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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1819 夏のチョイ To 奈良(3)・・・おくすりの町

2022-09-17 19:08:33 | チョイ走
よろしくお願いします。












ちょっと駆け足気味にお送りしている夏のチョイ走りシリーズ、8月最後の土曜日は天気を気にしながらの走りでとりあえず大和高田市へとたどり着きました。近鉄松塚駅の近くで近鉄電車を撮影、車の往来が激しい狭い道の隅で結構危ない場所でしたが、曇天の下、緑が映える風景の中を走り抜ける近鉄電車はなかなか爽快です。近鉄大阪線は大阪と伊勢を結ぶ近鉄の長距離エースの路線、大阪と伊勢、名古屋を結ぶ特急が頻繁に走る所だが、逆に急行や普通はここ近年減便や区間の短縮で結構冷遇されている感じ。感染症禍があって乗客が減ってしまったことで厳しさが増したのだろう、これも時代と言ってしまえばそれまでだが、何とか頑張って近鉄のエース路線の格を保ってほしいところです。






















いまだに天気ははっきりしないが雨は降ってないので走りは続行、曽我川に沿う県道を進んで橿原市から高取町へと入る。町に入ってまず出迎えてくれるのが佐藤薬品の工場、橿原球場のネーミングライツとなっているのがこの会社、この前の週末にその佐藤薬品スタジアムで感動的な出来事がありました↓↓↓

天理と生駒“再試合”両校歓喜のNO.1ポーズで幕 試合終了の瞬間、全員がベンチ飛びだす

夏の予選決勝では21-0だったのが今回は3-2、春と夏に立て続けに智辯学園を倒した生駒、この試合でも一時天理を逆転した展開に持ち込んでいるだけに、今年の生駒は本当に強かったんだな~。次の世代もこの流れを受け継いで行ったら近いうちに甲子園出場も・・・、まあ壁は高いがまずは秋を勝ち抜いて奈良県初の21世紀枠を目指しましょうか。


JR和歌山線の掖上駅を過ぎて線路沿いを進んで行くと「三光丸のさんこうまるでござる」のCMでお馴染みの・・・と言っても奈良テレビだけでしかやってないCMだが・・・三光丸の会社の前を通り過ぎる。その後は京奈和自転車道を進んで近鉄吉野線の葛駅近くへとたどり着く、ここまで雨は全く降らなかったが元は目的もなしのチョイ走り、あまり遠くに行くわけにも行かないしこの辺りで折り返しとして明日香村方面へと向かう。途中、近鉄吉野線がよく見える場所があるのでそこで電車を撮ることに、そんなに本数が走る路線ではないが、久しぶりに『青の交響曲』を見ることができました。

















高取町の中心部は近鉄壺阪山駅付近、町役場がある近くの坂を上って近鉄線の踏切を渡って国道169号線の交差点を過ぎて先へと進むと土佐街道へと突き当たる。奈良なのに「土佐」なのはこれいかに?↓↓↓

「街道に土佐の名が付く由来は、飛鳥時代の初期にまで遡る。 大和朝廷の都造りに駆り出された土佐(高知)の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことが起源とされている。 土佐の名は古くから住民に愛着がもたれており、明治22(1889)年に町村が合併した際には「高取」か「土佐」かで村名が争われたほどである」

とのこと、確かに奈良には旧国名の地名が多い、藤原京の造営に貢献した地方の国名が名付けられているとのことで、なかなか興味深い話です。さて、高取町は今回のタイトルにもしましたが薬で有名な町、上り坂になった旧街道にも薬に関するお店や資料館があって、さすがに薬の町と思わせてくれる町並が続いています、この前ちょっと触れましたが、昔はうちにも毎月置き薬のオッちゃんが来てましたが、ここから来てはったみたいです。そんなわけで天気が心配な中でのチョイ走り高取町編、高取町をあとにして明日香村へ、次回にもうちょいだけ続きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1816 夏のチョイ To 奈良(2)・・・かつらぎの道

