まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.620 平城京巡り・東三坊大路

2016-12-01 11:39:07 | チョイ走
おはようございます。









チョイ走り平城京巡りはこれまで三条通や一条通、二条大路と町の中心を通る大きな道ばかりを紹介してきました。平城京は平安京と違って道の跡が残っている所はあまりないのでここが昔の大路だと言うのを探し当てるのは結構難しい所もあるのですが、その中では割とはっきりとその跡がこの道だろうと確認できるのが東三坊大路↓↓↓



上の写真はその道を南端から北へと向かっているところです。地図の右下2番目の道の所に東市と言うのがありますが、朱雀大路を真ん中に対を為している西市はその跡があるのにこちらの方はその場所には民家が建ち並んでいてその跡はもうどこか確認することもできません。とりあえず写真3枚目がその近くになる辺りで八条大路との交差点となる所、道は更に北へと進んで大安寺界隈、ああ、めっさうちの近くだわ~と言う所へと差し掛かって行きます。












大安寺付近では10月にイベントが行われていて、昔七重塔があった所に写真2枚目、3枚目にある何か訳の分からないオブジェが建っていましたが、もう今は撤去されてなくなっています。写真5枚目は前にも紹介したことがある大安寺、ここが山門とあるのですが平城京の頃はこの付近一帯を取り巻くほどの大寺院だったとのこと、さっきの塔の辺りが寺院の一番南端になるのですが、10月のイベントがあった時にはこの山門の向かいで発掘調査が行われていました。それが写真6枚目~8枚目にある場所で、大安寺旧境内とありますがその場所には六条大路が境内を貫いていて、今回の発掘調査ではその痕跡を探し当てることができたと言うこと、詳しくはこちらをご覧なってください。今回のように都を南北に通る道は「坊」に対して東西に通る道は「条」、一条から三条まではその跡が分かる道はあるのだが、そこから南は跡となる通りがなく多分この道がそうなんだろうな~と仮定することしかできない、特に六条大路は本当にそれだと言う当てはまる道がない。強いて言えばこの大安寺前を通る道がそれに当てはまるのだろうけど、その道も西へ向かうと途中で途切れてしまう。今回の調査ではこの道のほんの数歩南に進んだ所に六条大路があったと言うことだが、今はその場所もまた埋められてしまい、その東西両側も無造作に草が生え放題の荒地でしかない。












道は大安寺の町中を狭い通りですり抜けて行く、途中には五条大路、四条大路と交差していたのだろうが、いまとなってはその場所は多分ここだろうと仮定することしかできない。奈良の町を北に向けて進んでいるので、右手前方にはずっと若草山を見て進むこととなる、昔の人もこの山を見ながらこの道を歩いたのだろうか・・・と考えたいところだが、今は町の外れは田園風景が広がり見晴らしのいい道ではあるが、往時は都の中枢にあった場所で今よりもはるかに賑やかな町だったのだろう。それほど高くはないだろうが建物も道の両側にズラリと建ち並んでいたはずなので、若草山や生駒山は今ほど見渡せるほどには見えなかったかも知れない。
道は賑やかな界隈に差し掛かってきて、大宮通の信号を過ぎるとすぐに写真7枚目にある近鉄新大宮駅前の踏切へとたどり着く、この線路は西へ進むと平城宮跡を貫く場所を走ることになるから、東三坊大路は宮跡の東側まで来ていることになる、となると終わりももうすぐと言うこと。前に紹介した地味~な二条大路との交差点が写真8枚目、駅前の道は大きくて車の通りも多いが、この道は佐保川を渡った所で国道24号線と交差するために左へとカーブしていく、そのまま真っ直ぐに行く道が分かれているので進んで行くと、ハローワークの前で国道24号線が左側から合流してくる。もう少し先へと進むと最後の写真にある一条通との交差点、左側には一条高校、今年の(年を越せたら2017年)の全国高校サッカー奈良県代表、尾野真千子を鍛え上げたあの怖い女性映画監督の出身校でもあります。東三坊大路の走りはここで終わり、いつもは何気なく走っている道も、さっきも書きましたが往時の人たちもこの風景を見ていたのだろうかとか、その頃の都はどんな風景だったのかな?・・・とか、またいろいろなことを考えて走るのもまた乙哉と言ったところ。次回も現代では失われてしまった道を、ここがそうだろうなあ~と自分勝手に思い込みながら走ってみようと思っています、と言うことで今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。         まちみち