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空き「日程」無しの12月  貧乏暇なし

2022-12-17 | ◆日記・エッセイ・コラム
余裕をもって12月は第一週、三週は空けておきましたが、ほぼ埋まりました。今月は焙煎講座は有りません。受付をしませんでした。

今日、明日も後輩(T)の葬儀です。

何時からでしょうか?クリスマスを祝った事も、正月で何か特別な事をすることも無くなりました。
テレビが無いので、紅白歌合戦はもう30年は見てません。見たいと思った事もない。

寂しい事もなく。
人が多い場所も好まず。
特に趣味も無く。

生きて行くことは死に行くことと達観すれば、この世に未練も無い。

今日葬儀の後輩(T)、実は2歳下の従兄弟である。
近所に住みながら闘病生活に見舞いもしなかったのはその姿を見るのも、見られるのも嫌だろうと思ったからだ。

「明日は最後まで送って下さい。」と奥さんに言われた。もちろん、そうするつもりである。

お通夜の前に、昔住んでいた街の和菓子屋に寄って50年ぶりでも思い出してもらった。跡を継いだ若店主はすっかり爺さんになっていた。
「浦島太郎」の気持ちが判った。


こんな風に人は普通に生きて、その時代の人々の間にだけ記憶されるだけであり。
そして、それで
充分なのだ。

時代が変われば何も残らない。

彼の母親は、つまり私には叔母さんである。(父の妹)
1年前には、凄い家系図を書いてもらい、色々な当時の話を聞き、桑名市内の寺などをあちこち巡った。私から見れば、4代前までは彼女は肉眼で見ている。

その叔母は今は施設である。
そして、その時に聞いた「生きた思い出」断片の記憶も私の代で終わる。

どの家も、その数代以前は名前だけなのだ。生きた歴史ではない。
前にも書いたが、写真一枚で充分。

だから、私の写真は捨てている。一枚も残さない。
田中角栄さんでも、写真一枚で充分じゃないですか?

「生きて死んだ」だけ

葬式無用
戒名無用

これが私の遺書である。


人に無常観というものはない。
人生とは無常なのだ。

生前に「香典」だけは受付てます。
よろしく。

PAYPAY使えます。







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