雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

うつの再発

2010年03月08日 | 「うつ」とつきあう。
急に原因不明のうつ状態に陥り、1ヶ月ほど死ぬや生きるやの
感情のジェットコースターの末、もう限界というところで
心療内科に飛び込んだのは、もう2年も前のことです。

今でも1ヶ月に1度の通院と服薬は続けていますが、
ここ1年はすっかり調子が良くなり、抗うつ薬を飲んでいることを
自分でも忘れるほど、安定した生活を送っていました。
息子が高等部に進学して、新しい環境に慣れて落ち着いたら、
そろそろ薬を減らしていこうか、とドクターと相談していた
矢先のことでした。

息子の受験を終えた、2月19日の夜のこと。
電話で、かなりショックな知らせを受けました。

落ち込んだ気持ちで、それでもその夜は眠り、翌朝。
目が覚めたのに、全く起き上がることができません。
CIDPの脱力ではありません。体中に鉛が入ったようで
動くことができないのです。音も、光も辛い。
辛さと絶望感、底なしの沼へ沈んでいくような
不安とも恐怖ともつかない感情を感じるだけ。
「うつ」のかなりひどい状態でした。

幸い、土曜で学校が休みだったので、そのまま昼まで
布団の中でじっとしています。(息子は朝は自分で
好きなパンを選んで食べることになっています)
昼と夜は、冷凍してあったものをチンして息子にだけ
食べてもらい、私は這うようにしてトイレに行く他は
食べることも動くこともできずに心身の苦しみに耐えました。

翌日の日曜日も、午前中は全く起きられず、
でも、午後からは月1回の動作法の学習会に、息子がどうしても
行きたいというので、頓服の安定剤を飲んで、なんとか
会場まで連れて行きました。
でも、私は全く使い物にならず、部屋の隅でずっと丸くなっていました。

月曜日、朝、気分はとっても重いものの、なんとか目覚ましで
いつもどおりの時間に起き上がることができました。
でも、息子を学校へ送り出すと、もう限界で、あとは息子が
帰ってくるまで、布団の中で過ごしてしまいました。

毎日毎日、安定剤のお世話になって最低限の家事をこなす他は
布団にもぐって過ごす日々が10日ほど続いた後、
やっと安定剤がなくてもなんとか1日が過ごせ、
医療費控除の申告もやっとすることができました。

今日は診察日、ドクターにここ2週間ほどの報告をすると
ドクターも首をひねる様子。
確かに引き金になる出来事があったのは事実だけど、症状の
悪化と治まり方が、あまりに極端なので、これはやはり
体の方に原因があるんだろうねえ、ということになりました。

CIDPが原因なのか、甲状腺機能異常が原因なのか、
はたまた飲んでいる薬の影響なのか、
その全部が相関しているのかはわからないけれど、
私の、脳を含めた体全体の、ストレス耐性が極端に
弱くなっていると考えられるのだそうです。

CIDPはやっかいだけど、一生付き合うしかないとわりと
あっさり受け入れられたのですが、これに「うつ」まで
おまけがつくんですか…。

でも、間近まで降りてきて「おいでおいで」をする
死神さんに抗えたのは
「今、私がいなくなったら、息子がこまってしまう」
という気持ちと、
「元気がなくてもね、ぼくはおかあさんが好きだよ」と
毎日布団に寝ている私に囁いてくれた息子の言葉と
手のひらの温かさがあったからでした。

長らくブログを書く気力もなかったので
ご心配をおかけしたかもしれません。
またどんな波が来ないとも限らないので油断はできませんが
病気と付き合いながら、私は、生きています。





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