我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「続:心が言ったよ」

2015年10月06日 | 日記

先般の日記、「心が言ったよ」で、

心の中で眠ったままの
大切な一つ一つを、叶うならば
記憶の中から蘇らさたい。

と私は記述した。

現在、六十四才の私の日ごとに
老いることから生まれる感情だろうか、

生まれて青春期までに故郷に残してきた
人達との温かき交わりや
思いで深き出来事を

「もう一度取り戻せたら」

そんな淡い期待感が心の中で
未だに途絶えないでいる。


そんな日記を書いて間もなくの
一昨日の日曜日、

ヴァリィーとの携帯での会話の中で、
半世紀前の我が故郷での出来事に
話しは及ぶことになる。

それは、
「蜂の巣城の戦い」
のことである。

「蜂の巣城の戦い」
あるいは、
「蜂の巣城事件」とも言うが、

裁く側にとっては確かに
「事件」でも、
私の日記においては断じて
以後、「戦い」としか
書かないことにする。


小国町志屋地区と大分県の県境を
流れる筑後川の上流の津江川に
建設省が造るダム工事に

反対する地元の人達が建てた
砦(蜂の巣城)にたてこもり
最後まで戦った、

1958年(昭和33年)から始まった
ダム工事を進める国と反対派の
ダム工事史上、日本最大の
反対運動の戦いである。

その反対派のリーダーに、
当時、66歳の室原知幸さんがいた。


ヴァリィーが、
「その時の貴重な動画がある」
と言うので、

私はそのドキュメンタリーの
URLを送って貰った。

ドキュメンタリーは、
大島渚さんが監修し、
先の映画「綴方教室」の貧しき職工役の、
徳川無声さんがナレーター。

約30分と短いが、
本格的な作品
ある。


私が子供の時とは言え、
同じ町内で起きたにもかかわらず、

初めて知る戦いの一部始終を
観終えた後の感慨深さは、
独特な重さが心を支配した。


観終えてヴァリィーに
感謝の弁を届けた。
 

既に、終わってしまった過去の
故郷の出来事を、

今更、蒸し返す必用は無いし、
知らないままで良い事もあるが、

この戦いは、
私にとっては、関心を抱き続け
知っておかなければならぬ
重要な出来事であった。


「蜂の巣城の戦い」については、
人それぞれに見識もあろうし、
私見を並べるつもりは毛頭ないが、

最後に、

反対派の室原知幸さんの記述を。



公共事業、それは
理に叶い、法に叶い、情に叶う
ものでなければならない。

そうでなければ、
どのような公共事業も挫折するか、
はたまた、下筌の二の舞をふむであろうし、

第二の、第三の蜂の巣城、
室原が出てくるであろう。

室原知幸さんの自身の随想
「下筌ダムと私の反対闘争」より。


私が初めて見た
旧宮原小学校のグランドに集結した
おびただしい数の機動隊が、
向かった先で繰り広げられた

「蜂の巣城の戦い」の終結は
1964年のこと。


半世紀前の同じ町の中学校に通う
私のすぐ傍で起きたこの戦いを
よもや、半世紀を過ぎて今、
その終結を見ようとは。


ドキュメンタリーを
心が「観たい」と言わなければ、
この戦いから学ぶものもなく、

関心は何時しか忘れ去られ
風化させてしまうだけ。

このドキュメンタリーは
私に多くを教えてくれました。

 

室原さんは1970年、死去
享年70歳。 

室原さんの葬儀で、
涙ながらに弔辞を読んだのは

当時の建設省
九州地方建設局 (九地建)
の所長であった。


かつて、わが町の先輩に

たとえ、一人になろうとも、

国を相手に戦い続けた人がいた。

 

The Imposible Dream 

「見果てぬ夢」

唄:ブライアン・ストークス・ミッチェル 

コメント
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