あまりに長くご無沙汰したため、体調をご心配いただいている
むきもあるかもしれませんが、私も息子も元気にしております。
この春、私は退院後丸4年間お世話になった杖に
ついにお別れを言うことができ、ようやく補助具なしで
歩けるようになりました。
異常に疲れやすい、とか、気温や気圧の急変がちょっと
考えられないくらい体にこたえる、とか、体のあちこちが
(足の小指とか、二の腕の外側とか)なんの脈絡もなく
ピクピク動く(れん縮、というらしいです)とか
様々な症状は残っているものの、最低限の投薬で
安定を保てています。
息子は、中学卒業後、たったの1センチも身長が伸びないまま、
高等部の2年生になりました。
「キミの思春期とか、反抗期とかはどこへ行ったの?」と
問いたいほど、あいかわらず甘えん坊で、繊細で、従順で、
いつも笑顔で、動きがたまらなくアヤシイ自閉青年に育っております。
この1年と少しで彼が大きく変わったのは、とてもいろんなことに
自信を持って取り組むようになった、ということでしょうか。
そもそものきっかけは、昨年12月の誕生会に、初めて大勢の
人の前で、英語の歌を披露したことのようなのですが、
それ以来、何かにつけて、
「僕は高等部のお兄さんだから」
「僕は自力登校生なんだから」
「僕は字を書くのが得意だから」
「僕は英語が得意だから」
と、「自分には~できる」という意識を口に出すようになりました。
幼児期から、何事にも自信が持てず、くじけやすい彼のために、
ただただ安心感と達成感、自己有能感を育てるべく
心を砕いてきた母が拍子抜けするほど、今の彼は
生き生きと積極的に学校生活を送っています。
授業中の先生の質問や話し合いの席で「はい!はい!」と大きな声で
手を挙げてアピールするなんて、中学時代までの彼を知る
先生方には、びっくりするような光景かも。
理解があり、熱心で、彼の気持ちに寄り添ってくれる担任や、
彼のありのままを暖かく受け入れ、かばったり助けてくれたりした
やさしいクラスメートたちに囲まれていてさえ、
彼の能力が、標準的なそれとは言えない学校に行かせることで
「自分は常に100%頑張らなければついていけない」
「自分はどんなに頑張ってもみんなのようにはできない」と
つらい思いや悲しい思いを知らぬうちにさせていたのかも
しれないなあ、と
少し胸の痛む思いもしています。
恵まれた人間関係を引き寄せる力の強い息子、
今のクラスメートたちも、「よくもまあ、こんな子ばかり」と
感心するほど、みんなが揃って穏やかで、他人の良いところを
素直に認め、弱いところを助け合う、笑顔の絶えない、
気持ちの優しい、いい子ばかりです。
中学時代とはうって変わって、担任の先生と毎日
交換日記のように連絡帳を書きまくり合う、とか、
毎日のように電話で情報交換するとか、がなくなって
やや見えにくくなった感のある学校生活ですが
また折に触れて、皆様にご報告できればと思っています。
むきもあるかもしれませんが、私も息子も元気にしております。
この春、私は退院後丸4年間お世話になった杖に
ついにお別れを言うことができ、ようやく補助具なしで
歩けるようになりました。
異常に疲れやすい、とか、気温や気圧の急変がちょっと
考えられないくらい体にこたえる、とか、体のあちこちが
(足の小指とか、二の腕の外側とか)なんの脈絡もなく
ピクピク動く(れん縮、というらしいです)とか
様々な症状は残っているものの、最低限の投薬で
安定を保てています。
息子は、中学卒業後、たったの1センチも身長が伸びないまま、
高等部の2年生になりました。
「キミの思春期とか、反抗期とかはどこへ行ったの?」と
問いたいほど、あいかわらず甘えん坊で、繊細で、従順で、
いつも笑顔で、動きがたまらなくアヤシイ自閉青年に育っております。
この1年と少しで彼が大きく変わったのは、とてもいろんなことに
自信を持って取り組むようになった、ということでしょうか。
そもそものきっかけは、昨年12月の誕生会に、初めて大勢の
人の前で、英語の歌を披露したことのようなのですが、
それ以来、何かにつけて、
「僕は高等部のお兄さんだから」
「僕は自力登校生なんだから」
「僕は字を書くのが得意だから」
「僕は英語が得意だから」
と、「自分には~できる」という意識を口に出すようになりました。
幼児期から、何事にも自信が持てず、くじけやすい彼のために、
ただただ安心感と達成感、自己有能感を育てるべく
心を砕いてきた母が拍子抜けするほど、今の彼は
生き生きと積極的に学校生活を送っています。
授業中の先生の質問や話し合いの席で「はい!はい!」と大きな声で
手を挙げてアピールするなんて、中学時代までの彼を知る
先生方には、びっくりするような光景かも。
理解があり、熱心で、彼の気持ちに寄り添ってくれる担任や、
彼のありのままを暖かく受け入れ、かばったり助けてくれたりした
やさしいクラスメートたちに囲まれていてさえ、
彼の能力が、標準的なそれとは言えない学校に行かせることで
「自分は常に100%頑張らなければついていけない」
「自分はどんなに頑張ってもみんなのようにはできない」と
つらい思いや悲しい思いを知らぬうちにさせていたのかも
しれないなあ、と
少し胸の痛む思いもしています。
恵まれた人間関係を引き寄せる力の強い息子、
今のクラスメートたちも、「よくもまあ、こんな子ばかり」と
感心するほど、みんなが揃って穏やかで、他人の良いところを
素直に認め、弱いところを助け合う、笑顔の絶えない、
気持ちの優しい、いい子ばかりです。
中学時代とはうって変わって、担任の先生と毎日
交換日記のように連絡帳を書きまくり合う、とか、
毎日のように電話で情報交換するとか、がなくなって
やや見えにくくなった感のある学校生活ですが
また折に触れて、皆様にご報告できればと思っています。