雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

「頑張ります」と言うけれど

2010年01月15日 | 「発達障碍」を見つめる眼
今年は新型インフルエンザで休校や学級・学年閉鎖が相次いだ余波で
3学期が通常より2日も早く始まりました。

学期始めはいつものことながら「3学期も頑張ります!」と
大張り切りの息子。
初日から障担K先生や交流担H先生にも自分から
「あけましておめでとうございます」と挨拶に行き、
「ぼくはちゃんとごあいさつできた!卒業まで頑張る!」と
元気一杯に宣言。

…でも学校が始まって一週間、だんだん元気がなくなってきました。
表情も硬いし、なんだか私へのべったり度が上昇し、
どこか不安そうな様子で、こだわりも若干きつめ。
アトピーもみるみる悪化して、肘の内側や首筋に血がにじむように
なってきました。

学校では3年生は既に「高校受験」一色の生活。願書用の写真撮影から
願書の書き方指導、面接練習、出願のガイダンスまで
それはそれは懇切丁寧なサポートぶりですが、
受験を控えたクラスメートも、それを応援する先生も
どうしてもピリピリした空気が漂っているようです。

さらに障級の方でも、あと丸2ヶ月ほどしかない間に、これまで
やってきたことをさらにレベルアップしたり、
確実に身につけさせたりしておきたい、とK先生の方も
かなり力が入っている様子。

先生方の「這えば立て、立てば歩めの親心」はとっても
ありがたくはあるのですが、
それをされると期待に応えなければ、と実力以上に
頑張ってしまうのがうちの息子。言葉をしゃべらなければ、
それでもイライラと余裕のない様子や
普段と違う表情などから、ストレスを溜めていることが
わかるでしょうが

なまじ言葉がしゃべれて、「大丈夫です」「頑張れます」
「ぼくも頑張りたいです」と言ってしまうところがクセモノ。
「頑張れる?」「やってみる?」と言われて「頑張れません」
「やりたくありません」と言えないのが彼の弱点であるわけで…。

でも、フルマラソンで最初から飛ばしすぎるのと同様、
最初は快調に見えても、息子の場合いずれポッキリ
折れてしまうのが常。そしてやっかいなことに、一度折れると
そこから「無理をする前」のペースに戻すのにすら、
ものすごい時間と労力を要するのです。

そのことを如実に思い知ったのが、小6の3学期から
中1の1学期にかけての時期。
どんなに世話になっている先生であっても
どんなに善意から出たものであっても、
我が子に有害だと判断したものは
たとえモンスターペアレンツと呼ばれても
恩知らずとそしられても、体を張って
とめなければならなかったと今でも後悔している私は

今度はためらわず先生にブレーキをかけました。
「学校が好き、K先生が好き、クラスのみんなが好き、
 彼がその気持ちを持ったまま卒業の日を迎えることが
 中学時代の何よりの財産」
そんな私の言葉に耳を傾けてくれたK先生が
「今のままのキミでええよ」という思いを息子に伝えて
くれた途端、息子は重い荷物を降ろしたかのように

あっという間にもとの息子に戻りました。(わかりやすい!)
なんとアトピーも2日間でほとんど治まりました。
そんな息子を目の当たりにした先生は
「この状態を保ってあげ、卒業式に向けての充電を
 してもらいたいと思います」
と言ってくれました。

K先生は親の言葉に耳を傾けられる柔軟さと
「僕が焦っていました。すみません」と
自分の姿勢を見直す客観性と謙虚さを持っていてくれて
助かったけれど

一般には「熱心」な親や先生であればあるほど
「いやだ」と言わない子の
「頑張ります」「頑張れます」と言う子の
本当の怖さに気づくのは難しいのかもしれません。

「頑張ります」という言葉の表面に惑わされて
「支援者のための支援」「指導者のための指導」に
なってはならないということを
しゃべれる、しゃべれないにかかわらず、自分の感じ方と
「ことば」をうまくリンクできない自閉っ子たちの
「本当の思い」を探ろうとする努力を怠ってはならないと
いうことを

自閉っ子を取り巻く私達は常に忘れずにおきたいと思います。

コメントを投稿