まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1189 誘う都

2019-09-04 08:22:36 | 
おはようございます。












とある休日の午前、今にも雨が降って来そうな空の下、とりあえず南の方へと相棒君を進めて行く。JR万葉まほろば線沿いを走っていると2両編成の新しい電車が走り抜けて行った、確か春に和歌山線に先行投入されたとのことだったがいよいよ万葉まほろば線にもお目見えとなりました、ただこうなると今まで主力として走っていた105系、いかにも古ぼけた感じでトロトロと奈良の都を駆け抜けていた車両もそろそろお役御免が近づいていると言ったところそれはそれでちょっと淋しい話です。桜井市に入ってやって来たのが香久山駅、以前は趣のある木造駅舎だったのが今では写真4枚目にあるようにこれが何とも寂しい姿になってしまった、別に壊さなくても良かったのに・・・って思うんですがいろいろな事情があったんでしょうねえ、でももったいないなあ。ホームは1本だけで電車は上下とも1時間に1本、北側を走る近鉄がビュンビュンと走っているのと比べると劣勢ははもう目に見えて明らか、駅名の由来になっている天香久山はと言えば・・・真正面に見えるはずが手前の畑のビニールハウスが遮ってしまって見えない、何もかもが不憫だ・・・







JR香久山駅の前を東西に通っているのが横大路、大阪堺からは竹内街道として大和に入り、桜井から先は初瀬街道、その後は伊勢街道となって伊勢神宮まで通じている古くからの参宮道です。ここを西へと走って行くと中ツ道との交差点、左へと曲がって線路を越えると間もなく藤原宮跡があった所へ、そこから都の中を貫く道を進んで行くと藤原京資料室へとたどり着く。今まではスルーしていた所だが、今回はこれからの勉強のこともあってと思い中へ入ってみることに、階段を上って2回へと行くと壁に万葉集に綴られた歌が掲げられていて、その先の部屋の中には大きな藤原京のモニュメント、平城京の方も廃寺巡りがひと段落したことだし、そろそろ藤原京に手を出して見ようかなとも思っていたので、このモニュメントを活用していろいろと勉強していくこととしよう。

























藤原宮跡の風景をズラリと並べてみました、まあ何もないただの原っぱと言う感じの所ですが、ここに宮殿が建てられ日本の政治の中枢となったのは確かなこと、持統天皇により694年に造営されたとのことです。それまでは天皇が変わる毎に都・・・政治の中枢となる天皇の邸宅がある所・・・は移されていたが、ここに唐に倣っての都城制の都が造られたことによってその流れも終わってしまうことになる。以降は平城京から平安京へと大きな都城による政治が行われて行くことになるので、藤原京はその礎を築いたことになる、とは言ってもここに都があった時期はほんの数年、都が奈良に移された後は一気に衰退したとのこと。大和三山に囲まれた広い原っぱは今は市民の憩いの場、春は菜の花、夏はハス、秋はコスモスと言った感じで、季節によって変わる花の見頃になるとそれを見にたくさんの人が訪れます。さて、先述した通り、このちょっと謎を秘めた藤原京、歴史的には平城京よりも古いわけだから奥が深い感じがします、一体どんな所だったんでしょう?また自分なりに軽く薄く短く小さくではありますが、いろいろと勉強してみようと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち