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巡礼(北の道)28日目・・・2012年5月16日Part2

2013年02月28日 | 「北の道」巡礼

28日目(5月16日) 44,727歩31k : Piñera~Tapia Part2

橋を渡りにその橋の終わりが次の町です。

にぎやかな町が終わり,いつもののんきなcaminoを歩きます。

何処かの家のドアには,パンがぶら下がっています。

各家庭に瓶の牛乳の配達されていますがそれと同じ感覚なのでしょうね。

そういえば何処かで細長いポストに長いパンが突っ込んでありましたね。

 

caminoは続きます

又線路を渡るようです、日本では考えられませんよね~踏切さえ無いんですから

標識も有り難い、こんな所に立派な矢印が

歩き出して2時間半、まだ水はありますが素敵な水飲み場があります。

こんな時は嬉しくて手を洗ったりコップで飲んだりしてしまいます。

なんだか気持ちがゆったりします、牧草を刈り取り巻き付けています。

始めはとても珍しくてついはしゃいだりしたのですが今はもう慣れっこです

   

なかなかバルが見つかりません

 


巡礼(北の道)28日目・・・2012年5月16日

2013年02月26日 | 「北の道」巡礼

28日目(5月16日) 44,727歩31k : Piñera~Tapia

相変わらず皆出発が早い、私達は8時に出発。

多くのペリグリーノ出発も早いが歩くのも速い、お昼過ぎには到着して昼寝をしたりしてアルベルゲで過ごす。私は速くても15時から17時到着が定番になっていた。私は途中の休憩が多く長いからだろう。

今日は久々にA同行、いつもはあっという間に先を歩いてしまうAだがやはり腰が痛むのか珍しく私と歩調が同じである。道が良くて巡礼路を気持ちよく歩く。

   

1時間5kを歩き、下り終わるとNaviaに到着。

地図にある地名の標識があるとその時の体調で喜んだりがっかりしたりする。

Naviaは結構大きく商店やスーパーマーケットがある。偉そうな銅像がある,きっとこの町の英雄のだろう。日本でもそうだが、◎◎の碑とか墓とかあっても知識不足で誰やら解らず。。。

巡礼路は境目を歩いているのか直ぐにNaviaは終わりのマーク。

すると早く出発した筈のドイツ2人組がやってくる。

彼女達は私より少しお姉さんだろう,しかし歩くのは速いお姉様達です。

右側を歩くのは看護婦さんを育てる教官だった様なお話をしていました。

なかなかドイツ的な方です、でもシャワー後濡れた髪をドライヤーとカールを使い整えるのが日課のようで女性の間ではかなり有名人になりつつあります。

私達も、東洋の小さなおばさんでチョット有名だったかな?

       






巡礼(北の道)27日目・・・2012年5月15日part3

2013年02月24日 | 「北の道」巡礼

27日目(5月15日) 31,350歩28.2k : Soto de Cadavedo~Piñera part3

 

 やはりバスは速い、あのまま歩いていたらPiñera到着は19時を過ぎていただろう。

Aからのメール指示通りにアルベルゲヘ進む、方向音痴の私には至難の事である。

近所で聞きながら、アルベルゲの文字に出会う。

中に入ると様子が違う,ハテ?『アルベルゲ?」とおじさんに尋ねると

"Si" どうやらここでチェックイン後鍵をもらってアルベルゲへ。

 

中に入ると、広い体育館の様なアルベルゲです。

アルベルゲには既にドイツの二人連れ、MarizとTerezaと相変わらずの顔なじみです。

Aが私のベッドを確保してくれていました、

広い中央のシングル2段ベッド上段でベッドメイキングを始めましたがゆらゆらと揺れます。

上段ベッドでなくてはならないとは思いませんが、この揺れはチョット怖かった。

せっかく確保してくれていましたが、他のベッドが沢山空いていたので移動。

寝る支度終了後、買い物へ出かけます。

一件しか無い店は何でもありますが,少々高かった。

私は靴下を求めたかったので迷っていると,店のおばあさん私につきっきりでいろいろ出してくれます。

巡礼道では長距離を歩くのでしっかりとした靴下が欲しいのですが・・・

私の足には皆大きいようです,子供用を探しますがなかなかありません。

おばあさん、盛んに安いだろうと薦めてくれますが値段ではないと説明もムズカシイ!

とりあえず明日履く靴下がありませんので間に合わせに購入。

おばあさんはご満悦でした。

食料を購入してアルベルゲへ戻り夕食。

 


巡礼(北の道)27日目・・・2012年5月15日part2

2013年02月18日 | 「北の道」巡礼

27日目(5月15日) 31,350歩28.2k : Soto de Cadavedo~Piñera part2

山道からアスファルトの道、しかし幹線ロードのアスファルトよりずっと気持ちよく景色をデザートに歩く。

直ぐにアスファルトから横道へ標識が続く、道が変わる度にこの矢印は有り難い。

  

13時半Luarcaに到着したらしい、アルベルゲの標識がある。
立ち寄らず市街地へ進む、Luarcaの町が眼下に見える。
階段を20分程下る、右手に警察がある。
Luarcaの町にアルベルゲはあるのかを聞くと上の方だとの事。
やはりあそこしか無い・・・そうではないかとは思ったが立ち寄る気持ちにはならなかった。
   
 
やはりPinera迄行こう!
親切なお巡りさんにPinera迄の汽車を聞くと彼がたまたま持っていた時刻表を出し調べてくれた。
夕方迄無いようだ、12キロを歩く事にする。
先ずは腹こしらえ、お巡りさんにお礼を言って町へおりて行く。
町へ下ると町中にも帆立マーク”グラシアスグラシアス”
ボカデイージョ(サンドウィッチ)とワインを注文するとタパスが付いて来た。
 
 
 
実は手持の靴下に全部穴が空いてしまいスポーツ店を探していた。
しかし大きな街に入ると日曜日だったり、午後のシエスタだったりやで、いつも閉店。
今日もそうだった、買い物ができれば夕方の汽車でも良かった。
歩くつもりで食事を終え、バルを出る時に駄目もとでバスについて聞いてみる。
ところが客の一人で近所の女性が10分後にバスがあると教えてくれた。
Pineraへ歩く気負いはあっという間の消え失せてしまった
「おいおい」と何処かで私が言っているフフフゴメン

 


巡礼(北の道)27日目・・・2012年5月15日

2013年02月17日 | 「北の道」巡礼

27日目(5月15日) 31,350歩28.2k : Soto de Cadavedo~Piñera

 

8時出発、AはAは汽車でLuarca迄進む事に。
再会した時に解ったのだが、汽車を待つAに地元の親切な人が汽車がこない事を告げ車で送ってくださったそうだ。
本当に親切な人に出会う事の多い巡礼の旅です。
 
私は比較的のんびりと一人歩きで巡礼路を歩く。
途中ぬかるみもあったが天気に恵まれた。
可愛い教会が一時間毎にあったがやはり中には入れず,扉の前で歩ける事に感謝。
 
 
   
 
今日はドイツの女性二人とオランダの女性3にんと12時頃迄前になり後ろになりあるいは一緒になりながら歩く。
軽いアップダウンを歩き11時頃、少し下りに入るCanroに同じ名前のHotel有り。
昼には少し早かったが,皆で昼食。
 
 
食後は、標識に従い山を歩く。
なだらかな山で気持ちがよかった。
そこへ海!水平線に沿った雲が素晴らしかった。
    

巡礼(北の道)26日目・・・2012年5月14日part2

2013年02月15日 | 「北の道」巡礼

26日目(5月14日) 40,153歩23.3k:Soto de Luiña~Cadavedo part2

ホテルを出るとアスファルトの道が続く、昨夜知り合った別のドイツ人女性の二人連れと一緒になる。

公園があり3人で休んでいると車が停まり、Cadavedoのアルベルゲはベッド数が少なく自分のホステルにどうだとの誘いである。

私を観てAにも1時間程前に声をかけたとの事だった。Aが先に進んでいる事を知る。

メールをするが反応がない、2人で泊まれば安い物だが一人では少し高い。

ドイツの二人はそこに泊まるきになっていた。とにかく先に進むしか無い、道は山深い所へ入って行く。

道が登りにさしかかると何時辿り着くのだろうと不安になる。

Aに追いつこうと私の気はせいた!早足になり二人連れからかなり先に歩き出す。

するとアスファルトの道を右に入る標識のある道を見つける、少し不安だが先に車があり海が見える。

しかも私の好みの道、先へ進み標識に従って歩くも,更に山に入る所で交通止め、残念

緑に囲まれた様なアスファルトを歩き始める。

やっと人が住むのが感じられる所に入り,自転車おじさんと出会う。

おじさん地図を見ながらこの辺と探し始める。

散歩で通りかかった,主婦二人に私は万が一の事を思いこの辺りにアルベルゲの他に宿があるのかを確認する。

彼女達も良く知らないようで今来た方面にキャンプ場があると教えてくれる。

戻るのか~と心細くなりかけた時、あった~アルベルゲ!