2022-09-12 09:33:34 | チョイ走
よろしくお願いします。



















夏休み期間中に奈良県内をチョイ走りした記録をお送りしています、今回はその2回目、まずは7月最後の休日に二上山方面を走ってきた記録から。薄い雲は浮かんでいるものの青い空が広がる中、緑の濃さが目立つ風景の中を走って来ました・・・って、二上山が写った写真が全然ないですねえ。まあ二上山そのものの姿についてはまた別の機会でお送りするとして、ここではその引き立て役となる・・・と言ってしまうのは失礼か・・・田園風景の写真を並べました。いつもの二上山をバックにして近鉄南大阪線が通り過ぎる所、夏前に植えられた苗は順調に育って、背が伸びて稲も育ってきていますがまだまだ伸びる余地はあり、来るべき収穫の時にはどこまで育っているのか、また見に来たいところです。


















帰りは近鉄五位堂駅から北へいつもの真美ケ丘ニュータウンを通る道へと入るが、この道から東にニュータウンを入った所に遊歩道があるとのことで、今回はそこを通ってみることに。香芝市から広陵町へ、ニュータウンの中を貫くようにある道は緑も多く走りやすい道、自転車も通ることができる遊歩道と言うことで歩行者に気をつけて行かなければならないのはもちろんのこと。この辺りは商業施設が多く立ち並び、その裏口になる所がこの道に面しているので、その周辺は人や自転車で賑わっているが、住宅地に入ると人の姿もまばらとなってすんなりと走ることができる。遊歩道は馬見丘陵公園へと向かう道に突き当たって終わりとなるが、走ってみた感想はまあこんなものか、と言った感じ、見所は特になく、緩やかなアップダウンが連続するのがちょっと走りにくくて、次に走りたくなる道でもなかったかな。その後は西名阪を通り越えて斑鳩町へ、ちょっと休憩と思って法隆寺前の駐車場へとやって来たのですが、前にもここで紹介したことがある植え込みのように見える古墳が・・・、写真下2枚にあるように何か無残な姿となっていました、今後修復されるのでしょうか?















さてさて、日は変わって8月27日、自分(一人称)にとってはこの日は連休の初日と言うことで、またまた目的もなく走りに出ました。この日は写真を見ても分かるようにどんよりとした天気、いつ雨が降ってもおかしくない状態。昨年は雨に呪われた甲子園も今年は順延もなく行われましたが、実は走りの方は結構雨に悩まされました、雨による足止めが3度、雷雨、落雷、ゲリラ豪雨ととにかく走る所走る所で天気に左右されました。そんなわけでこの日も空模様との相談の走りとなったのですが、とりあえずは大和高田までやって来ることはできました。でも今にも雨が降りそうな空模様、ここまで2度の足止め・・・最後の1度はこの走りの後のこと・・・があっただけにどこまで行くか、この先も行くかは空との相談次第となったわけですが、その記録については次回でのお伝えとしておきましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1811 夏のチョイ To 奈良(1)

2022-08-31 10:26:55 | チョイ走
よろしくお願いします。




















8月も終わりですが甲子園が終わると一気に秋の訪れの近いなあ、と感じてしまいます、まあまだまだ暑いんですけどね。でも朝は明るくなる時間がだんだん遅くなってきていて、夜は帰りしなに見る星座もすっかり変わってしまっています。そうこう言っているうちに秋が来て競馬はGIが始まってプロ野球も優勝が決まって冬が来て、ああ~、もう年末や、今年はどこに行こうか・・・、とその辺りは毎年同じなんですけどね。さて、暑い日が続いた7月~8月、今年も相変わらず休みの日は走ってばかりでした、まあ休日は家にいたくない質なんで。朝起きて特に考えも予定もなく、とりあえず家を出て次の曲がり角を右に曲がるか左に行くか、速攻で考えて気分で進路を選び行く場所をだんだん決めて行く。そんな感じで始まったこの夏のチョイ走り、今回から数回に渡ってその記録をお送りしていこうと思います。まずは7月23日に橿原方面に向かった時の記録をお送りしていきますが、『有吉クイズ』で番組内と突然解答者が変わるように、この走りの記録も項の中で突然日にちが変わってしまうこともあります、その辺りはご了承ください。














7月23日、この日は藤原宮跡にハスを見にやって来ました、その模様については先日ここでもお伝えしました。時期的にもちょうど見頃でたくさんの人が訪れていました、そしてハス畑の隣にはキバナコスモス、これももうこの場所の夏の恒例の風景です。この付近でハスが見られる場所と言えば、と言うことでその後は本薬師寺跡へ、ひっそりとした寺院跡は隠れた名所と言った感じ、今回は恨み言は言わないでハスの葉の匂いと緑の風景を楽しむこととしよう。その後は明日香村へ、ここにもハス畑があるので、相棒君を道端に止めて畦道を靴がドロドロにならないように歩いて畑に近づき花と葉を写真に撮る。飛鳥宮跡へと行ってみるとチラホラとコスモスが咲いている風景も見られた、季節にはまだまだだが今年もコスモスが咲き誇る風景は普通に見ることができそうです、今から楽しみとしておきましょう。


















橿原市からは中ツ道を通って奈良へ戻ることに、途中に神社があるのでそこを巡って行くことにするが、そう言えば最近は集落を巡って写真を撮ることもなくなったなあ、まあ奈良盆地内の環濠集落もほとんど行きつくしてますからね。その集落を抜けると360度緑に囲まれた田園風景の中の道へと出る、もう夕刻近い時間で西日に照らされた田んぼの緑が、見様によっては金色に輝いて見えるような気がしました。夏本番はまだまだこれからと言う時期、明日も休みだからどこを走ろうかな~・・・、と言うことでこのゾーン下6枚にある写真は日付が変わって翌24日、富雄川に沿う自転車道を走った時の写真です。おとなしく家にいてればいいのにやっぱりこの日も走りに行きました、前日の疲れなんか一晩寝れば取れちゃいますからね。写真にある場所も定期的に写真を撮っている所、地元の方たちが花の世話をしてくださって、季節ごとにいろいろな風景を見せてくれています。そんなわけで始まりました今年の夏のチョイ走り、まだまだ暑さが残るうちに終わらせたいところですが、さて、そううまくいくでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1759 都跡巡り・八条東二坊界隈

2022-05-13 10:14:57 | チョイ走
よろしくお願いします。





今回はチョイ走りで平城京南部の町並を巡った記録をお送りしていきます、まあ暇つぶしで近辺を走った時に撮った写真を並べただけなんですけどね。そんなわけで話が膨らむかどうか心配なところですが、まずは都巡りと言えば平城京のジオラマ、と言うことで今回巡ったのはこちらです↓↓↓


















ジオラマでは赤枠で囲った所、平城京で南東部に当たるエリアです。写真4枚目からある道は県道41号線に当たっているが、車がすれ違うのも難しそうなほどの狭さ、この道は都があった時代には八条大路に当たり、その経路については以前ここでもお伝えしたことがありました。旧街道の雰囲気が漂う町並の中で変則的な十字で交わる道が東三坊大路、この道もここではよく取り上げる道ですが今回は脇役です。道は更に狭くなって先を進んで行くと、次のゾーンの一番上の写真にある辰市の道路元標がある場所へとたどり着く↓↓↓


















上のジオラマでは赤枠の中を通っている八条大路に沿って左半分が居住地とは違うエリアがあるのが分かると思いますが、これが平城京にあった東西の市のうち、東の市に当たる所です。以前この近くで富本銭が発掘されて、お金が落ちているのは誰かが落としたからだろうか・・・と書いたこともありましたが、秋篠川には船着き場・・・これについては次回の都跡巡りでお伝えすることになると思います・・・もあったりして、その辺りからも商業が盛んな場所だったと言うことがうかがえます。以前方角や時間、干支などに興味があっていっちょかみ程度にいろいろと調べたことがあったのですが、「辰市」と言う地名には平城京の南東、それが干支では「辰」の位置にあったからこの地名が付いたと言う説もあります。まあ辰市と言うと戦国時代にあった松永久秀と筒井順慶の抗争の舞台となった辰市城で有名・・・と言うほどではないな、余程歴史に詳しい人くらいしか知らないでしょうね。その辰市城あった場所は今は保育園になっていて、特にここに城があったと言うような表示もなく、観光地としてのPRも全くしていない、まさに知る人ぞ知るという感じの所でしょう。


八条大路に沿った所に辰市小学校があり、その向こうで交差する道が西二坊大路に当たる道、ここでは○○大路と言っていますが地元ではそんな呼び方は全くされていません。自分たちが住んでいる町が平城京の跡にあると言うこともほとんど意識されてないでしょう、まあ1400年以上が経過していて歴史の中でもさほど取り上げられることのない奈良時代です、人々が歴史の授業で習ったこともほとんど忘れ去られているのではないでしょうか。でもせっかく自分が住んでいる歴史のある町なので、ちょっと興味を持ってほしい気もします、一旦のめり込むといろいろと知りたくなってくることもあるはずです。最初の方では暇つぶしと書いた都跡巡りですが、それは同時に再々・・・と再の字がいくつも重なる発見の巡りです、見慣れたはずのちょっとした風景から1400年前の雰囲気を見つけて行きたいと思います。













いきなり神社巡りになったかと思うような写真の並びですが、この辺りは神社巡り本編でも紹介することと思います。まずは1枚目~3枚目にある東九条天満宮、ここでは以前平城京廃寺巡りで訪れたことがあります、団地の横の薄暗い森の中にある小さな神社は東三坊大路沿いにあり、都があった時代にはここに姫寺と言う寺院がありました。近辺には姫寺の名前を付けた駐車場もあって、1400年この寺院の名前が地元に受け継がれていることにはちょっと感動してしまう。写真ではその次を飛ばして下6枚にあるのが八条大路沿いにある辰市神社、ここは以前万葉歌碑巡りで訪れたことがある所、そして昨年この神社の前でカメラを落としてしまい、お釈迦にしてしまった不吉な場所でも・・・ここに来るとトラウマのようにそれを思い出してしまった・・・あります。不吉と言えばこの神社も松永筒井抗争の舞台となり神社の境内もほとんど消失してしまったとか、でも今は集落の中に鎮守の杜として静かにたたずんでいる、これも1400年の歴史の積み重ねの結果なのでしょう。でも歴史なんてまだまだこれからも積み重なっていきますからね、200年、500年、1000年後には奈良の都がどう語られているのでしょうか・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち








No.1743 チョイ To 奈良、桜井市編+昨日の完全試合について

2022-04-11 09:47:25 | チョイ走
よろしくお願いします。















この週末は春を通り越してまるで夏のような気候、土曜日は滋賀へ、昨日は馬見丘陵公園へと走りに行ってきたのですが、やあ~暑かったなあ~。ここでもこの1週間は春の風景をお送りしてきましたが、今回は季節が逆戻り、寒い最中に走った記録をお伝えしていこうと思います。行先は桜井市、川西町から大和川を流れと逆向きにたどって進み・・・この記録もいずれのお伝えとなります・・・桜井市へと入りました。もうここでも何度か取り上げたことのある近鉄大和朝倉駅から国道165号線へと入り、途中で小さな寺院へと立ち寄った後に中心部の桜井駅付近へと至りました。













桜井駅付近は市の中心部と言っても、アーケード商店街はシャッターが閉まった店が多くて人の姿はほとんど見かけない。そのアーケードを抜けると横大路が通っている、大阪からは竹内街道として奈良へと至り、桜井からは初瀬街道と名前を変えて三重県へと入り、伊勢神宮まで続いている歴史のある道です。この道沿いに1件、バスが通る道に出て桜井駅の近くに1件、登録有形文化財の建物がある、最近登録されたとのことで巡りました。その後はもう幾度と訪れたことのある安部文珠院へ、ここでも万葉歌碑巡りや古墳巡り、コスモスの迷路などでここで取り上げたことがある寺院です。今までは行ったことがなかった展望台へと上ると花壇に植えられた花が・・・まあ今年の干支だからこの模様なのでしょうが、今となってはズタボロの1勝12敗、セ・リーグの借金を一人背負いになっています。文殊の寺院とのことで入試の時期もあって合格祈願に来ている学生さんもいました、まあ神様に頼まないでも合格できそうな賢そうな子に見えたので大丈夫だったでしょう、今となっては縁起悪いかも、何せ1勝12敗ですから・・・↓↓↓
























前回もちょっと触れましたが、昨日(10日)千葉ロッテ(M)の佐々木朗希投手が完全試合を達成しました。28年ぶり、20歳で最年少、自身は3度目・・・これが何気に凄い・・・、13者連続奪三振、1試合19奪三振と記録づくめでの達成でした。今井雄太郎、槙原寛己は実績十分のキャリアでの達成でしたが、彼はこれが通算5勝目、20歳での達成ですからね、この先2度目もあるかも知れません。球数問題がある中での105球での快挙、これを演出したルーキー松川捕手も大したものです、デビューからまだほんの数日ですからね、野球の神様が合計38歳のバッテリーを温かい目で見守ってくれていたんでしょう。13者連続奪三振も凄いよな、5イニンググラウンドにボールが飛ばないんだからなあ~、昔ドカベンで明訓が青田の中西球道から初回先頭から14人連続で三振をとられたシーンを思い出してしまいました。それを合わせての1試合19奪三振、ボールが飛んでこない野手もここに完全試合が加わるとプレッシャーもかなりだったんじゃない、9回2死目のショート、1塁への送球がかなり高かったですからね。
実はこの快記録、素直に喜べない一面もあるんだよなあ。彼は大船渡高校時代、県大会の決勝のマウンドに立つことなく試合は負けて大船渡は甲子園には行けなかった、この時の監督の決断が英断か愚行かと物議を呼んだが、彼の将来を考えての決断と言うことで称賛されていました。この登板回避から今回の完全試合の流れが高校野球のありかたに一石を投じかねない気が・・・、特に今年は近江の山田投手の奮闘ぶりが話題になったばかり、どちらが正しいのかは自分(一人称)は素人なので言えません、ただ佐々木投手が本当に甲子園に行きたかったのかどうか、まあ本心は言ってくれないでしょうねえ。ただ岩手の人からしたらあの時大船渡が甲子園に出ていたら、東北に初めて旗が翻ったんじゃないかと思ったのでは・・・これはもう言うべきじゃないですか。
ちなみに28年ぶりの不名誉な記録となってしまったオリックス(Bu)、昨年のパ・リーグ優勝チームが情けない、と言いたいところですが、こんな記録が↓↓↓

1967/09/17 若生忠男 (西鉄) → 阪急優勝
1969/08/16 成田文男 (ロッテ) → 阪急優勝
1996/06/11 渡辺久信 (西武) → オリックス日本一

ノーヒットノーランをやられると縁起がいいみたいなデーターですが、今年はどうでしょうかねえ、昨日はチームは感染症禍で主力メンバーがいなかったと言う事情もありました。完全試合もサヨナラ負けもルーズベルトゲームも負けは1敗、100敗したわけじゃないからね、オリックスもめげてる場合じゃないです・・・がだんだんいつものオリックスに戻りそうな感じも、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち