F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

076-1 河井継之助記念館・山本五十六記念館

2015年08月17日 20時28分19秒 | 旅行記
F老人が盲信し、この旅でも関連することがあれば行ってみたくなる二人の作家、司馬遼太郎氏と吉村昭氏。「峠」に書かれた河井継之助、雨に降られて屋内の施設に、「河井継之助記念館」。

長岡駅近辺の駐車場は多いのですがわかりにくく、結局、駅に隣接した市営駐車場へ。



駅。



歩いて約5分のところにあります。





普通の住宅のようで分かりにくい。いろいろなエピソードが紹介されていました。「長岡共和国」を作ろうとしていたといわれるゆえんは農民も人として扱う国にしようとしていた・・・備中松山の人、継之助が師事した山田方谷の影響か?

「小千谷談判」で示した内容はあまりにも徳川を尊重し、しかも、文書を示して回答を求めたのがわずか30分であったとは、官軍の勢いに押しやられたという感は否めません。

館内は撮影禁止で、ガトリング砲のレプリカと長岡藩の旗は撮ってもいいそうで。





そこから歩いて約5分。山本五十六記念館に行く前に近くにある生誕地の公園へ。

山本五十六海軍大将生誕の地。河井継之助と山本五十六は生まれた年で57年の差、生まれた場所で300mぐらいの差がありました。







先日亡くなられた阿川弘之氏の「山本五十六」の冒頭で連合艦隊司令長官を命じられた山本大将が特別に付けられた客車で赴任、途中で愛人河合千代子が同乗してくる様子がかかれていますがこれを職責の重要さに比例した待遇と見るか、難しいところです。





生家は質素で雪国の藩の儒家の家とは思えません。



生誕地の公園を後にして歩いて3分、







内部は撮影禁止です。いろいろな書簡、書が多く、出身地ということで兄弟や恩師関係の人に宛てた私信から人間性の素晴らしさがにじみ出ていました。

特に結婚することが決まった後の夫人に「夫婦になるのだから何でも言ってね」的な手紙はいいと思いました。

あれだけ丁寧に手紙を書こうとすると自然によく考えること、物事を整理する力が備わってくるのでしょうか。単に頭がいいからではないと思いました。

海軍軍人、指揮官としては視野が広く、洞察力が鋭く、寛容で冷静に対処する点にひかれます。
















最新の画像もっと見る

コメントを投稿