さて、いよいよ体育大会が始まりました。
入場行進も、開会式の隊形移動も、全校を4つのブロックに分けて
ブロックごとに行われる応援合戦も、ちびくまはややあやしい動きは
あるものの、きちんと周りに合わせて動こうとしていました。
知らない人が見たら、少しテンポのずれている子、という感じでしょうか。
やや緊張気味ではあるものの、ビデオカメラの望遠レンズ越しに見る
ちびくまは、微笑を含んだいい顔をしていました。
じっと立っているだけでも汗が噴き出してくるような猛暑の中、最初から
最後まで中学のグラウンドにいることは、私の病状を考えるとできません。
また、小学校とは違って、お昼ごはんも生徒たちは教室で親とは別に
食べることになっています。
そこで、開会式と最初のラジオ体操が終わったところで一度家に帰って
横になり、昼食後、ちびくまが出るムカデ競走と大縄跳びに間に合うように
再度出かけていくことにしました。
グラウンドに着くと、ちょうど1年生のムカデ競走が始まるところでした。
ちびくまは、先生から聞いていたとおり、足をしばらず、誘導の先生と一緒に
タイミングを取るための笛を吹きながらムカデ隊(?)と
一緒にコースを走っていました。
そして、クラス対抗の大縄とびのほうは、これも先生から聞いていたとおり、
縄から少しだけはずれたところで、跳んでいるみんなと一緒に掛け声を
かけながらジャンプする、という方法をとっていました。
でも、ちびくまの足はほとんど地面から離れていません。縄の中に
入っていたら全然だめだったでしょう。
入退場と整列、応援はクラスメートと一緒。
ちびくまにすれば、「交流級の一員」としての参加はできるけれど、
みんなに気をつかってもらったり、みんなの足を引っ張ったりは
しなくてすむのです。そのせいか、ちびくまは真剣だけれど
柔らかい表情で、ときおり満面の笑顔も見せていました。
人によっては、「障碍のある子にも同じことができるように
種目自体を変えるべき」とか、「障碍のある子にも全く同じように
参加させて、それで不利になることは周りの子が我慢するべき」と
いう意見もあるかもしれません。
でも、私個人としては、息子自身にどうしてもみんなと「同じ」で
なければ、という強い思いがあるなら(そんな風に思わなければ
ならないような育て方はしなかったつもりですが)ともかく、
「みんな一緒」の「外見」だけを整えるために、周りの子にも
障碍のある本人にも「我慢」をさせることは、本当に自分と他人の
「違いを認め合う」ことにはつながらないのではないかと考えています。
しかも、今回のこの工夫は、ちびくまが「障碍児学級在籍の子だから」
という理由で一律そうなったわけではなくて、ちびくま個人が
「特訓してなんとかなるというレベルの運動能力ではなく、本人も
みんなのようにはできないことに気が付いていて、しかもそのことを
気にするタイプの子だから」、という理由で考えてもらったことで、
同じように障碍児学級に在籍していても、他のお子さんについては
各々の能力と性格を考えて、それぞれ違った対応が考えられて
いたことを、とても嬉しいと思いました。
私は発達障碍には個別対応が基本、と考えていますが、必ずしも
「マンツーマンで人がつく」ことが個別対応とは限らない、
「マンツーマンではない個別対応」というものもあるんだなあ、
逆に言えば「マンツーマンである」という外見に安心して
実は個別対応になっていないこともあるのではないか、と
この学校に息子を入学させてから考えるようになりました。
閉会式が終わったとたん、待っていたように通り雨が振り出しました。
傘を持っていないちびくまが帰り方を心配するかもしれない、と
私は障級の教室で彼を待つことにしました。
生徒観覧席を作るためにグラウンドに持ってでていた自分の椅子を
抱えて教室に帰ってきたちびくまは、私の顔を見るなり、
ニヤリと笑って、「体育大会、ぼくはとても頑張りました!」と
宣言しました。
暑さと大声に極端に弱く、運動が大嫌いなちびくまにとっては
本当に「頑張りぬいた」行事であったことでしょう。
そして、先生方や周りのクラスメートたちの様々な理解や支援によって
「自分なりの精一杯」を尊重された経験は、またひとつ、
彼にとっての大きな財産になったのではないかと思います。
入場行進も、開会式の隊形移動も、全校を4つのブロックに分けて
ブロックごとに行われる応援合戦も、ちびくまはややあやしい動きは
あるものの、きちんと周りに合わせて動こうとしていました。
知らない人が見たら、少しテンポのずれている子、という感じでしょうか。
やや緊張気味ではあるものの、ビデオカメラの望遠レンズ越しに見る
ちびくまは、微笑を含んだいい顔をしていました。
じっと立っているだけでも汗が噴き出してくるような猛暑の中、最初から
最後まで中学のグラウンドにいることは、私の病状を考えるとできません。
また、小学校とは違って、お昼ごはんも生徒たちは教室で親とは別に
食べることになっています。
そこで、開会式と最初のラジオ体操が終わったところで一度家に帰って
横になり、昼食後、ちびくまが出るムカデ競走と大縄跳びに間に合うように
再度出かけていくことにしました。
グラウンドに着くと、ちょうど1年生のムカデ競走が始まるところでした。
ちびくまは、先生から聞いていたとおり、足をしばらず、誘導の先生と一緒に
タイミングを取るための笛を吹きながらムカデ隊(?)と
一緒にコースを走っていました。
そして、クラス対抗の大縄とびのほうは、これも先生から聞いていたとおり、
縄から少しだけはずれたところで、跳んでいるみんなと一緒に掛け声を
かけながらジャンプする、という方法をとっていました。
でも、ちびくまの足はほとんど地面から離れていません。縄の中に
入っていたら全然だめだったでしょう。
入退場と整列、応援はクラスメートと一緒。
ちびくまにすれば、「交流級の一員」としての参加はできるけれど、
みんなに気をつかってもらったり、みんなの足を引っ張ったりは
しなくてすむのです。そのせいか、ちびくまは真剣だけれど
柔らかい表情で、ときおり満面の笑顔も見せていました。
人によっては、「障碍のある子にも同じことができるように
種目自体を変えるべき」とか、「障碍のある子にも全く同じように
参加させて、それで不利になることは周りの子が我慢するべき」と
いう意見もあるかもしれません。
でも、私個人としては、息子自身にどうしてもみんなと「同じ」で
なければ、という強い思いがあるなら(そんな風に思わなければ
ならないような育て方はしなかったつもりですが)ともかく、
「みんな一緒」の「外見」だけを整えるために、周りの子にも
障碍のある本人にも「我慢」をさせることは、本当に自分と他人の
「違いを認め合う」ことにはつながらないのではないかと考えています。
しかも、今回のこの工夫は、ちびくまが「障碍児学級在籍の子だから」
という理由で一律そうなったわけではなくて、ちびくま個人が
「特訓してなんとかなるというレベルの運動能力ではなく、本人も
みんなのようにはできないことに気が付いていて、しかもそのことを
気にするタイプの子だから」、という理由で考えてもらったことで、
同じように障碍児学級に在籍していても、他のお子さんについては
各々の能力と性格を考えて、それぞれ違った対応が考えられて
いたことを、とても嬉しいと思いました。
私は発達障碍には個別対応が基本、と考えていますが、必ずしも
「マンツーマンで人がつく」ことが個別対応とは限らない、
「マンツーマンではない個別対応」というものもあるんだなあ、
逆に言えば「マンツーマンである」という外見に安心して
実は個別対応になっていないこともあるのではないか、と
この学校に息子を入学させてから考えるようになりました。
閉会式が終わったとたん、待っていたように通り雨が振り出しました。
傘を持っていないちびくまが帰り方を心配するかもしれない、と
私は障級の教室で彼を待つことにしました。
生徒観覧席を作るためにグラウンドに持ってでていた自分の椅子を
抱えて教室に帰ってきたちびくまは、私の顔を見るなり、
ニヤリと笑って、「体育大会、ぼくはとても頑張りました!」と
宣言しました。
暑さと大声に極端に弱く、運動が大嫌いなちびくまにとっては
本当に「頑張りぬいた」行事であったことでしょう。
そして、先生方や周りのクラスメートたちの様々な理解や支援によって
「自分なりの精一杯」を尊重された経験は、またひとつ、
彼にとっての大きな財産になったのではないかと思います。