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・・・🌤  夏山です  ☀・・・

乾徳山ⅱ

2021年09月14日 | 二百名山

8:30 JR中央線塩山駅BS「西澤渓谷」行きの🚎で乾徳山登山口へ 

9:10 徳和集落の舗装道路を上っていきます

秋明菊:キンポウゲ科

栗 🌰 栗

秋  桜 

9:20 「乾徳山前宮神社」通過 

9:30 乾徳山登山口 (直進すれば徳和渓谷へ)

よく手入れされた植林帯

マツカゼソウ

10:05 水、一息入れました

灌木帯~林道を横断して「駒止」

ここまで🐎できた、ここからは・・・

苔生した岩混じりの道に、稜線も見えてきた。

水、水量は多かった

道は傾斜が緩み眺望が開く、乾徳山が姿を見せた

10:55 国師ケ原十字路   

鹿が(肥気味?)

水分補給して扇平へ上る

マルバタケブキ(もう終わり)

ウメバチソウ 

アザミ   意外と花は少なかった 

扇平、月見岩 へ行けば「道満尾根~徳和」への道

扇平から乾徳山に続く「岩」の道へ

奥秩父らしい原生林と岩が続く 

「雷岩」鎖場の直登も

最後の「鳳岩」鎖場、前回は登りましたが・・・・・

爺さんは右の「迂回路」へ、梯子を二つ上って

ホツツジ

12:30~12:45 乾徳山:2031m

元徳2年(1330)塩山の恵林寺を開山した夢窓国師が

 一夏座禅を組んで修行した山である。

この恵林寺の乾(いぬい、易学では北西の意味)にあり、

 徳和村にあるので『乾徳山』となったそうだ。  

東側

北側 笠盛山:2072m~黒金山:2232m 方向です

イワチンチン:キク科

扇平:文字通り🚅 🚅 🚅で下りました

13:45 国師ケ原十字路(最後の水分補給)

14:40 乾徳山登山口通過

14:50 徳和川(一級河川)

15:08 塩山駅行きの🚎に間に合いました。

恵林寺山門

快川:かいせん 国師は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の名僧です。

 天正10年、武運つたなく、最後の当主勝頼と共に甲斐武田家が壮絶な滅亡を遂げたのち、

 侵入してきた織田信長の軍勢は恵林寺を取り囲み、国師以下、

兵火を逃れて恵林寺に身を寄せていた老若、僧俗を問わず百名近くが、

 山門の楼閣上に押し込められ、放たれた火によって焼き殺された。

 安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)

滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し)

 という言葉は、炎に包まれて落命するこの最後の瞬間に、

 国師が唱えたものだといわれています。  

* *

   行程:標高差1203m、約5.5時間、10km

   8:30 JR塩山駅 =9:05 乾徳山登山口BS ⇒9:30 乾徳山登山口

    ⇒10:05 銀昌水 ⇒10:55 国師ケ原十字路 ⇒11:25 扇平(岩の登山道)

    ⇒12:30~45 乾徳山・昼食 ⇒13:45 国師ケ原 ⇒14:40 登山口



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