ぶらりぶらり

今日が一番

熊本へ向かっています

2016年04月25日 | 日常での自分のあり方
兼ねてより入院していた義兄が亡くなりました。
地震の影響?と息子からLine で聞いてきた。
直接の原因ではないが、この地震が無ければ兄は未だ生きていただろう。
入院先の建物が危険ということで転院を余儀なくされた。
日々続く余震とは程遠い揺れに人も家も街も………………

心満たされない
日々を送っていた私に故郷を訪れる機会を兄が与えてくれたのかも?
亡き両親は、晩年を姉夫婦の家で過ごしあの家から送り出してくれた兄。
しかし、その家はこの地震で崩壊。
兄を自宅から送り出せない事を思うと胸が痛みます。

兄の冥福を祈る

ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月2日(月)巡礼40日目 Part2

2016年04月14日 | 巡礼銀の道

Silleda ~Onteiro 23.8k 標高490~295 ~Onteiro 23.8k 標高490~295②

二人を見送り、レストランに入ると顔なじみが食事をしていた。

私たちもたっぷり昼食を取り1時間を過ごす。

Kの話になり、日数は充分あるのでゆっくり静養して元気なK担っていると良いね。

私たちよりも4日位は遅いと思った

私は食べることが大好きなSに美味しい蛸を食べる提案をする。

フランスの道の終盤にMelideというところがある。

以前そこで食べた茹蛸が美味しかったのでKを待っている間に食べに行こうと相談事が決定。

レストランをでて約1時間、山の中の一軒家がアルベルゲだった。

近くを見渡しても何もない?昼食をたっぷり食べていて良かった

中に入ると、あのオーストラリアのファミリーとまたご一緒です。

よろしくね

 暫くしてホスピタリティーがやってくる。

デスクの上の方に何やらメニューらしき物?

どうも注文で夕食を用意してくれるらしい。

しかし、その時は何やらさっぱり解らなかった

それに昼食をたっぷり食べていたので食べることに関心がわかず注文もしなかった。

就寝までに少々空腹感を感じていたが大した問題ではなかった。

 

ベッドも良かった、明日はいよいよゴールのSantiago に到着予定。

そこへ賑やかなスペイン人の二人(中年おおじさんと運動グッヅのオタクらしい青年)

私たち二人を見るなり、昨日日本の女性に会ったというのだ。

どうもKの話をしているようだ。

「えどこでであったの?」私たちが泊まったCastro Dozonで一緒だったというのだ。

もうそんなところにきている??信じられない?体を休めていないのだろうか?

あの体でもうCastro Dozonにいたなんて

もちろん、私たちのタコの予定は中止することになる。 

何が何やらさっぱり解らないまま就寝

後で聞いた話では、せっかく一緒にきたのだから3人でコンポルテーラにゴールインしたかったのだそうだ。

 

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月2日(月)巡礼40日目

2016年04月12日 | 巡礼銀の道

Silleda ~Onteiro 23.8k 標高490~295

Castro Dozonのアルベルゲで良いホステルだとこのチラシを手にした時は半信半疑だった。

少し考えるから後でというとオーナー夕方にはここに来る事はできないとの事だった。

なるほど宿をレストランが暇な時間に車で駆けつけたのだ。

 

洗濯物は乾かなかったが、まあまあの宿だった。

朝食を済ませ8時に出発。

矢印がたくさんある、幸先は良い。

もうすぐ終点のSantiagoまで二日を残す。

出発地点Silledaから5.5k軽い上り坂を1時間半かかり歩く。

道は昨日同様緑が多いコースで気持ちが良い。

そんな中カルテラも多く左膝の痛みが辛いかった。

14時に成ろうとしていた、Puente Ullaの町に入った。

アップダウンを重ねながら19kを下ってきた。

空腹でフラフラだった、橋を渡った所にレストラン。

地獄に仏だった。

たとえ到着が遅くなっても良い、何かを食べよう。

 

