これまで、アメリカの養護幼稚園、日本の障碍児通園施設、
障碍児教育センター校、と、いわば「障碍児教育の王道」を
歩んできたちびくまですが、この春から地域の中学校の
障級に通うことになりました。
これまで、小学校センター校を卒業した先輩たちは
中学校センター校か県立養護学校に進学しています。
私もずっとそのつもりで、低学年の頃から何度も見学会や
オープンスクールに足を運んできました。ところが困ったことに、
小学校入学を決めた時のように「よし、ここだ!」と思えない。
なんだか決め手がないのです。
そんなところへ回って来たのが、地元中学校の「オープン
スクールのお知らせ」の回覧板。でも実は、私はこの中学校を
進学先の候補にする気は全くありませんでした。
ここは伝統的に進学熱が高く、クラブ活動も熱心で高い
成績をおさめていますが、それだけにその波に乗れない子には
居づらい所だったのか、数年前まで酷く荒れたグループが
いることでも有名でした。また、丁度その頃、地元の小学校
障碍児学級を卒業予定のお子さんが進学のために見学を
申し込んだら、「うちには障碍児は要らないから」と
けんもほろろに断られた、という話も耳に入っていました。
「こんな子ですが、ここにおいて下さい」と頭を下げる事は
絶対にしない、それは私が息子のためにどうしても譲ることの
できないプライドです。だから、息子を喜んで迎えてくれない
学校と縁ができることはないはず、でも一度くらい実際に
足を運んで見ておこうか、そう思って出かけて行ったのが、
ちびくま4年生3学期のことでした。
障碍児教育センター校、と、いわば「障碍児教育の王道」を
歩んできたちびくまですが、この春から地域の中学校の
障級に通うことになりました。
これまで、小学校センター校を卒業した先輩たちは
中学校センター校か県立養護学校に進学しています。
私もずっとそのつもりで、低学年の頃から何度も見学会や
オープンスクールに足を運んできました。ところが困ったことに、
小学校入学を決めた時のように「よし、ここだ!」と思えない。
なんだか決め手がないのです。
そんなところへ回って来たのが、地元中学校の「オープン
スクールのお知らせ」の回覧板。でも実は、私はこの中学校を
進学先の候補にする気は全くありませんでした。
ここは伝統的に進学熱が高く、クラブ活動も熱心で高い
成績をおさめていますが、それだけにその波に乗れない子には
居づらい所だったのか、数年前まで酷く荒れたグループが
いることでも有名でした。また、丁度その頃、地元の小学校
障碍児学級を卒業予定のお子さんが進学のために見学を
申し込んだら、「うちには障碍児は要らないから」と
けんもほろろに断られた、という話も耳に入っていました。
「こんな子ですが、ここにおいて下さい」と頭を下げる事は
絶対にしない、それは私が息子のためにどうしても譲ることの
できないプライドです。だから、息子を喜んで迎えてくれない
学校と縁ができることはないはず、でも一度くらい実際に
足を運んで見ておこうか、そう思って出かけて行ったのが、
ちびくま4年生3学期のことでした。