバチ騒動

2015-06-11 05:30:00 | 我が家

                           トケイソウ

きのうは≪時の記念日≫だったそうで、で、トケイソウ。花のあとには 丸い実がついていたような・・・つる性だからフェンスに這わせてもいい感じですよね。でも、

この時計は 何時を指しているんでしょう?よくわかりません。子供の 時計の見方のお勉強にはなりませんね(笑)


さて、今週末に我が家では ご先祖さん二人の100回忌の法事を行います。100回忌ですから もちろん誰もそのご先祖さんをご存じない。だけども、 おじいちゃんは昨年倒れる前から「100回忌がある」と

意気込んでいたので 当主としてベッドに伏しているからとりやめるってことにもできずに 家にいる三人ですることにしました。本当は 八月と十月が命日なんだけど なんでも旦那さんが八月に、その二か月後に

奥さんが亡くなったので、ふたり一緒にご供養を・・ということに。遅れてするより 早めにするのはいいんだそうで。七月、八月になると和尚さんも忙しいだろうから梅雨になるけどこの時期にと決めたのです。

お寺にお願いしにいって了解してもらい、さぁ今週は法事に向けての準備とお墓の掃除。お寺でお経をもらって、お墓でもお経をあげてもらう・・で法事は終わるのですが、お墓は山の中腹ですから

5月に草刈りを済ませておいたけど雨が続くと木々の落ち葉がお墓に降り積もってくるのです。きのうは おばあちゃんと一回目の掃除に行ったのですが・・・計画がとん挫することに。


午前中おじいちゃんの面会と買い物、午後からお墓に向かったのですが 歩くのが遅いおばあちゃんを残して先にお墓についた私。竹ぼうきで前日の雨で落ちて砂に張りついた葉っぱを掃いていました。

そうしたらぶんぶんぶんぶんとハチの羽音が聞こえてきます。お墓の横に ミツバチのゴーラを置いているのでそれだと思っていたのです。こちらが 手荒く扱わなければミツバチが襲ってくることはないやろ・・・

と思っていました。が、どうも様子がヘンです。墓地の石塔にむかってミツバチが飛んできたり 飛んでいったり。石塔の裏に花でも咲いてるのかしら・・と裏を見たら花など咲いてません。咲いてないかわり

墓石の台座にミツバチが入っていくではないですか!!

    

ハチは見えませんが 奥から二つ目の墓石の台座に入って行くのです。こういうことってあるんでしょうか?この地区で ミツバチのゴーラをよく見るけどお墓に巣くうミツバチって?

やっとお墓にやってきたおばあちゃんに「墓石の中にミツバチが入って行く」と言うと「そんな話は聞いたことない。ほんとなら法事で和尚さんに来てもらえん」とかブツブツ言いながら上がってきます。

そして 状況を見て「ほんまやなぁ・・どうしよう」と言うので私はおばあちゃんの友達の旦那さんが お墓の横にゴーラを置いてるからその人に聞いてみたら。携帯持ってるからここで電話したらいいと、

言ったら「あ!番号忘れた」「家に戻って家から掛けなあかんわね」とまた来た道を戻って家に・・・。おばあちゃんの足なら往復で15分くらいか・・・私はその間ミツバチがやって来ない反対側で掃除にかかりまし

たが どうもぶんぶんぶんぶんと違う ぶーんという羽音が聞こえるような気がするのです。これは スズメバチ系の音。ヤバいやん ミツバチを捕食にするからミツバチの巣にスズメバチがやってきて、

けなげにも小さなミツバチは巣を守るために戦って餌食になるのです。人間をも襲ってくるから待避。

電話を掛けたおばあちゃんが「来てくれるって」と戻ってきて言います。すぐにおじさんはおばさんとやって来てお墓の様子を見てくれました。ハチ除けの帽子と厚手のゴム手袋。墓石の後ろを見て

「中に入っているなぁ」と木の枝を差し込んで(そんなすき間ができているとは知りませんがな)墓石を動かせないから 周りにキンチョールを噴いて穴をつめてしまおう、ということに。

今度は私が家まで走って殺虫剤を取りに。おじさんがすぐさま駆除にかかるのかなと思っていたら おじさんはお墓に落ちた葉っぱを掃除し始め、私たちはそれは構わないから、掃除までされたら申し訳ない、と

言っても「な~んの これくらい」と言ってききません。「殺虫剤を噴いたらハチが暴れて近づけんようになるから。下に下りといてよ」と言います。巣を守るためにハチも必死ですから 私たちが刺されたら

おじさんの駆除もできなくなります。木枝を差し込んだら なんと、蜜がついてきた、と言います。5月の墓掃除のときには無かったハチが ひと月足らずで蜜まで作るくらいに巣くっていたのか!?

このご先祖さんは ハチミツをお供えにしてもらっていたんですかぁ??お墓の中の造りはよくわからいけど 石が重い分 石を彫りこんで空間を作っているらしい。今の墓石は前から骨壺を入れられるように

なっていると、一昨年JAの墓石を見に行った時に説明を受けたけど このお墓はたぶん明治時代に作ったものだから台座をどかして骨壺を入れたりするのかもしれない。ただ、今回の法事はこのお墓のご先祖さん

ではなく、このお墓は 昔のご先祖さんを一度ひとまとめにして≪先祖歴代の墓≫のお墓なのです。そのあと 今回の法事のご先祖さん、私の祖父母のお墓、戦死した叔父さんのお墓、若くして病死したおじいちゃん

のお姉さんのお墓とそれぞれお墓があるのです。11基ものお墓があるわけで・・・

     

おじいちゃんはこれからお墓の数を減らして、先代と自分たちと兄姉、私たちを○○家の墓として祀ろう・・と思っていました。が、自分はなぜか墓石の展示会に行かずおばあちゃんと私に行かせて、決めさせようと

したので、そのあとおばあちゃんの足腰が痛くなり、おじいちゃんが倒れるってことになり、やはりお墓って事を起こそうとすると差し障りがあるのか、当主である本人がタッチしないと悪いことが起きるのか、

今に至っているわけだ・・・

     
                    おじさんが駆除を始めました。

「今日一日お墓に近寄ったらあかんでぇ」と言われたので この日の掃除は急きょ延期になって 今日は雨の予報だから金曜日にまた清掃に来なきゃなりません。でも一昨日前から家の周りでハチが飛ぶのです。

今年は ハチが多い年かもしれません。



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アオちゃん

2015-06-08 05:30:00 | 我が家
先週のこと、最近めっきり草引きに熱が入っている凹さんですが 成長著しい草には私のチカラなど焼け石に水状態ですが それでも千里の道も一歩から・・・と頑張っています。

この日は 前日に風が吹いて 鉢植えのサクランボ(サクラボンクラ)の鉢が横倒しになっていてそれを起こしていました。よく見ると(よく見なくても、ですが)鉢には草が生えてきています。

隣の鉢植えのユズ(大きくなったら困るのでユズも鉢に植えているの)の鉢にも草が。二つの鉢の雑草をこの機会にとしゃがんで引き始めました。引き始めたところ なんか気配と視線が・・・

まさか 嫌いな長いもの(○カデ)じゃないでしょね・・と周りを見まわしていて「なんだ~ おまえかよぅ」と声を出してしまいました。そして カメラを取りに。

     
                           アオちゃんですぅ

ユズの鉢の縁を ゆっくりゆっくり移動する青虫。青虫だからこれはアゲハチョウに変身するやつや!!それにしても なんでこんなところに?あぁ、そうか、ユズの木にいたのか・・・

家の下の畑にキンカンの木があるときは 何度か見かけたことがあっても、そのキンカンも去年切り倒したのよね。大きくなって実を採るのが難しくなって。だからこんな小さなユズの木に産み付けられたのか

可愛い青虫に見入っていたら なんだか頭上に鳥の声。頭の上にあるサザンカの木の周りにヒヨドリの姿が・・・、まさか この青虫アオちゃんを狙っているんでは?

人間がいるのに ヒヨドリは2メートルもないくらい近い場所に止まっています。いっこうに飛び立つそぶりもなく こっちを見ては一応威嚇なのか バタバタと飛び回ったりブロック塀に止まっては

こちらの様子を監視しているようです。

     
                    隣の家の納屋の屋根から様子を伺うヒヨドリ

私がいる限りは近寄れないけど いったんここを離れたらアオちゃんはヒヨドリの餌食になるのは目に見えています。立ち上がって追い払うと どこかに飛んでいくけどすぐ戻って狙っています。

ヒヨドリに目を奪われていたら アオちゃんはのんびりと鉢の縁を もそもそと歩いてやってきました。

     

なんか正面から見ると 間抜けな顔でもあるし 絵本≪はらぺこあおむし≫みたいな迫力もあります。ここでなんとか襲われないように助けねば・・とヒヨドリがいない間に私は網を探し出してきました。

なんとか網の中にいれば ヒヨドリも手出しはできまい。。。ぬははは・・と私はほくそえんだのでした!

     

鉢の右上に 歩き出したアオちゃんが写っています。ここを何周回るのか、ユズの木に移って葉っぱの後ろとかに隠れてほしいのですが そういうことはしないようです。

この時は夕方で 夜のうちは安全だとおもい あまり深くかかわらないほうが無残な結果になって落ち込む自分もいやなのでこの状態のまま家に入ったのでした。

翌朝、早く見に行ったら アオちゃんはなんと網をよじ登っています。よじのぼってどうしたいのか私にはわかりませんが、まぁこれでヒヨドリの姿も見当たらないし一安心して過ごしていたのですが

お昼に見に行くと アオちゃんの姿はどこにもありません。網からどこかに行ったのか、鉢から降りたのか、良いほうに考えてはみるものの やはり心のどこかで「やっぱあのヒヨドリ・・」と思ってしまい

しばし落ち込む私

 無事にどこかに行きついて さなぎになって蝶々として飛んでくれたらいいんだけど・・・
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プロジェクト

2015-06-05 05:30:00 | 和歌山県
先日の 日本トルコ友好125周年記念行事は3日の洋上追悼式典はあいにくの雨のため大島のトルコ軍艦遭難慰霊碑前での追悼式典も急きょ 串本文化センターでの変更になったようで

町内放送でその旨放送されていました。2日の夜のトルコ・オスマン軍楽隊と海上自衛隊・呉音楽隊との演奏は圧巻だったみたいです。テレビニュースでの映像を観ただけですが

でも、なんで?会場に流れていた♪守るも攻めるも くろがねの~ って軍楽隊の指揮者のような人が棒のような 剣のようなものを振り上げているのを見て「これって軍歌ちゃうの?

やはりアベさんは戦争をしたいの?」と家族三人口にしたわけです。歌詞を詳しくはしらないけど、まぁ昔はパチンコ屋で流れていたようなもんでもあるし 景気づけと言われたら

そうなんや・・・と思うしかありません。

追悼式典が雨というのも エルトゥールル号が遭難したことを思うと海が荒れてしまうのもしかたないか・・・それくらい 風も吹いたし因縁というやぁそうかもしれません。

ただ、追悼式典が文化センターに変更になったけど一般の人が見学には入れないという放送でありました。どうやら洋上にしても遭難碑前での追悼式には前もって招待されていた方々しか

行けなかったということは 後で知ったのでした。まぁ 皇室から三笠宮彬子様が参列されているので警護の面もあったのかもしれません。そのせいか わかりませんが

わが地区に交番のミニパトが二度もパトロールしてきました。そのせいではないでしょうが、最近 空き巣やなんかの話も聞くのでパトロールはいいことです。

で、4日は午後から文化センターで≪トルコ料理関係イベント≫というのが開催される予定・・・だったそうです。が、これも当日に中止になりました!という放送があり、

「どうしたんやろ・・・」と思ったのですが。ちょうど役場に用事があって行くと駐車場に車を停められず 役場前のローソンに停めようとしたら隣の車のフロントガラスに

≪トルコ共和国議長≫という紙が貼られていてジロジロ見てたらあかん・・と思って思わず目を伏せてしまいました。運転手さんは日本人ですがね、ローソンでコーヒー買って飲んでましたし

車のナンバーは≪堺≫でしたがね・・・まだ、町内にトルコ関連の方々がおられるのだと、いったいいつまでするんだろう。このプロジェクト・・・。夜はまたもや文化センターで

記念シンポジウムで元NHK アナの平野啓子氏の講演と パネルディスカッションに出演女優の忽那汐里が出ると放送していました。映画『海難 1890』のPRなんですが

素朴な疑問(ワタクシの) キリのいい120年とか130年じゃいけなかったんでしょうか?125年って なんか中途半端な数字だし まぁ126年とか127年とかのほうが不自然で

あるけど 5年単位でイベントされても・・・友好にケチをつけるんじゃないけど、どこからか「やろうぜ!やろうぜ」という声もあるんだろうな・・・京都の時代祭のようにいっそ毎年

行われるようになるのかもしれないなぁ


   で、昨日のチラシに

      

今度は串本観光協会やダイバー協会が巨大トルコランプ制作プロジェクトを立ち上げたそうな・・・・巨大ランプを作って海中や串本駅構内に設置するそうです。トルコランプは綺麗です

が・・・海の中にあっては潜ってしかみられない、それがダイビングの町・串本と広く知ってもらおうという計画だって。映画の公開に合わせて公開を祝う横断幕とともにメディアに

取り上げてもらい海と映画をPRするそうです。ランプ制作は 保育所・幼稚園・小学校・老人会を対象にワークショップ形式で作り上げるそうです。

ワークショップって 言い方がワタクシはあまり好きではないんだけど、最近目にするのは 個人的な趣味やなんかを「こんな素敵なこと、やってまぁ~」みたいに言う。おいおい それで

人間としての生活基盤ができるのか?趣味は趣味でおいといて、ちゃんと働いて土地の商店で買い物して 生活をして 税金を払って町に、県に、国に寄与することはしないのか?

これから日本は高齢者時代になっていく、それを支えていく、その次の世代にも必要な財源を作っていくんじゃないの?それとも 働く人たちの税金から 自分たちの生活を支えてもらい

ながら 趣味で暮らしていくの?と思ったりするんだわ。まぁ 和歌山県は消滅する危機が高いのは なぜだか そういう人が増えていってるからだと思うの。田舎は 住みやすいって

なんか 楽しようって思われてる感じで、昔から土地に住んでいる者がとても住みにくくなってきているの。

     

ワークショップって 地域体験型とか活性化とかに向かうものだけど、どうも元の地域を崩して自分たちがしたいようなことができるように 自分たちの仲間を呼び寄せる傾向があるのじゃ

ないのかな・・と思うのです(あくまでもワタクシ的意見です)

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友好125周年

2015-06-01 05:30:00 | 和歌山県
       

先日 このようなチラシが新聞とともに配達されてきました。

最近では 県のチカラか町のチカラか まさか政府のチカラではないと思うのですが 串本町とトルコとの友好の史実が全国的に知れ渡るようになりました。

とはいえ この町で生まれ育ったワタクシはそんな歴史の話を小学生時代にも中学生時代にも高校生時代にも 学校で教え習った記憶はとんとございません。まぁ大島沖の海難事故だから

大島から少し離れた私の地区には 関係なかったのかもしれません。明治時代ですから 串本あげての海難者救助と乏しい食料援助はしたのかもしれませんが 親からもそんな話は伝え

聞いてはいません。それを100周年あたりから テレビで少しずつ取り上げられ そしてイラン・イラク戦争で 邦人脱出にトルコ共和国が飛行機を出してくれたのには この串本・大島沖での

軍艦エルトゥールル号事故での大島島民・串本町民(村民か?)へのお礼だったということで一気に全国的に知られるようになったわけで、まぁワタクシとしたらそれでじゅうぶんちがう?

と思っていたところ、血気盛んな町長さんが この美談の歴史をもっと知ってもらおうと 映画化しちゃいました!キャッ!!今年の秋くらいに公開されるそうです。

もし、全国のどこかの映画館で封切りされたら歴史を知るために観てください(内容はどうだか、私も観てないからどんなんだか知りません。公開を観て後悔しても私に料金の請求はしないで

ね(笑))

主演が内野聖陽、出演者に忽那汐里、竹中直人とかだそうです。監督がすごいですよ、≪火天の城≫や≪利休にたずねよ≫の田中光敏監督ですから。私は映画の題名は知っていても

すんごく難しそうで眠ってしまいそうなので観ていません。どちらも時代ものですよね。あ、今度も時代物だわ・・・ロケ撮影に町内の海岸を使い、地元の有志のかたも扮装して出たとか

ローカルニュースでやっていましたね。エキストラ募集の町内放送していたなぁ・・・銀幕に見たことある顔が映し出されるのか?

左のチラシのトップの写真の女性は 売り出し中の演歌歌手みたいなヘアスタイルですが 元NHKキャスターだった平野啓子さんです。顔より声を聴いたら 「あ、聞いたことある声」と

思われます。私も「誰やねん、このヒト!」と思ってたんですが この間NHKのローカルニュースでインタビュー受けていて(そりゃ辞めた会社からの出演依頼やもん)気がつきました。

 でも、私がブログを書き始めてトルコのこと記事にしたような気がするんだよなぁ~と思い、探したら5年前に友好120周年で上田正樹ライブを記事にしていました。

しかし、記念日好き、行事好き日本人の典型みたいな5年ごとのイベント・・・完全に興行化していきそうな気になるのはたぶん私だけかもしれませんが・・・。でも 皇室も関係していて

なんとかいう宮様のお嬢様もご参列なさるそうだ・・・それは 6月3日の洋上追悼式典(トルコ軍艦船上)と陸上追悼式典(トルコ軍艦遭難慰霊碑)での場だと思います。エルトゥールル

号は明治天皇に謁見のためはるばるやって来て、その帰りに遭難事故になったわけだからでしょう・・・。大島地区では事故後から遠い国の人たちの御霊を慰める慰霊を続けてきました。

 そのための とても寂しい感じの追悼歌も作られているし、大島小学校ではトルコ語の勉強をしたりしてるし 町も交換ホームスティを実施していました。最近は やはりイスラムの脅威か

町の財政難かで行ったとか、来たとか聞きません。そのかわりに 沈没したエル号からの遺品を海底から引き揚げ、トルコに返すような海中探索をやっています。そのチームのトルコ人の

教授一家が串本の町で生活してるのか たま~に見かけます。

       

トルコ・オスマン軍楽隊の来日公演も6月2日にあるそうです。イメージ・・・甲高い管楽器の音で始まるあれでしょうか・・・♪

実際に聞きに行ったことはないので・・・たぶん5年前にもやってきたと思います。スーパーの駐車場で国旗をもらって振った記憶が・・・・・・でも記事が無いから 夢だったのかも

しれません。

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