おはようございます。



揖斐の中心地へと入って来ました、養老鉄道揖斐駅から北へ揖斐川を渡り終えた所、町の中心地と言ってもこの辺りは旧街道の雰囲気が漂う古い町並があってなかなか趣深い。さて、次に目指すのは元名鉄本揖斐駅があった場所、あらかじめ場所の検索はしておいたがこの辺りからはまだ少し離れた所にある。しかし地図で調べておいた場所も実際に走ってみるとなかなかその場所を探し当てるのは難しい、民家の入り組んだ所、狭い道を右へ左へと曲がりを繰り返して更地になった場所へとたどり着く、ここかな・・・と思って周辺を巡ってみるとバス停がある、そこには本揖斐とある、どうやらここが本揖斐駅のあった場所だろう。


上の写真は在りし日の名鉄本揖斐駅とそのホームと電車、2005年に廃止されたと言うことでもう10年以上経っていることになるが、駅があったであろう場所付近が開発されたと言う感じはしない。



ロータリーや駐車場で線路跡であった場所が整備されているのでこれで十分なんだろうか、それなら上に貼った昔の駅舎を保存して残しておけば良かったのでは・・・とも思ってしまうのは余所者の発想か。実は今日の旅ではひとつ目的があって、それは廃線跡の駅で登録有形文化財に指定されている場所がある、この旅の最後の方でそこに訪れることになります、その話はまだまだ先として、同じ岐阜県内で同じ名鉄の廃線跡であるのだし、写真を見ても趣のある駅舎にホーム、残しておいても良かったんではないかと思ってしまう。今は上の写真にあるようにバス停に待合室、ロータリーの真ん中には時計台があるだけで、写真3枚目にある新しい道は多分線路があったと思われる所だろう。





さて、この廃線跡を巡って岐阜市内へと向かうこととしよう。県道を走っているとやがて展望が開け、道の横に明らかに線路が敷かれていた跡地が現れる、地図では分かりにくかったが実際に見ているとその跡地はずっと先まで続いているので、それを追いかけるようにして県道を離れ民家の中の道へと入って行く。廃線跡地は民家の中の道をずっと沿うように続いているので分かりやすく、今のところは順調に先へと進んでいる。
さて、甲子園の方は第1試合、福井工大福井vs智辯学園の試合が始まったところ、やはり地元の登場となると気が気でならない、福井勢とは言っても敦賀気比でなければ何とかしてくれるだろうとは思うのだが、初回いきなりピンチを迎えた。智辯は守りを重視してきたチーム、しかし初回から福井は自慢の打撃で押してくる、いきなり満塁かよ。







道は廃線跡を沿うように続いているので走りの方は順調そのもの、写真4枚目、5枚目はホームの跡がまだ残っている所、10年以上経ってもその姿ははっきりとした姿で残っている。何と言う駅名かは分からないがここを走っていた電車は路面電車みたいな感じの電車だったのだろう、ホームの高さがそれを物語っている。小さな電車がローカル風景の中をトコトコと走っている風景は自分(一人称)が住んでいる付近では滅多に見ることができないだけに、残ってほしかった風景だったがやっぱり鉄道会社にしたら厳しいものだったのだろう。自分(一人称)がまだ鉄道が好きでよく名鉄を乗りに来ていた頃は岐阜市内の道を我物顔で行きかっていた路面電車も、相棒と走るようになった頃にはなくなってしまっていた。残しておいてほしかったと言うのはやっぱり余所者のエゴになってしまうか、線路を剥がされ駅は壊された廃線跡は無味乾燥な姿しか見せてくれないのはもう仕方のないことなんだろうな・・・。初回満塁のピンチを何とか乗り切った智辯学園、その裏に2点先制です、これで気持ちに少しだけ余裕を持って走ることができそうだ。次回は更に廃線跡を巡って、岐阜市内へと向かって行きたいと思います、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち



揖斐の中心地へと入って来ました、養老鉄道揖斐駅から北へ揖斐川を渡り終えた所、町の中心地と言ってもこの辺りは旧街道の雰囲気が漂う古い町並があってなかなか趣深い。さて、次に目指すのは元名鉄本揖斐駅があった場所、あらかじめ場所の検索はしておいたがこの辺りからはまだ少し離れた所にある。しかし地図で調べておいた場所も実際に走ってみるとなかなかその場所を探し当てるのは難しい、民家の入り組んだ所、狭い道を右へ左へと曲がりを繰り返して更地になった場所へとたどり着く、ここかな・・・と思って周辺を巡ってみるとバス停がある、そこには本揖斐とある、どうやらここが本揖斐駅のあった場所だろう。


上の写真は在りし日の名鉄本揖斐駅とそのホームと電車、2005年に廃止されたと言うことでもう10年以上経っていることになるが、駅があったであろう場所付近が開発されたと言う感じはしない。



ロータリーや駐車場で線路跡であった場所が整備されているのでこれで十分なんだろうか、それなら上に貼った昔の駅舎を保存して残しておけば良かったのでは・・・とも思ってしまうのは余所者の発想か。実は今日の旅ではひとつ目的があって、それは廃線跡の駅で登録有形文化財に指定されている場所がある、この旅の最後の方でそこに訪れることになります、その話はまだまだ先として、同じ岐阜県内で同じ名鉄の廃線跡であるのだし、写真を見ても趣のある駅舎にホーム、残しておいても良かったんではないかと思ってしまう。今は上の写真にあるようにバス停に待合室、ロータリーの真ん中には時計台があるだけで、写真3枚目にある新しい道は多分線路があったと思われる所だろう。





さて、この廃線跡を巡って岐阜市内へと向かうこととしよう。県道を走っているとやがて展望が開け、道の横に明らかに線路が敷かれていた跡地が現れる、地図では分かりにくかったが実際に見ているとその跡地はずっと先まで続いているので、それを追いかけるようにして県道を離れ民家の中の道へと入って行く。廃線跡地は民家の中の道をずっと沿うように続いているので分かりやすく、今のところは順調に先へと進んでいる。
さて、甲子園の方は第1試合、福井工大福井vs智辯学園の試合が始まったところ、やはり地元の登場となると気が気でならない、福井勢とは言っても敦賀気比でなければ何とかしてくれるだろうとは思うのだが、初回いきなりピンチを迎えた。智辯は守りを重視してきたチーム、しかし初回から福井は自慢の打撃で押してくる、いきなり満塁かよ。







道は廃線跡を沿うように続いているので走りの方は順調そのもの、写真4枚目、5枚目はホームの跡がまだ残っている所、10年以上経ってもその姿ははっきりとした姿で残っている。何と言う駅名かは分からないがここを走っていた電車は路面電車みたいな感じの電車だったのだろう、ホームの高さがそれを物語っている。小さな電車がローカル風景の中をトコトコと走っている風景は自分(一人称)が住んでいる付近では滅多に見ることができないだけに、残ってほしかった風景だったがやっぱり鉄道会社にしたら厳しいものだったのだろう。自分(一人称)がまだ鉄道が好きでよく名鉄を乗りに来ていた頃は岐阜市内の道を我物顔で行きかっていた路面電車も、相棒と走るようになった頃にはなくなってしまっていた。残しておいてほしかったと言うのはやっぱり余所者のエゴになってしまうか、線路を剥がされ駅は壊された廃線跡は無味乾燥な姿しか見せてくれないのはもう仕方のないことなんだろうな・・・。初回満塁のピンチを何とか乗り切った智辯学園、その裏に2点先制です、これで気持ちに少しだけ余裕を持って走ることができそうだ。次回は更に廃線跡を巡って、岐阜市内へと向かって行きたいと思います、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち
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