今日のアルベルゲはベッドが8台という情報だったが幸いベッドは空いていた。

アルベルゲに到着するとのAvilesで出会ったMarizとTerezaがいた。

ところが、私と自転車おじさんがチェックインするとベッドは後3つしか無い。

急いでAと連絡を取る、繋がったベッドが少ない事を告げる。

Aは迷っているようだった、一旦わたしの側のベッドを確保する。

B&Bに行くことを決めているようだったあの二人連れもが直ぐに到着。

確保したベッドを彼女達に譲らなければならなかった。

後一つ隣の部屋にあるベッドこのまま確保も難しくなる。

Aから連絡が入り,こちらに来るということあ~あ良かった。

MarizとTerezaの部屋に一つベッドが空いていた。

彼女、レストランで充電をしながらこのアルベルゲに荷物を置いていた先客のペリグリーノと一緒だったのだ。

それで彼らのいるアルベルゲに泊まるか私の連絡先に泊まるか選択を迫られていたらしい。

Aは自分が何処に位置するかを良く解っていなかったからだ。

解るな~私も良くある事だから。

そしてそのペリグリーノはBallotaのレストランで会った男性とスタート時Orioで一緒になったビールの好きなオランダの女性だった。

ペリグリーノに取っては充電はとても大事な作業なのだが、Ballotaで出会った男性一つのソケットで何台もの充電が出来る自作の優れ物を持参していた。そして私と同室になった彼の鼾も凄かった。

Aが来る事が解った時,自転車おじさんにベッドを私と交換を申し出た。

自分はこの場所が気に入っているから嫌だと断られた、もしかしたら彼の鼾を知っていたのかも?


巡礼(北の道)26日目・・・2012年5月14日

2013年02月13日 | 「北の道」巡礼

26日目(5月14日) 40,153歩23.3k:Soto de Luiña~Cadavedo

 

7時20分出発、昨日間違えて入ったお宅の前を通る。昨日あのままでは申し訳ないと思い,日本より持参した手拭を持ってお詫びに伺った。ご機嫌はとっくに収まっていて日本製の手拭を大層気に入って頂いた。

歩き始めて直ぐに道が二つに分かれる。Aは厳しいcaminoの道でなくロードを歩くと主張した。私の膝にとっては優しいとされるロードより巡礼時の方が歩き易かった。

出発1時間後、最初の山の頂きからの眺めはまだ明けきらぬ空と町が素晴らしかった。

平の山道らしい歩道を1時間強歩く、そこからわずか20分後霧が濃くなってきた。

折角の馬ノ背で両側に良い景色だったのに残念ながら何も見ることが出来なくなった。
 
突然矢印が消えた!それでも引きづられるように登るが戻るという文字が浮かぶ。
矢印の消えた所迄戻り、サンティアゴの道を考えず街へ下りようと思う。街へ出れば何とかなる。
 
 アスファルトの下りが続く、何処へ行くのだろう?
下からこの山のレンジャーの様な2人連れが乗る車がやって来た。
大きく手を振り道を尋ねるて地図を見てもらう。
するとこの道がBallotaに出る事がわかった、結局私はサンティアゴへの道を歩いていたらしい。
 
11時半黄色の矢印に導かれロードに出るとホテルがあり階下はレストランだった。
やれやれ昼食にしよう、中に入ると既にペリグリーノの先客がいた。
私は覚えていなかったが昨夜同じ宿だったらしい,後10k位と教えてもらう。
 
霧の世界から生還出来た気分で全身疲れきっていた。
10k歩けるだろうか?バス?汽車?結局どちらも選択をせず歩いた。
食事が終わり出ようとした時に,奥から焼きたて手のケーキが運ばれて来た。
その温かいケーキを食べたお陰で元気が出たのかな?
 
 
 
 
 

巡礼(北の道)25日目・・・2012年5月13日Part7

2013年02月12日 | 「北の道」巡礼

25日目(5月13日) 33,374歩27k :La Aviles~Soto de Luiña Part7

アルベルゲ到着は17時を過ぎていた。

入り口を入って正面の上のベッドが空いていた。

シャワー、洗濯、ベッドメイキングを終える。

ナーニ初め皆がカフェでチェックインをしていると聞き駆けつける。

いるいるなじみの顔,初めての顔。

昨日La Avilesに一緒に到着したBjarneの顔もある。

彼は私みたいに電車でパス等しないでコツコツと歩いて来たんだろうな~

ドイツのお二人も昨夜は別のアルベルゲだったがやはり歩いたんだろうな~

チェックイン後レストランが8時からなので皆ここで待っているのだ。

8時少し前にレストランに繰り出す。

大きなテーブルを囲みペリグリーノ定食で乾杯

食事が終っても皆童心に返ったように大はしゃぎ、聞けばナーニもアルベルゲと間違えてあの家に入って行ったとか。

そこで又話が盛り上がる。

9時過ぎにアルベルゲに戻り就寝だったのだが・・・・・

何時だったのだろう?鼾の合唱に目が覚めた、私のベッドは奥の中央に位置していた。

左右、前、下から忍び寄るように鼾が聞こえてくる。

眠れないなんて初体験だった。

絶えきれず私は寝袋を持ち出し談話室へ避難する。

ところが石の床の寒い事又そろうりとベッドへ戻り下に敷く物を取り出し寝袋の下に敷きやっと就寝だった。

 

 

 


巡礼(北の道)25日目・・・2012年5月13日Part6

2013年02月11日 | 「北の道」巡礼

 

約25分位でSoto de Luiñaに到着。駅舎が可愛い

でも後はな~んにも無い駅です、シンプルという文字がぴったりでした。

駅のお隣にアルベルゲ方向を聞くと道なりに行けば良いと教えてくださいました。

道を下る,ひたすら下る、膝の悪い私には厳しい下りのアスファルトだった。

下りが終る頃町並みが見え始めました。

真正面からあの元気印のナーニがやってくました。

彼女は開口一発”Aがいるよ”アルベルゲへの道を教えてくれ,何処かへ行ってしまった。

あ~あやっとアルベルゲ教えられた通りに行き帆立マークとAlbergueの文字。

喜び勇んで”Hola"と大声で入って行くと、男性が怖い顔で何か怒鳴っています・・ポカン

まだアルベルゲではなかったようです。きっと多くのペリグリーノが間違えるようです。

ニコニコと奥さんが出て来て親切にアルベルゲを教えてくれました。

奥様ご主人の怒りにも慣れた様子。

体育館の様なアルベルゲ、中も沢山の2段ベッド。

顔見知りのペリグリーノ達大騒ぎで”Aが来ているよ

   



巡礼(北の道)25日目・・・2012年5月13日Part5

2013年02月10日 | 「北の道」巡礼

汽車は定刻通り到着,発車。

車内には、巡礼や観光では出会えない人々が大勢。

斜め向かいに主婦二人、巡礼者らしい東洋のおばさんがチョット気になるらしい。

解らない事がある時はおばさんに聞くのが一番、皆ニコニコと教えてくれる。

日本にいる時私もそのおばさんの一人。

少し落ち着いて”Soto de Luiñaに行くのだがこの電車で良い?”少しボキャブラリーの増えた頼りないスペイン語で尋ねる。

大丈夫のようだ(あ~あ良かった)教えられた通りに行動しても確認は大事。何度も私は間違えているのだから。

”ペリグリーノ?”「Si」でもペリグリーノがなんで電車に?という顔に見えた、聞かれもしないのに一応説明。

会話が弾む? スペインが素晴らしい事をいうのを忘れてはならない、歩かせて頂いている無宗教である私の礼儀である。

チョット太めのおばさん達”私達はそんなには歩けないわ~”何処でもあきれ顔されます。

スペイン人だからと言って皆が巡礼を歩いている訳ではないですねえ~

日本人だから熊野古道を皆が歩いていない訳ですから、この25日間熊野古道について聞かれました。

恥ずかしながら私Santiago de France は良く知っていましたが日本の熊野古道は皆目・・・

 

そのうちに車掌さんが切符点検に来ました。

Pravia駅で事務所迄行き、目的地迄切符を持ってない事を告げた時彼が親切に教えてくれました。

自分がその電車に乗るからと話していました。彼が現れほっとしました。