我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「老婆心」

2015年10月30日 | 日記

先日、Kさんと
大分での仕事を終えて、
帰社のついでに、仕事とは無関係の
竹田市に寄り道をした。

この行為は、業務時間中の、
いわゆる「サボり」となり、

労務契約に背いた
違反行為と言えるかもしれないが、

もし、それでお裁きを受けることになり、

「身の潔白を証明しろ」

と言うならば、

「私は唆(そそのか)されたただけ、
Kさんが主犯者です

と答える。

これはいつものジョークで
仮に今回はKさんが主犯者でも、

昔は、同種のサボりに
帯同者がいれば、ほとんどは、
私は帯同者(そそのか)す側で、
完全な主犯者だったし、

「遊びも出来ん奴に
仕事ができるかっ!」

と嘯(うそぶ)いていた。

その主犯者の私のお陰で
今回のように
良い思いをした者は沢山いた。



仕事で遠くに出かける時は、
用意周到に準備をして
必ず、翌朝早起きをしたし、

仕事が早く済めば、いや、早く済ませて、
その土地の名所旧跡を巡り、

その土地でしか口に出来ない
特産品や名物にありついた。
 

成果を上げることに集中して
戴いた満足の結果に費やす時間は、

小生、信じるところの

「サボり」でなく、「ご褒美」。 

仕事もサボるのも、愉しかったが、
これは、小生の見聞を広める
大きな役目を担ってくれた。

寄り道の竹田行きは、
そんな懐かしい時代を想起させる
ご褒美の“旅”だった。


「想起」といえば
出雲に出かけた時のこと、

仕事を終えると直ぐに、出雲駅から
バスに乗り、出雲大社に向かった。

確か、大社の境内跡地から
巨大なスギの柱が発見された
その年の10月のこと。

肌寒い曇天の一人、
肩にバック、手に傘を下げて
大社を散策をしていると、そこに

観光客の団体さんを引き連れた
バスガイドさんがやってきた。

「しめた!」

何食わぬ顔をして、その団体さんに
加わることにした。

そして、このガイドさんはありがたいことに
最後まで、私のために
出雲大社のガイドを
引き受けて下さったのです。


ガイドも無ければ、立派な大社も
ただ眺めるだけ

「見聞」とは、見て聞くことである。


お次は皇居外苑の
「楠正成象」の前に立った時、

そこでもガイドさんと団体さんが
大楠公の象に近づいてきた。

「しめた!」

出雲と同じ手口を思い付き
ガイドさんの言葉に耳を傾けたが

さっぱり解らない ・ ・ ・

団体さんは韓国の方たちだった。
 

出雲の幸運は東京で
再現できなかったが、

出雲を訪れた10月は、神無月。

国中の神が出雲大社に集まる月を
「神無月(かんなづき)」。

しかし、出雲では
「神在月(かみありづき)」とも言う。

さしづめ、あの時のガイドさん、
小生にとっては神様の如し。

懸命に仕事に取り組んだ者には、
ご褒美どころか、神様が手を差しのべて
待っている。


その神無月も明日で終わり
神様がみんなの元に帰ってくる
何か良いことのありそうな

11月が始まろうとしています。
 

最後に、永年の経験上、

「サボりは共犯よりも、
単独犯に限ります」。

共犯者は時に
酒の席で酔いに乗じて、
簡単に口を割ることがある。

鶏の唐揚げと、アゲの交換は、
互いの「口封じ」なのである。 

老婆心ながら、ご参考までに。
 

今夜は、出雲大社参道で見つけた
旅館、
竹野屋の娘の歌でなく

ジョージ・ハリソン

「My Sweet Lord」


 

コメント
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