まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1871 近鉄平端駅

2023-01-15 22:16:21 | 鉄道
よろしくお願いします。



















大和郡山市内で京奈和自転車道を広陵方面へ向かって走っていると右手側に見えてくるのが近鉄平端駅、近鉄橿原線と天理線が分岐する急行停車駅ですが周辺は写真を見ての通りの田園風景、駅舎は小さく乗降客はさほど多くない駅です。そうは言っても奈良の中核都市を貫く幹線なだけに列車はなかなかな密度での走行、特急列車に急行、普通、天理線折り返し列車に伊勢志摩直通特急も一日に数便走ります。ホームは橿原線が線内では唯一の2面4線構造、駅の手前で分岐してL字になった所には天理線のホームがあり、駅舎とは地下道で結ばれています。でも昔は駅は地上駅で、それぞれのホームとは構内踏切でつながっていました、橿原線のホームはその頃は短くて、踏切をはさんで左右にズレた形でありました。天理線はまだ本数があった頃は西大寺からの直通の天理行きがあり、京都までの直通の急行も1時間に1本は走っていた、まだ天理に住んでいた頃は京都競馬場に行く時は重宝していたんだけどなあ~。今は直通もまあまああるものの天理線折り返しが多数になってしまい、天理線はローカル路線に成り下がってしまった感じです。















ホームは切符を買って電車に乗らないと行けないので写真はいつも駅のそばを通っている京奈和自転車道から。佐保川沿いで天理線をくぐる手前では天理線ホーム、天理線をくぐると両線に囲まれて三角地帯になった所で橿原線ホームがよく見え、橿原線をくぐって坂道を上ると橿原線ホームと、向こうには天理線ホームを同じ方向で見ることができます。この辺りは電車を撮るのに邪魔な建物がないので結構いい場所だと思います、ただ橿原方から来る電車は近くに踏切がないので突然姿を現すのでタイミングを逸することもしばしばです。橿原線は普通が急行を待避し特急の通過待ちもあり、橿原線の到着に合わせて天理線も発着すると言う、なかなか芸術的なダイヤが組まれています。昔に比べると電車の本数は減ったとは言え、特急列車も定期的に走るので、また機会を見つけてはその季節に合った写真を撮りに来たい所です。


自分(一人称)はこの駅にはちょっとした思い出がありまして・・・、1988年の10月19日、と言えばあの10.19の日です。その頃は大学の2部に通っていて、ダブルヘッダーの第1試合は学食でテレビを見て結果を知っていましたが、第2試合は授業中、当時は試合の経過を知る手段がなく授業が終わったらとりあえず上本町駅へと急ぐ、そこならテレビもやっていると思ったからです。時間はもう午後10時過ぎ、上本町駅のコンコースではテレビで放送をやっていてたくさんの人が観戦していたが、そこで見たのが10回表のダブルプレーのシーン、その後すぐに映ったのが西武球場のスタンドで喜ぶファンの姿と胴上げのシーン。何で・・・?まだ次の回があるやろ、これで近鉄(Bu)の優勝はなくなったんか・・・?でも観戦していた人はみんな引き上げて行く、終わったんやな~、と釈然としない気持ちを抱えながら地下ホームへ、奈良行きの快速急行に乗車しました。

















時間はもう午後11時を過ぎていて、天理まで帰らなければならない自分(一人称)は西大寺駅で橿原神宮前行きに乗車、当然乗り換えなければならないので平端駅で下車です。次の天理行きはもう最終電車、発車まで20分ほどあったしホームで待つのも暇だったので滅多に行くことのない駅舎の改札口へと足を向ける。近鉄(Bu)の優勝はホントになくなったんやな~、との現実をひしひしと感じながら構内をフラフラしていると、目に入ってきたのが伊勢志摩キャンペーンのポスター。そのポスターに写っていた女の子・・・多分デビューしたばかりのアイドルかな、でも名前は知らなかった・・・が凄くかわいかったので、駅員さんにこのポスターください、と言ってしまいました、いやいや、全く自分らしくないことを言ってしまったな~。駅員さんはまだキャンペーン中なのであげることはできない、とのこと、あの頃はポスターをもらえることができたが、今はもうキャンペーンが終わってももらえなくなったんですね、ポスター自体がもう時代じゃなくなったのかな。そのかわいらしい女の子が数年後、バンドのボーカルで歌っていてヒットを連発していたのですが、あのポスターの頃の面影が全くなくなっていてガックリしたのも言わずもがなな思い出です、今回もご覧いただきましてありがとうございました・・・・まちみち



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