なんと、レストランの前のテーブルにオランダの青年とフランスのおっちゃんが今から発とうとしていた。

なんだか顔見知りに会うのは嬉しいものだ。

彼らは今日中にサンチャゴに到着予定だそうだ。

元気だなあ、やっぱりヨーロッパの男性は体力があります。

フランスのおっちゃん、お別れに持っていたバケットを半分にしてプレゼントしてくれた。

僕はもう今日で終わりだから一本は多いんだよと

もう彼らとは会う事もないだろう、いろいろありがとう

オランダの青年も初めてあった時より数段たくましたくなっていた。

あの頃は、初めて親から離れたばかりの坊やだったのに

Buen Camino

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月1日(日)巡礼39日目 Part4

2016年04月11日 | 巡礼銀の道

Castro Dozon~Silleda 28.1k 標高750~490④

Castro Dozonで一緒になったオーストラリアの大家族。

次男坊の奥さんはアジア人らしい女性、彼らには肌の色などはなんの意味もないようだ。

日本人である私たちにも自然に接してくれる。

もっとも巡礼ではあまり人種的差別は受けた事がない。

夕飯をこのレストランで隣同士の席でご一緒だった。

最初のスープが少し塩っぱかったがそれ以外は大当たりのメニューだった。

もともとアルコールに弱いSだったが、料理の美味しさにワインを過ごしたようでかなり盛り上がってしまった。

隣のファミリーもびっくり、翌朝「今日も彼女はワインを飲むのかしら?」とファミリーの奥様がジョーク。

彼女の楽しい良い方はかなり受けたようだった。

久しぶりのホテルでゆっくりできたが、洗濯ものが乾かなくて弱った。


ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月1日(日)巡礼39日目 Part3

2016年04月05日 | 巡礼銀の道

Castro Dozon~Silleda 28.1k 標高750~490③

天気がよく、通りで洗濯を干している女性がいた。

スペイン特有の干し方だといつも思いながら通り過ぎる。

今日は干している人がいるのでつい声をかけてしまった。

「これってスペイン風?」

女性は戸惑った感じだったが、いつもこうやっていると答えてくれた。

結婚した頃、夫の実家に行くと兄嫁がこんな風に干していたのを思い出した。

私は限られたスペースのなるべく早く乾くように工夫しながら干すのが大好き。

でもこれだけスペースがあればそんなことは考えないかも?

地元の方となんでもないことで、完全に言葉が通じなくてもこのような交流が私の旅の楽しみ。

525号線に沿って歩いていく、14時半アルベルゲ近辺でDeza川らしき川を見たが目の前に大きな橋がそびえ立つ。

そのまま歩くと土橋があった、歴史が感じられる橋加えて文字の書かれた石。

残念ながら詳細はわからず、銀の道はローマ時代の物が多かったからこれもそうかな?

気分はローマ時代、そろそろ今日の終点Silledaの街に到着のようだった。

 

街に到着したがシエスタタイム、街は死んだように静かだった。

おまけに今日は日曜日♪日曜はダメよ♪昔こんな歌が有りましたよねえ。

スペインの方にはシエスタは大切な時間らしい。

散歩中のご夫妻に出会い、昨日予約したホテルまで案内をしていただいた。

どの国に行っても、街の方々は親切です。

4年後の東京オリンピックには私もどこかで笑顔で迎えてあげたいと思っています。

カウンターに行くとなんとそこには昨日このホテルの営業をしていたおっちゃんでした。

オーナーだったんですねえ。

 

 

 

 

 

 

ハイテクばあちゃん…銀の道 Via de la Plata6月1日(日)巡礼39日目 Part2

2016年04月04日 | 巡礼銀の道

Castro Dozon~Silleda 28.1k 標高750~490②

前日登った分、今日は下る。

12.9k地点まで来るとアルベルゲ有り、誰もいる気配はない。

入り口も閉まっていた。

時間的にも距離的にもここで開くのを待つ気持ちにはならなかった。

それでもKならここで泊まった方が体に優しいからきっとここに泊まるだろう。

そうだと良いなあ、ゆっくり体を休めてほしいから。

私たちは先を急ぐ、下りで膝を用心しなければと思いながら歩く。