まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1193 百舌鳥古墳群巡り、その3

2019-09-15 22:50:16 | 文化財
おはようございます。













百舌鳥古墳群巡りもいよいよ後半戦、大仙公園内の古墳を巡って南の方へと出てきました、と思ったら道の向こう側にデ~ン!と大きな古墳が見えている、この古墳が履中天皇陵、日本では3番目に大きな古墳と言うことです。1位がさっき見てきた仁徳天皇陵、2位が応神天皇陵、両方とも百舌鳥古市古墳群に属しているが、となると世界遺産の決め手は大きさ?ってこと、目立てば勝ちってことなのか、とりあえず外国人には大きさで惹きつけるってことなのか・・・。それはともかく、とりあえずこの大きな古墳の外周を一回り、古墳の南には泉北1号線が通っていて通学の学生さんが多く皆近くの駅へと向かって歩いている。この道路を渡り住宅地の中へと入って行くと、その中にまるで溶け込んだように柵に覆われた緑のポコッとした丘が現れる、そこにある看板には「履中天皇陵飛地」とある、古墳に飛地なんてあるんやな~って初めて知ったが、これがいわゆる「陪塚」に当たるものらしい。人々の興味はやはり大きな古墳に向くのだろうが自分(一人称)が興味を惹かれるのはこう言った感じの隠れた存在のような古墳、さっきの仁徳天皇陵付近でもいろいろと見かけましたね。














泉北1号線へと戻り、履中陵外周道を経由してJR阪和線を渡るとすぐに次のいたすけ古墳、規模は小さいがお濠に墳丘といかにも古墳と言った感じ。堺市の中心部からは離れた場所と言ってもここも町のど真ん中、大きな古墳は残っても多くの小さな古墳は宅地開発などで破壊されてしまっている、この古墳も破壊の運命をたどるところだったが市民運動で生き残ったとか、そんなピンチを乗り越えて今は世界遺産ですからね~、これも運命ってやつですか。古墳の方からは橋の跡みたいなのが架かっているのが見えるが、昔は樹木の伐採が行われていたとかでそのための渡り橋の跡らしい、もちろん今は柵があって入ることはできない。このお濠沿いの道を進んで小さな古墳・・・もちろんこれも世界遺産・・・の横を通り過ぎると古い町並へと入って、そこを抜けるとお濠に囲まれた大きな古墳、御廟山古墳へとたどり着く。ここの外周の通りを通り過ぎて行くと前に一度走ったことがある道、JR百舌鳥駅から下って行く坂道、その先に百舌鳥八幡へと至る参道がある、南海高野線に百舌鳥八幡駅があるがその駅名となっている神社がこんなに遠くにあるとは思わなかった。この神社の近くにも古墳があるのだが見つけきることができなかった、地図で示された場所にあったのは写真下1枚目、2枚目にある寺院、壁の後ろにある森みたいなのが古墳だろうか・・・?











百舌鳥古墳群巡り、最後のエリアとなるのは南海中百舌鳥駅の南側にある部分、まずは百舌鳥八幡前から伸びる道を真っ直ぐ進んだ所にあるニサンザイ古墳からです。ニサンザイとは「ミサンザイ」、貴人・・・この場合は俗に言う天皇のこと・・・の墓を意味する陵=misasagiがどうにか訛ってnisannzaiとなったとのこと、と言うことだからこれも歴代天皇の中の誰かの墓となるわけか。この古墳が百舌鳥古墳群では一番南東側にあるとのことなので、古墳外周を一巡りした後はときはま線へと戻り中百舌鳥駅方面に向けて進む。途中で左に折れる道があるのでそちらへと入るとやがて公園の中に小さな小山が見えてくる、頂上では子供たちが遊んでいる声が聞こえてくるがこの小山が定の山古墳、天皇陵となると立入禁止で大きな柵が古墳の周りに立ちはだかっているが、ここは専ら市民の憩いの場と言った感じ、子供たちがすべり台代わりにして遊びそうな場所である。最後にやって来たのは西高野街道沿いにある御廟表塚古墳、西高野街道はよく走ることがあるがこの古墳はほとんど意識したことがなかった、道を少しだけ逸れた所にある古墳は駐車場の目印にされているかのように車に尻を向けられていた・・・と言うことで3回に渡ってお送りしてきました百舌鳥古墳群巡り、世界遺産になったと言うことで盛り上がっているみたいですが、やっぱり古墳は古墳です、天皇陵も公園の中にある丘も元は人のお墓、ささやかに亡き人の魂を弔う場所を世界の人たちの興味に晒してしまうのはどうかとも思うんですけどねえ、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。        まちみち