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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1563 京都疎水巡り(横道)・・・ほんの少しだけ白川巡り

2021-05-10 09:57:30 | まち
よろしくお願いします。











京都では疏水巡りを行ってきましたが、その巡りも前回琵琶湖までたどり着いて終わりとなりました。でも疏水には分流があってそちらの巡りも済ませているのでそろそろその記録をお送りしていこうと思っているのですが、その前に今回は京都市の中心部を流れる白川を巡った記録をお送りしていきます。
まずは白川とは離れた所にある伏見桃山の御香宮の風景の写真を貼っていますが、走ったのは1月の末、この後京都の中心部へは入っていません。やはり感染症禍の影が怖いからかな、世間の流れに遠慮している部分もあるかも知れません、結局その後感染症禍は新種株ウィルスの蔓延で再びの波が到来、京都も緊急事態宣言が発令されました。今回は5月11日と何とも中途半端な日にちまでとなっていましたが、感染者数は収まらず案の定月末までの延長となってしまいました。この走り以来行ってないし久しぶりに行きたいと思っているのですが、やっぱり感染症は怖いですからね、京都の人も奈良からは来てほしくないと思っているのかも・・・。でも今日でもイオンモール大和郡山の駐車場には大阪、京都ナンバーの車がたくさん止まっていた、この緊急事態宣言は人のモラルを問われる期間にもなってしまっているかのようです。














白川は四条大橋の近くで鴨川へと合流、そんなわけで今回も流れとは逆向きでの走りとなっています。まずは祇園のど真ん中を通る白川筋、よくドラマでも出てくる風景の中を通り過ぎて行く、この辺りではいつもは町並や道ばかりに注目しての巡りとなるが、今回は川に注目しての巡りです、その流れは通りを横切って直角に曲がっていきなり姿を消してしまう。

















川は東大路をくぐり抜けて知恩院の門の前を通り過ぎる、この辺りももう何度もここで取り上げたことがある所です。平均台のような一本橋、映画では小松菜奈が難なく渡っていました、さすがに自転車では通ることはできないが歩いて通るのも背筋が凍ってしまいそう。そう言えば小学生の頃は平均台が苦手だったなあ、こう言う恐怖心って気持ちが落ちることを前提になってしまっているからなんですね、今ならそんなこと考えないで渡ることはできそう、次の機会にやってみましょう。そんなわけでこの道を先へと進んで行くと粟田口付近、前にもお伝えしたことがある明智光秀の最期の地となった所。走ったのがちょうど大河の最終回の前だったので、この辺りもちょっとしたスポットとなっていたようです。でもドラマが終わってしまうとまた隠れた名所となってしまうんだろうなあ、でもそれこそが京都っぽさがあっていいところ、ガイドブックに載ってない所を探るのもまた乙哉です。













三条通を過ぎた辺りであれ、白川は・・・と思いながら進んで行くと、いつの間にか平安神宮の鳥居前への橋へとたどり着く。その前を流れているのは疏水、橋から見ると左手側に分かれている水路がある、白川は手前の噴水がある所で疏水と合流して、その後ここで再び分かれることとなっている。仁王門通は人が多く南禅寺方面へと振られてしまうので、ここは神宮内を通って二条通へと入る。ここから先は疏水別線巡りへとシフトするので白川巡りはほんのちょっとだけでしたがここで終わり、でも中途半端な気持ちが残ってしまうのもあまりいい気分ではないので、これも宿題としておこう。近いうちにまた来よう・・・と思いながらもう3か月も経ってしまった、感染症禍はいまだ終息する気配はないがこのままではこっちの息が終わってしまいそう。何とか機会を見つけてこの先の巡りへと行きたいと思ってるのですが・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち



No.1561 大和高田市の水路(1)・・・土庫川

2021-05-06 10:23:33 | まち
よろしくお願いします。



















大和高田市を流れる川として高田川を2回に渡ってお送りしましたが、今回はその市の中心部を流れる小さな川を巡って行こうと思います。ただこの川は高田川の支流ではなく葛城川の支流、葛城川と高田川が曽我川の支流なので今回の川と高田川は・・・ああ、もうややこしい!!早速巡って行くこととしましょう。
葛城川沿いを通る京奈和自転車道を進んで近鉄田原本線を越えて県道14号線に架かる橋の手前が合流点、以前は葛城川自転車道と言っていた自転車道だが実際はこの支流を沿って走って行くこととなる。その川の名前は土庫川、「土庫」に関しては以前ここでも取り上げたことがありました、大和高田市にある環濠集落の集落名、この川は土庫の集落を流れると言うことでこの名前が付けられたのでしょう、今回も流れとは逆向きに巡って行きます。まずは広陵町内、この辺りは県道108号線、葛城川、土庫川、京奈和自転車道が横並びになって真っ直ぐ南へと伸びている。広陵町は奈良県の町の中では最近人口数が田原本町を追い抜いて県内一となった町、とは言っても開発が為されて人口が増えたとは思えないくらいに長閑な所、川の周辺は田畑が囲んでいてその向こう側には環濠集落の風景が見えている。
















役場がある所と言うとその町の中心部と思ってしまいそうだが、広陵町役場がある辺りは幹線道路も鉄道も通ってないのでとても中心部とはいいがたい所。その役場がある辺りを遠目に見ながら、土庫川巡りはほぼ自転車道を走るだけの状態になってしまっている、ここはちょっと風景的にもネタがほしいところと思い、近い所にある環濠集落へと入って行く。上の写真にある集落は南郷集落、ここも何度も取り上げたことがあり、下街道で大和高田方面に向かう時には必ず通る町です。ここを通り過ぎると田園風景の中の畦道を通って行くが、この辺りでもう大和高田市へと入っている、次にたどり着いたのが藤森集落、自転車道から離れた土庫川はこの集落をかすめるようにして流れている。ここから先、土庫川沿いは墓地があって自転車が通れる道はなくなってしまうので、集落内を通り過ぎて中和幹線へと出ることにする。

















中和幹線を渡ると前方に見えているのが土庫集落、その集落名がついている土庫川は集落の外れを流れている。その川を沿って進んで行くと近鉄大阪線の踏切、普通踏切があると言うことはその先も道があって通り抜けることができると思うところだが、ここは踏切を越えるとすぐに舗装路は終わってしまい、手前にある高校に道は遮られてしまう。この高校は高田商、数年前にセンバツにも出たことがある・・・その時は秀岳館にボロ負けしてしまいました・・・野球の名門校、横浜DeNA(Bs)の三浦監督の母校でもあります。それにしても今年のベイスターズ、やや持ち直してきたとはいえ悲惨な状態になってますねえ、まあ助っ人が来日できなかったとか戦力がみんなFAで出て行ったりで、いろいろと気の毒な部分もありましたが、三浦監督にはまだまだこれからという気持ちで頑張ってほしいところです。さて、川巡りの方は大和高田市の中心部に近い町中を縫うように進んで行く、横ツ道、JR万葉まほろば線、国道24号線と越えて近鉄高田市駅に近い所へとたどり着く。予習の資料によると土庫川の始まりはここからもう少し先に行った所だが、小さな水路がいくつも合流してきてしかもこの辺りは住宅地が入り組んで建っているので、地図を見てもどれがどれか分からなくなってしまった。と言うことで土庫川巡りは中途半端になってしまいますが、よく分からない住宅地のど真ん中で終わりとなってしまいました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1552 京都疎水巡り(6)・・・疏水のスタート

2021-04-19 10:37:16 | まち
よろしくお願いします。




















京都疎水巡りも今回が最終回、流れとは逆向きに巡ってきた水路は大津市に入ってすぐの所でトンネルに姿を消してしまいました。姿が見えないものを追いかけても仕方ない、ここはいつものように国道1号線へと出て逢坂を越えて大津市の中心部へと入る。京阪京津線の線路が路面に合流してすぐにある京町1丁目南交差点を左に折れて三井寺の方へと向かい、途中で右に折れて住宅街の中を進んで行くと北国橋へとたどり着き疏水と再開する。三井寺の近くでトンネルに入ってしまう疏水、大津市で水路の姿を見られるのは琵琶湖の流出口からこのトンネルまでのほんの数百メートルの間、今回はその短い距離を巡る記録です。北国橋のすぐの所にあるのは大津閘門↓↓↓

「閘室など重要な部分に石材が用いられている他は、レンガで築かれており、使用したレンガは約60万個に達します。明治期の現存するレンガ造りの近代閘門としては、石井閘門(宮城県、重要文化財)が最古のものとして知られていますが、大津閘門はそれに次ぐ近代閘門として注目されています。現在は、年数回程度、「びわ湖疏水船」の運航シーズンの開始時と終了時に、舟を通過させるため、閘門を開閉しています。その様子は、疏水沿線からも眺めることができ、水門を通じて水が流れ込む様子は、知られざる見どころといえます。」

とのことです。

















京阪石山坂本線の三井寺駅を通り過ぎると観音寺西交差点、いくつもの道が複雑に分岐する交差点については後程取り上げることとして、ここを通り過ぎると国道161号線観音寺交差点、横断歩道を渡ります。琵琶湖はもう目の前にありここが疏水の始まりとなる所、そんなわけで宇治川の合流点から6回に渡ってお送りしてきた疏水巡りはここであっけなく終わってしまうこととなりました。横断歩道を渡ると道は琵琶湖の方へ少しだけ伸びている、進んで行くと右手側には公園と三角屋根の木造の小屋。公園には写真にあるように「われは湖の子」と彫られた碑と『琵琶湖周航の歌』の歌詞が刻まれた歌碑が立っている、その隣にある木造の小屋はボート部の艇庫らしいがもちろん今はもう使われていなさそう。小屋にある「三高」とは京都大学のことで↓↓↓

「この曲は1917年(大正6年)6月28日、第三高等学校(三高。現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員の小口太郎による詞を「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて初めて歌われた。その後この歌は、三高の寮歌・学生歌として伝えられた。 」

とのことです、いかんいかん、またまた手抜きの手法を使ってしまった。














国道の横断歩道を渡って再び観音寺西交差点へ、何本もの道が交差する中に疏水に架かる橋が浜大津駅方面へ遊歩道となって伸びている。ちょっと気になったのでその遊歩道を進んで行ってみることに、都心に近いところにも住宅地はあって、道はその中をくぐり抜けるようにして浜大津駅の手前まで続いている。どうやらこの道が江若鉄道の廃線跡らしい、まあ確証はないが写真3枚目にある場所辺りが駅があった場所ではないだろうか、左側にある石段が何かの痕跡なような気もしますがどうなんでしょう。ビルの合間を抜けて横断歩道を渡ると浜大津港、大津に来たら毎回ここにきては取り留めもない写真ばかり撮っているのですが・・・やっぱり今回もそうなってしまいました。さて、目的の疏水巡りも終わりました、いや、実はまだ終わっていない、疏水には別線があるのでせっかくなのでそちらの方も巡ることにしましょうか。その記録についてはまた次回と言うことで、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1550 日本で2番目に小さな町巡り(1)・・・三宅町屏風地区

2021-04-15 10:45:42 | まち
よろしくお願いします。















奈良県は面積が全国で下から数えて7番目、そのうちの半分以上が吉野郡で他の市町村は北半分に密集しています。狭い範囲の中にいくつもの町がひしめき合っていると面積が小さくなってしまうのは仕方のないところ、日本の町の面積ランキングを見ると下から数えて10位内に3つの町が入っています。下から8番目が川西町、3番目が安堵町、ここでもよく見かける町名だと思いますが今回取り上げるのは日本で2番目に小さい三宅町、これまでも太子道巡り、古墳巡り、川巡りなどで取り上げたことがあり、南に向かう時にも通り過ぎることもあってよくここでも何度でも名前を出すことが多い町名です。安堵町、川西町とはつながるように接していて、どちらかと言うと奈良県内の中では地味なイメージがある町なのですが、これまでは各テーマで巡っていた所を三宅町そのもの町巡りとして、3回に渡ってお送りしていきたいと思います。まあ小さな町です、自転車なら3~4時間もあればほとんど町域を回ることができました、それでは行ってみることとしましょう。

まずは川西町にある飛鳥川の堤防沿いにある集落から車が通るのも難しいほどの狭い道を進んで、いつの間にか三宅町へと入ってまず上の写真にある町並、小柳集落へと入る。この辺りは馬見丘陵公園へ行くときによく通る所、通り慣れた道、見慣れた町並、急なカーブの上り坂を進んで行くと飛鳥川へとたどり着くが橋を渡るともう広陵町へと入ってしまう。町の境界を通る飛鳥川沿いの堤防は現在工事中で行くことができない、いったん広陵町に入って県道108号線を大和郡山方面に戻ると再び三宅町に入り、飛鳥川を渡ると右手側に靴下の工場が見えてくる。米ぬかを使って製造された靴下は以前『鶴瓶の家族に乾杯』で取り上げられたことがあり、売れるまでにかなり苦労した話をされていました。そうそう、三宅町と言うと昨年この番組で加藤雅也が訪れていました、奈良県民なのに行ったことがない所だからここを選んだと言っていました、どんだけ存在感の薄い町なんや・・・。




















さっきのゾーンの靴下工場から県道を3分も進まないうちに川西町へと入ってしまう、次の目的地へはいったんその川西町を走ることとなる。県道108号線は唐院交差点で右へと折れて天理方面へ、しばらく進むと左手側に墓地がある、その道へと入るとまたまた三宅町へと入り、正面の田んぼの中にポッコリとした丘が見えてくる。以前古墳巡りでもやって来たことがある寺の前古墳、墓地を抜けて畦道を進んで行くと安養院と確かに寺院があるので寺の前?そんな単純な名前なわけないか。その道を少しだけ進むと今度は田んぼの中に四角い丘が見えてくる、これが茄子塚古墳、この辺りは三宅古墳群に当たり、付近にはそれらしい丘が平べったい地形の中に浮かび上がるように見えている。その平べったい地形の中で更に目に着くのが畑の中を縫うように流れる水路、側にある看板にはこの辺りは大きな川に挟まれた所なので、その水の流れを逃がすために造られた水路だと書かれている。

















今走っているのは三宅町の中心部からは少し離れた田園風景の中、ちなみに中心部と言える所は駅が近いとか主要道路が通っているとかいろいろ考えられるが、三宅町は狭い町なので役場がある所を一応中心部としておきます。その役場や町の施設が前方に見えている田んぼの中の道を水路に沿って進んで行くとアンノ山古墳、緑の部分はほとんど見当たらず冬枯れした丘は周辺の田んぼと同化してしまっている。更に進んで行くとこれは古墳とすぐにわかる形の瓢箪山古墳、ポッコリとした丘の上には何か碑のようなものが立っている。名前は瓢箪山だが形はまあ瓢箪と言っても許せるかな~レベル、何かクジラかでっかいナマズが地上に埋まっている感じ、と言うと地元の人は気を悪くしてしまうか。そんなわけで始まりました三宅町巡り、狭い町を3回もかけて巡るのもまた呑気な話になってしまうかも知れませんが、この先もお付き合い願いたいところです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1547 Go To 大阪、2021年初走り編(1)

2021-04-12 10:31:50 | まち
よろしくお願いします。














今回は1月の初めに大阪を走った記録をお送りしていこうと思うのですが、その大阪、感染症禍の現状はかなり深刻な状況となっています。一時は落ち着いたかと思えば今度は変異種ウィルスが蔓延し始めてきて、ここにきて東京を抜く感染者数、しかも連日過去最高を記録し4桁に届こうともしています。そして奈良県も・・・、先週は5日連続で過去最高を更新し100人に届きそうな勢い、こちらもかなり深刻な状況になってきています。大阪の隣やから増えたんやろ~、とか思ってしまいそうですが県庁でクラスターが発生していると言うことからすると、ウィルスの影は静かに県内に潜伏していたかも知れません。とにかく奈良もそんな深刻な状況なのにいなかもんの知事は、奈良は比較的安心なので食事に来てください、とまた空気が読めない発言をしてしまいました、この間の2060年計画と言い・・・あ、この話は近々取り上げようと思っています・・・ホンマ、呑気な人ですわ。


















自分(一人称)は相変わらず「いつで~もGoToし~ようね♪」てな感じで走りに行っていますが、さすがにこの状況の中ではマスク着用は常となりました。やっぱり感染症こわいですからね、もらいたくもないし渡したくもない、少々暑くても鼻や口を隠しての走りを心がけています。昨日(11日)は馬見丘陵公園へと行ってきたのですがチューリップフェアー開催中でたくさんの人が訪れていました、この状況ですからね、密になるのが心配なところですがみんな春の陽気に誘われて出てきているのでしょう、自分(一人称)も含めて無理もないところです。そう言えばマスク拒否男がまた逮捕されましたね、自分(一人称)も以前はマスク着用が煩わしい派だったのでその言い分も分かるような気がしましたが、さすがに3度目となるともう学習能力の問題ですね。トラブルを起こして警察のお世話になって帰ってきてまたトラブル・・・、これが大人のやることかね~、いくら映像で自分の言いたいことを言ってももう誰も相手にしてくれないよ~、どっか違う星に飛ばされて行ってくださいと言いたいところです。


そんなわけで話とは関係なしに1月の初旬に走った時の写真を貼っていますが、この時は生駒から国道168号線を走って交野市へと入り、そこから寝屋川市へとたどり着きました。その後は京阪線沿いを進んで守口へ、ここまであまり見所もなく撮れ高もほとんどなし、守口では京街道の文禄堤の写真を撮りましたがここももう定番中の定番と言った感じ。あまりこれと言った見所もない町の中心部を横断するかのように、まるでそこだけが時代から取り残されたかのようにある町並・・・と言うかここでネタになりそうな所はこの道しかない、結局このゾーンを埋めるために撮った風景と言ったところです。




















国道1号線時から城北公園通りへと入り、写真1枚目~3枚目にある城北公園へとたどり着く。公園内を貫いているアーチ型の橋脚は菅原城北大橋、自転車も通ることができる橋だが自分(一人称)はまだここを通ったことはない、まあこの辺りあまり来ることないですからね。公園から少し先に進んだ所を通っているのがJRおおさか東線、この路線がまだ城東貨物線だった頃、この先の淀川に架かる赤川鉄橋を一度だけ渡ったことがある。亀岡街道巡りで渡ったのだったが旅客線となった今ではもう通ることができない、その代替となったのが隣に架かっている菅原城北大橋、それまでは有料道路だったのが自転車、歩行者に解放されることになった。JR城北公園通駅前を過ぎると間もなく毛馬橋へと差し掛かる、毛馬と言うと思い出すのが毛馬の閘門、これについてはかなり以前登録有形文化財巡りでお送りしたことがありました。さて、走りの方はここは橋を渡らずに大川に沿って自転車道を進んで中心部へと向かって行ってみようと思います、まあこの頃はまだ感染症についてはそれほど深刻に考えていなかった頃、と言ってもこの走りが今のところ大阪市に入った一番最後になってしまったのですが・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち