こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

ご要望で

2014-11-17 05:30:00 | 我が家
おじいちゃんがショートスティに出かけて、予定の半分が過ぎました。土曜日はやろうと思っていた道路わきの草をちょこっと刈りました。久々の草刈機を持つ手は緊張で力が入って、日曜の朝

は、痛かった。途中で強風が吹いて刈った草が川を越えて家のほうにまで飛んでいくさまはなぜか面白かった。そんなことでも面白いと思うのはいかに毎日が同じことの繰り返しで、変化がないか

らでしょうね。おじいちゃんが家にいる間は そばに誰かいないと大声で「お~い」と呼ぶのでいつまでもその声が耳について・・・というわけで、でも最近は適当に「今ごはん食べてるから、

ちょっと待ってね」とか実際用事をしてるんだから ごまかしでもないんだけど。ただ、おむつ交換とかしてパジャマを着せ終えた後で「背中がかゆい」とか言うと「それって交換の時に言って

くれん?」となるわけで、痩せていても男の体を右に左に態勢を変えるのは大変なことなんです。ある日、10月の末だったかおじいちゃんが何度もきょうは何日?と聞くのでカレンダーの裏に

日付を書いてベッドから見えるところに貼ってみました。そうすると「そうかぁきょうは10月28日なんや」と納得したのです。「おぉこれで少しは呼びつけるのも減るかな」と思ったら

「曜日も書いてくれな、次にショートスティに行く日がわからん」曜日など関係ないやん、日にちがわかっていたらと思ったんですが「はいはい曜日ね」とまた書き足すことに。それを見て

「次は平成なん年かも」って。そうそう「月は色を変えて書いてほしい。緑とか」ってなんでそこまでこだわるのか私にもわかりませんが、そう要望するので私も ベッドの横でぽかんと座って

時間が過ぎるのを待つのも退屈なので、緑色のマジックペンで月を書き、黒のマジックで日と曜日、平成26年と書きました。おじいちゃんはやっと満足したので今度は百均でホワイトボードを

買って日めくりカレンダーのように、朝目が覚めたらおじいちゃんの目に入るように夜中や早朝に書き換えることにしています。ただ水性と書かれているのに消せない緑色のマジックには焦ったわ

そうこうするうちに、おじいちゃんが「頭の中で同じ歌が流れてくるんや。何回も何回も。なんの歌か知らんか?」と尋ねてきました。「それはおじいちゃんの頭の中やから私には聞こえんわ。

歌詞のどこかでも覚えてない?」と聞くと「空にはキラキラ金のほしぃ~」といきなり大声で歌い出したので少しおかしくなって「それって夕焼け小焼けの歌やろ」と夕焼け小焼けを歌ってみたら

私もそんな童謡?唱歌?を子供が小さいとき以来歌ってないから≪キラキラ金のほしぃ~≫の部分が出てきません。どうやらその歌詞は二番の歌詞だと思いだし、二人で夕焼け小焼けを朝の時間帯

に歌ったわけです。おじいちゃんが大声で歌い出した時におばあちゃんが血相を変えて引き戸を開けて「どうしたんや!」と飛び込んできました。いきなり大声が聞こえたので何事か起きたんだと

思ったそうで、事情をきいて「ほんまにびっくりしたわ」と台所に戻って行ったくらいの、大声だったんです(笑)

おじいちゃんは夕焼け小焼けの歌詞もカレンダーの横に貼ってくれ、できればテープに吹き込んで何回も聞けるようにしてくれとまで言います。なのでご要望にお応えして


              11月11日は介護の日です

いい日、いい日 で介護の日って ヘルパーさんが持ってきたポケットティッシュに書かれていました。介護がいい日ってことはないような気もするけど・・・当て字なだけね。


                 夕焼け小焼け

こうして書いたらおじいちゃんが「カラス」の「カ」が「ク」に見えるというから 字が下手でごめんなさいよ・・と凹さんがまた文句を言いながら太字にしたわけで納得したのかどうかわかりま

せんが、ときたま読み上げたり歌ったりしています。でもなんで夕焼け小焼けなんだろ・・・とおばあちゃんに聞くと「小さいときに守りさんが歌ってくれたのかもしれない」といいます。

そんなものかと思ったんですが この間おばあちゃんの妹、叔母さんが来たときにこの歌詞を見て「わたしが小さいときに、遊んでくれた人が「とんび」の歌を歌うんや。歌詞の「な~けな~け

と~んび」というところで私が泣くので面白がって何回も歌うんや、それを覚えているわ」と言います。昔は朗らか、明るい歌は少なかったのかもしれません。そうだなぁ夜なべで手袋を編んだ

・・・泣けてくるくらい暗い歌詞でメロディだわ!おじいちゃんにとって どんな思い出につながっているのかわかりませんが、お葬式でも流してくれるかできれば参列の皆さんにも歌って見送っ

てもらいたいとまで言うのです。ハイハイ、わかりましたとしか返事はできませんが、10年ほど前には「葬式には自分がカラオケで歌った歌をお経の代わりに流したい」と言っていたんですが。

なかなかご要望が多くなりそうです。
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晩秋で

2014-11-14 05:30:00 | 花・植物など
なにやら昨日から一気に温度が下がりましたね。北海道では吹雪くほどの寒気だとか・・・

ブログの更新もだいぶ間があきました。おじいちゃんもショートスティに行ってつかの間の息抜きですが 家にいればいたらで何もできず、いなくてもやることはいろいろあって息抜きともいえ

ません。まるで うちの壊れた二槽式洗濯機の脱水槽のようにタイマーがバカになって蓋を開けなければ延々とずっと永遠に回っているみたい、そんな状態だねと笑ったんだけど。知らない間に

季節は猛スピードで11月の中旬となりました。


                  千歯扱き(せんばこき)

10月末のショートに行っている間に おばあちゃんと三尾川に行った時の一枚。おじさんが新米から来年用に種もみを採っているところ。昔はこうやって種もみやもちろん新米を稲束から

千歯からすきとっていて、その後足踏み式脱穀機になり徐々に機械化されていったのです。私が小さいころは足踏み式でしたね。


                   シイの実

お墓の掃除にも行きました。前日の雨風でシイがお墓にわんさか落ちていました。今年はこのあたりの山のなりものは豊作だったのかシイがよく落ちていて車でつぶされて白い粉が道に残って

いるのを見かけました。シイにも丸いものと長いものがあって それも子供の時に山に遊びに行って拾って歯で割って食べたりもしましたが、それでおなかいっぱいになることはなくて

家に持ち帰り炭火で炒ってもらって香ばしいのを食べたのが記憶にあります。おばあちゃんも懐かしがって拾って帰って炒ったようですが「なにも墓場のシイを拾って食べなくても」と言ったんで

すがねぇ。


                    ツワブキとアサギマダラ

今の季節、山の斜面に黄色い花が咲き乱れています。つやつやした葉に黄色い花は 花が少ない今、鮮やかですがよく見たらアサギマダラという蝶々が止まっています。アサギマダラは

蝶愛好家の間で採集されては 場所や日付けを記入されて放たれるそうです。そうやってどこからどこまで飛んでいくのか 台湾のほうから飛んでくるのもあるんだって。羽に記入するけど

飛行にはあまり影響はないとか。私もこのアサギマダラが記入されたものか見ようとしたけど、近寄ると飛んでいくのでズームでしか写せませんでした。まぁ、捕まえても文字を書く勇気はないけ

どね。


                     リンドウ

これは庭に植えているリンドウ。おばあちゃんたちは≪タヌキのしょんべんかご≫と呼んだそうで、三尾川のおじさんもそう呼んだというので、それはそれで三尾川での呼び名だと思います。

「こんな可愛いい花なのにそんな名前がつくのは臭いからや」とおばあちゃんは匂いを嗅いでみたけど「匂いはせん!」と言っていました。昔の山にはこのリンドウが連なって咲いていたんだ

そうです。山に道がついて車が走ると消滅していったようです。


                     ワタの実

おばあちゃんが栽培していたワタ、大きくなっていよいよドライフラワーにするため切って吊り下げることに。家の物置にぶら下げています。どれくらい時間がかかるのかわかりませんが、

これから空気が乾燥してくると自然と開いて中から真っ白なワタが出てきます。生えているときに開いてしまい雨に打たれると しゅんと水けを含んでしまい茶色くなってしまうのでなかなか

手のかかるもので、この間の台風の雨の時には雨よけにタイヘンでした。


                       ワタ

ワタの種はこのワタの中に潜んでいるんだって。おばあちゃん、来年も作るのかな・・・おもしろそうやん。。。
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ヤバいな

2014-11-04 05:30:00 | 和歌山県
     

写真は先月行われた大災害に備えた訓練の一部です。串本町潮岬にオスプレイがやってくると、3000人近い人が岬に出向いているときに古座地区の動鳴気漁港(どめきと読むらしい)で

行われていたらしい。オスプレイが来なければ、これはこれで一番の見ものであったかもしれません。当日は有田漁港でも なにやら町内一の土建屋さんが自衛隊の指示に従って 土砂を盛り上げ

たりしていたらしく、国道が隣り合わせであるにもかかわらず見物・見学の人はまばらでみな横目で見ながら潮岬に一目散という状況であったらしい。

大津波に流されて、ぽっかりと家が浮かんでいるのだろうか・・・と思うけど。東日本大震災でも瓦礫につかまったり、海外でも瓦礫の上に犬が乗って漂流していたのを記憶にしているので

家の形で浮いているのは、まぁそんなにないかもしれない。屋根の上にまたがって・・というのは奥尻沖の地震の時に聞いたけれど。我が家は 家が古すぎて耐震化するにはすっごくお金が

かかりそうなので、耐震検査も受けてはいません。潰れるときは潰れるときやなぁ・・・みたいな、他人事みたいな気でおりました。

そうしたら、県がとんでもない試算を発表したので「オヨヨ!」と古臭い驚きをしてしまいました。

東海・東南海・南海3連動地震で約1万9千人、南海トラフ巨大地震で約9万人の死者が出るとする被害想定を発表したのです。それでも私は 多めの発表かな・・くらいでしたのに、

     

町内全域が4分から19分で1センチの津波を観測し、その後バカでかい津波が何度も襲ってくるということで。いきなり最大18メートルや13メートルの大津波が来るのではなく徐々に

波高が高くなってくるということなのだ。それでも津波が来ることを想定し、1分でも早く1メートルでも高い場所を目指すことなのです。熊野新聞によると、どうやら県は昨年国が想定した人的

被害よりも 県が実施した津波浸水想定が大きいため大きく報道されることになったみたい。

     

そして、この表を見て私も「う~ん・・・南海トラフで串本町死者数8200人死者率45.1%・・・」これは 私、当たりそう・・・こういうよろしくないものに 運悪くあたってしまう

そんな気がしたのです。もっと宝くじとか当たればいいのに、こういうものにきっと当たるんだろうなぁという予感が。町民はだいたい9月末で17800人。え!町民が半分になってしまう

のかぁ・・・というのは海抜50メートルの潮岬となんたん台の人が生き残るのか!・・・想定では我が家の近くまで津波が来ないことになってはいるものの、家が・・家がつぶれて下敷きで

死者となるのか・・・。まぁ 今の状況でおじいちゃんの介護部屋だと屋根も軽く比較的骨組みも新しい・・一安心だぁと喜んだのもつかの間「そんな巨大地震だと裏の山が崩れてきたら

山津波みたいに流されて土砂まみれやんか・・・」これは苦しい。泳ぐのが苦手な凹さんは水攻めも苦しいが、生き埋めも苦しいよぅ・・・。そうなりゃ、もう一貫の終わりだと腹をくくって

、え~でもこげも逃がしてあげたいし・・・といろいろ思っていたら、11月1日に町の避難訓練が行われるってチラシが入りました。でも当日は朝から雨で、どうなったのかわかりません。

那智勝浦町では雨でも訓練やったらしく、ニュースになっていたけど串本町は観なかったなぁ。もしかしたら 近々起こるのかもしれない、最近町内放送のスピーカーを新しくしているもん、

と思っていたら、広報に11月28日午前11時ごろ≪防災行政無線を用いた全国一斉の緊急情報の伝達訓練≫が行われ、防災行政無線の試験放送が流されるんだって。

「これは、テストです。」×3回

+「こちらは、ぼうさいくしもとです。」

+防災行政無線チャイム

Jアラート(全国瞬時警報システム)を通じてというけれど、緊急放送ってことで携帯もピコピコと鳴るんでしょうか・・・

     
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十一月です

2014-11-02 05:30:00 | 我が家
あっという間に10月が過ぎ去っていきました。ブログの更新も休み休みになりこのままだと ぼんくらさんを叱咤激励したことがとても恥ずかしくなってきたよなぁ・・・という思いが、頭の中を

駆け巡り、どうにも落ち着きません。

いま、おじいちゃんはショートスティに行ってくれています。行ってもらうと本当に私たちは 気持ちも体もホッとするのです。そういうと 「なんて薄情な」とか「家で看るって言っていたのに」

とかまぁ思うかもしれないけど、実際私もこんなだとはちょっと想像以上でしたね。自宅に戻って三か月、ヘルパーさんに朝昼夕食を食べさせてもらい、身ぎれいにしてもらい本当に、私たちも

そばで介護の仕方ということの、ほんのスタート地点に立っただけで もっと長期自宅で介護している人からすればなにをあまちゃんな・・・と言われるだろうけど。

 介護される人間の性格や、今までの人生観が大きく介護生活にかかわってくるものだと痛感しています。まったくおじいちゃんは自分の体の状態がわかっているのに、元気な時と同じように私たち

