雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

初心忘るるべからず(その3)

2007年09月13日 | 「発達障碍」を見つめる眼
ちびくまのように、文字の読み書きと日常会話ができて、
視覚認知の力と聴覚認知の力に特に大きな差がない場合、
普段の生活では大げさな視覚支援を考えなくても口頭での説明や
文字での提示、あるいはその両方を併用することで済んでしまいます。

息子の場合、とまどっている様子があれば、周りの先生や
クラスメートたちも親切に教えてくれる恵まれた環境なので
彼の困り感が大きな問題として目立つ場面はあまりありません。

でも、自閉っ子に多く見られる、「周りの人が言った言葉を暗記して
場面にあわせてしゃべっている」子どもたちにとって、
「しゃべれる」ということは「自分の言っていることが全てわかっている」と
いうことを意味しないし、もちろん「人の言うことが全て理解できる」
わけでもありません。

それはちょうど、私たちが外国語の会話集の中の文を覚えてすぐに
限られた場面で使うことはできても、相手がその言葉でさらに
詳しい説明を求めてきたり、想定外の話を始めたりすれば、
たちまちちんぷんかんぷんになってしまうのと似ているかもしれません。

特にちびくまは、知的障碍をあわせもっている分、少し複雑な
情報になると、聴覚的にはおろか、視覚的に示されても
理解できなくなってしまいます。

「授業時間が5分ずつ短縮になって、その分がまとめて放課後練習に
 割り当てられる」というのは、彼にとって初めての経験ですし、
小学2年生の算数の文章題でも難しい彼にとっては、具体的に
イメージして理解することもできなかったのでしょう。

でも、情報を整理して「彼にとって一番大切な情報だけを、端的に、
彼にとって理解しやすい方法で示す」ことで、本人のストレスは
ぐっと減ることが改めてわかりました。
大切なのは、本人が自分なりに納得して、自分なりの参加ができること。

必ずしも何もかも周りの子とできるだけ近い形で参加させようとか
何もかも理解させようと頑張ることが本人にとって親切とは限らない、と
いうことですね。

ちびくまは6年間の小学校生活を通じて、集団の中では自分を抑え、
周りに合わせて行動する力を身につけました。
多少あやしいところはあるけれど、学業そのものを除いては
大抵のことは通常学級のお子さんに伍してこなしていけるようにも
なりました。

その中には「きちんと納得や理解はできていないけれども、みんなが
こうしているから、とりあえず真似をして」というものも、
きっと沢山含まれていたのでしょう。

今年、中学校に入学して、「初めての経験」が山ほどある中、
小学校生活から得た経験則が役に立たない場面に出会うことで、
「周囲からは見えにくくなっていた」ちびくまの困難、
困り感に改めて気付くことができました。

ここでもう一度初心に帰ったつもりで、ちびくまとの生活を
見直してみる必要があるのかも、と感じています。

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