雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

自然学校の成果。

2005年07月04日 | 楽しい学校生活
自然学校に行ってから息子が変わったところ。

1.学校で毎日昼休み、トイレでおしっこができるようになった。

  これまで、朝家を出てから、帰ってくるまで、ずっと我慢していたわけですから、
  1回でも学校で出せるようになったのは、とても大きいです。

2.お風呂の時、シャンプーハットが要らなくなった。

  お風呂のときは絶対顔がぬれるのがダメだけど、プールでなら全然平気で
  わざとシャワーとか噴水とかを頭からかぶってるので、大丈夫なんじゃないかとは
  思ってたんですけどね。
  障担とのお風呂で、シャンプーハットなしに挑戦してもらったら、
  帰宅後もシャンプーハットなしで洗髪できるようになりました。

まあ、眼に見える成果はこんなところです。
毎年、上級生のお子さんたちが、自然学校に行くと
一皮むけて帰ってきたような気がしてたんですが、
うちの息子も成長しましたね。

やはり、かわいい子には旅をさせよ、なのかしら。

子どもを「障碍児扱いする」こと。

2005年07月03日 | 「発達障碍」を見つめる眼
とある場所で、学校の先生を目指している大学生さんと
お会いする機会があったので、
「特に養護学校とか、障碍児学級の担任をするわけではなくても
 これからは普通学級の担任にも、『発達障碍』についての
 知識はとても大切になってきますよ。だって、これまで
 障碍があるのに何もしてもらえなかった子のほとんどは
 普通学級にいるんです」
という話をしました。

すると、こういう質問が出たんです。
「教育実習で担当したクラスに、とても多動な子がいたんです。
 それで、『なにか診断のついているお子さんなんでしょうか』と
 先生に質問したら、『子どもをそういう目で見るのは良くないね』と
 叱られたのですが」

「障碍」は良くないこと。
「障碍児」は本来普通学級にいてはいけない存在。
「障碍児」は「定型発達(健常)児」より劣った存在。
「障碍児学級」は「普通学級」より劣った存在。
「養護学校」は「普通学校」より劣った存在。

意識的・無意識的を問わず、そういう思いがある人には
(昔の私もそうだったのでよくわかるのですが)

例えば、その子どもに「障碍」があるのではないか、と考えること、
その子には「障碍児学級」の方が向いているのではないか、と考えること、
その子には「養護学校」という選択もあるのではないか、と考えること

こうしたことが全て「悪いこと」「失礼なこと」になってしまうようです。

でも、例えば、視力が弱いために黒板の字が見えない子に
「頑張る気もちが足りないから見えないんだ」
「親が甘やかすから見えないんだ」
と責めたり叱ったりすることにはまったく意味がないばかりか
その子の気持ちを踏みにじる行為であるのと同じように、

自分の努力だけでは「暗黙の了解」を察したり、
「落ち着いて行動する」ことができなかったりする子どもに
「頑張る気持ちがないからできないんだ」
「親が甘やかすからできないんだ」
と責めたり叱ったりすることにもまったく意味がないばかりか
その子の気持ちを踏みにじる行為になってしまっている可能性があること、

さらにそういう場合、先生の側が少し配慮したり工夫したりすることで
その子の学校生活を楽にしてやれる可能性があることとその方法を

教師として知っておかれることは、何の害にもならないはずですよね。

…というお話をしました。
これは、子を持つ親にも全く同じことが言えると思うのですが。