家族を支配し、なんでもかんでも自分の采配通りに動かせようとするので腹も立ちます。思い出したように「凹が家におったからこそやなぁ」とか「すまんなぁ」とは言ってくれるけど、そんなのは

私にはとても嘘っぽく聞こえてしまいます。そして「それなら夜中に何度も起こすのはやめてよ」と言ってしまいます。そういった後で「言わんでもいいこと言ったかな」と思うけど、何度も

30分おきに「眠り薬がほしいよぉ」「背中がかゆい」「左ひじが痛い」「左足の外側がだるい」と要求が二転三転と変わり訴えてくると、私もそれが連日のことだと頭にツノもはえてきますわ。

10月末には ヘルパーさんが来るまでに食事ができないのか?と言いだしヘルパーさんに相談すると食事介助を家族さんがしてくれたら私たちはほかにすることはないですね・・血圧や熱を測って

も記録用紙に書き込むだけで、体の状態は目で見てわかることが多いしねと言われました。退院してから食事だけが心配の種で、その頃は嚥下がうまくできないような状態だったので、家では

ちょっと怖いなぁ・・と思っていたんだけど、どうも家に帰ってからはヘルパーさんとデイサービスやショートスティでお世話になる職員さんのおかげで飲み込みもスムーズにでき、とろみ調整材で

飲んでいた水分も らく飲みでとろみ無しで飲めるようになった。ヘルパーさんやケアマネさんは 「帰ってきたときからするとだいぶ良くなった」というけど 私はおじいちゃんが良くなったのは

薬が代わってからじゃないかと。病院で出されていたのは 漢方で気持ちを静めるもの、つまりおじいちゃんは自分が要介護5だとはわからず ベッドの柵を乗り越えたり柵を外したり、大声を

出し、昼夜逆転しているのも理解できない様態だったから 薬がうまく効いてなかったんでしょう。看護師長さんは合う薬を出しています・・と言っていたけど、今思えば効かずに騒ぐばっかりの

薬だったんだと思う。自宅に戻って薬を替えてから、昼夜逆転もなくなり 大声もトーンダウンした。頭のほうは 最近冴えわたってきたように思う。忘れてしまったことは多いけど、やけに細かい

ことを言ったり・・・。認知症の部分が軽くなったような・・そんな気がします。なので一旦ヘルパーさんを解約することにしました。なんとか、これから家族でやっていきながら ショートス

ティやデイサービスを利用していこうと。でもそれから先は闇のような・・・まずは三か月をクリアしようじゃないかと・・・。でもよく考えてもしんどいことだけどね。ケアマネさんだって

心配してくれてるし、「割り切っていいんですよ、施設入所を引け目に感じることはないんですよ、家族さんが倒れたらおとうさんが一番辛いんですから、」と言ってくれるのがよりどころです



  ある日、庭先で真っ黒いヘビが・・・。たまたま デイサービスに出かけるときのことで施設からの車に乗り込むときに付き添いの職員さんがビックリしていました。

いやぁ裏に山があると ヘビなどは驚くこともないんだけど色が黒かったのでカメラで写しにかかったところ、その体が異常にギバギバというか ゴツゴツというか骨ばっています。ヘビにも骨がある

から 不思議でもないけど・・・

    

おばあちゃんをよんでみたところ「こりゃぁ怒ってるな」と言います。怒ってるって何に怒るのか、ヘビにケンカを売ってもないし・・・と見ていると、ブラインドがひっくり返るようにサッと体の表

面が変わりました。

    

あれぇ さっきのゴツゴツなどなかったことみたいにきれいな体になっています。ヘビって気色の悪い生き物だわ・・・このヘビ、舌も真っ黒だった! ~>゜)~~~←ヘビって打つと現れる字。



その話をおじいちゃんに話した数日後、何を思ったのか「屋敷内でヘビを殺したらあかんってこの家のならわしだから、覚えておくように」とベッドから呻きながら言いだした。ヘルパーさんと二人で

「どこの家でも家でヘビは殺さんやろ」と言い「それでもハビはどうなんよ、それも殺さんわけ?」と聞くと「まえにハビが出たけど火箸で挟んで 川に流してやった」と・・・そりゃまぁ下流の人も

困るやん、と思ったけど ヘルパーさんも「あぁうちもヘビを川に持っていったけど また戻ってくるらしいね。執念深いってことやね」おじいちゃんは「とにかく ヘビは屋敷内で殺したらあかん

ということや。今急に思い出したことや」と言ったんだけど・・・私は 長い棒きれで外に出ていってもらうよう仕向けるわ。
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