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・・・☔ 21日「梅雨入り」宣言 🌂

標高のない山歩いてますⅳ

2022年02月14日 | walking

2月11日、今日は核心部になる久保山墓地界隈を歩く。

市営でJR保土ヶ谷駅へ、保土ヶ谷区 ⇒西区 ⇒南区 ⇒再び西区へ

9:30 11番:羯摩山 円福寺(真言宗)

開山は室町時代初期(1430年)

本尊は地蔵菩薩、寺の背後の竹林から出現したという筍地蔵の伝説がある。

白梅が満開だった、5月には国道1号沿いのツツジが美しい。(前はJR保土ヶ谷駅)

寺の背後にある住宅地の急登を歩いて、生家のあった東久保町~元久保町へ

寺が集まる久保山火葬場へ続く道へ・・・・

10:10  1番:日明山 大聖院(真言宗)

弘法大師二十一箇所の第一番の靈場でもある。

久保山墓地、梅の花が陽に輝いていました。

「佛の十戒」ユックリ、かみしめて、正座して読んで下さい

10番:吉上山 光明寺(浄土宗)

落ち着いた雰囲気を持つ、寺らしいたたずまいでした。

     

阿弥陀仏」頭を垂れてきました

10:40 9番:率渓山 新善光寺(天台宗)

梅と(愛嬌のある)地蔵様

明治時代の「軍人の墓」が多く建っています。

他の寺も例外ではないが、ここは特に多かった。

7番:医王山 東光寺(真言宗)

「高野槙こうやまき」と記念撮影

11:10 4番:東医山 薬王寺(真言宗)

地味~なお寺です、規模も小さい、飾り気もない

あとに尋ねる東福寺の隠居寺だったという歴史をもつ

11:30 3番:福智山 普門院(真言宗)

かっては東福寺境内にあったとも伝えられています

大樹の背景は関東学院三春台高校の建物です

紅梅

「浦舟藤棚」道路を横断して西区へ

11:30 光明山 東福寺(真言宗) 

寛元年間(1243-1247)に玄心法印が開山、後嵯峨院の勅願所だったと伝えられます。

太田道灌が中興、天正19年(1591)寺領3石の御朱印を拝領、

 近郷に24の末寺を擁する中本寺格の寺院でした。

同年徳川家康より寺領安堵の朱印状を下付された『武蔵風土記稿、太田村』

寺伝では、その時「三葉葵の寺紋」を許されたといわれる。

朱塗りの山門、丹朱の楼門の建立は、幕末かそれ以降?一般に赤門東福寺と称された。

震災、戦災と二度に亘って堂宇悉く焼失、辛うじて本尊及び過去帳のみ難を逃れた。

本堂、閣魔堂その他は、昭和三十五年頃までに再建を完了した。

梅と閻魔堂

赤門町(上って)境之谷(下って)藤棚へ

12:00 12番:法亀山 願成寺

本尊は秘仏の延命地蔵尊です。寺伝に、「天平年間(729-49)行基がこの地を通りかかった時、

 渇を覚えを探していると渓谷より1匹の亀がはい出てきた。

路傍を掘ると清水が湧き出てきたので、これを飲用し渇を癒した。

これよりこの周辺を法亀山と名付け、草堂を創った。

これが願成寺の始まりである。」

日限地蔵尊

「願成寺の縁日」で子どもの頃通った記憶があります。

弘法大師の石像「オーラ」が映っています。

タイサンボク

桜木町駅へ出て「pronto」で昼食、市営バスで帰途に 

>>>空海その3

綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)京都九条に創立した。

「綜芸」とは顕教,密教,儒教をいい,「種智」とは菩提心をいう。

身分上の制限により,当時の大学,国学に学ぶことのできない庶民のために開いた学問所。

ここで仏教以外の思想・学問をも広く一般大衆にも解放した。

全国に渡って広く布教活動を行って、各地に信者を増やした。

また、信仰・学問の分野のみに止まらず、土木・灌漑事業にも及んでいる。

社会事業は仏教指導者の必須ともいうべき行動目標であって、

 古くより真摯な仏教者は、この「社会事業」に多くのエネルギーを費やしている。

                         【必携お経読本より】

何処へいっても”弘法大師の足跡”を見聞きするのはこのためだ。



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